2015年7月23日

7月23日 南三陸町「長須賀海水浴場復活大作戦」2

今日も、宮城県南三陸町の「長須賀海水浴場復活大作戦」の話題です!

東日本大震災の前、宮城県内におよそ30あった海水浴場のうち、今年海開きを迎えられるのは、5か所のみ。

そのうちの一つ「長須賀海水浴場」は、民間ボランティアの力で、2013年から砂浜の清掃とビーチの運営を行っています。プロジェクトの中心人物、仙台出身の潜水士、勝又三成さんを動かしたのは、「地元の海で泳ぎたい!」という、子どもたちの声でした。

◆地元の高校生たちの思い
今年のオープンは8月1日〜10日まで。10日間のみの運営。海水浴場をオープンしている間地元の高校生を監視員として雇っている。被災地なのでアルバイト先がほとんどない。そういった子供たちも、地方に出てしまうよりも、こういった地元の海のために地元の子供たちが安全に遊べるように監視して、それで時給がもらえたらいいんじゃないかと思って、地元も高校生を雇用している。海に恩返しするつもりだとか、自分たちがいままで遊ばせてもらった海だからとか、震災があってこんなに素晴らしいものがあったと気付かせてくれたとか、これを見てくれてうれしい、これは僕たちがやるべきこと、などと話してくれる。
(震災当時)小学生だった子供たちが中学生になり、中学生は高校生に、さらに社会人になっている子供たちもいる。彼らの意識がどんどん高くなって、地元のために、自分たちよ小さい子供たちのためにと考えているから、それはすごくかっこいいことだなと思って。

また、勝又さんは潜水士として、いまも月に1回は南三陸の海に潜り行方不明者の捜索を行っています。

◆遺留品が見つかった方角に手を合わす
潜水士としてずっと行方不明者の捜索を行ってきた。いま震災から4年4か月たって、本当に行方不明者が見つかるの?見つからないんじゃない?と言われることがほとんど。実際、身体がまるまる見つかることはほとんどないが、4か月前にも腰骨が見つかったりしている。いま宮城県には1242名の行方不明者がいるが、先月も3人の方が見つかって、身元がわかったりしている。
僕たちもガレキの撤去で潜ったら財布を見つけて、そこにクレジットカードが入っていて、名前からどこどこの集落の人だとわかったりする。そうすると、その集落で行方不明になっている人の家族は「自分の家族は太平洋のどこに行ったかわかなかったけれど、あのあたりに流れたのかもしれないなと思って、手を合わせてお祈りするだけでも、気持ちが落ち着く」と言ってもらえる。僕らが潜って、行方不明者の捜索をするだけでなく、なにか遺留物を見つけるだけで行方不明者の家族の方の癒しであるとか、心の支えになっているのではと思う。
実際子供たちを見ると「海水浴場で遊びたい!」という健気な思いがある。一方で、絶対わすれちゃいけないのが、震災でみんなつらい思いをしたけれども、家族がまだ見つかっていない人が一番苦しくて、どんなに明るい話題が増えても自分の心にはぽっかり穴が開いている。そこを忘れてはいけないと思う。忘れて楽しいことばっかりやっていては、それは違うよねと話している。そこを忘れずに、海で遊ばせてもらう、その両方をしっかり子供たちやボランティアの人たち、海で遊ぶ人たちにもわかってもらいつつ、海から離れるのではなく海と親しめる環境づくりを頑張っている。


手弁当で行っているこの取り組みで、いつまで続けていくのか葛藤することもあるけれど、子どもたちの成長や、サポートしてくれる人の声に支えられて続けていると、話してくれました。


★長須賀海水浴場の海開き★
長須賀海水浴場 ことしは8月1日から10日間限定でオープン!

長須賀海水浴場復活大作戦facebook


2015年7月22日

7月22日 南三陸町「長須賀海水浴場復活大作戦」

今朝は、宮城県南三陸町を舞台にした、民間ボランティアによるプロジェクト「長須賀海水浴場・復活大作戦」の話題です!

◆石巻市桃生町から来ました。
小さいときからずっとここに来てたので。石巻、牡鹿、雄勝など、全部砂浜だったんだけど、(震災で)だいぶなくなってしまった。ぜひとも(ここの砂浜は)なくさないでほしい。
◆登米市から来ています。
近くで泳げるところがここしかない。子供たちが海や水遊びが好きなので、残してほしい。夏になったら子供たちと一緒に泳ぎに来たい。砂浜自体が近隣からなくなってしまったので、せめてここだけは残してほしい


7月上旬、長須賀のビーチで水遊びをしていた方たちの声です。聴こえてくるのは、「やっぱり地元の海で遊びたい」という思い。

そんな地域の方の声にこたえる形で、民間のボランティア団体が取り組んでいるのが、南三陸町の「長須賀海水浴場復活大作戦」です。プロジェクトの中心人物、仙台出身の潜水士、勝又三成さんのお話です。

◆震災前は、白い砂浜が続いていた
南三陸町の歌津にある長須賀海水浴場というところ。震災前はここは約2キロの砂浜があって、その砂浜が北海道で使われるアイヌ語の「オタエツ」(白い砂浜がある場所)という名前から、ここの地名の「歌津」がお多恵津から歌津の人たちは自分たちの故郷の名前の原点であるこの砂浜を愛している。なにせまたきれいな海なので、年間平均3万人くらいの観光客が足を運び、民宿が立ち並ぶ人気の海水浴場だった。もちろん被災して砂浜がほとんどなくなってしまい、これから防潮ができたり、地盤沈下をしているという中で、ここは(町が運営を再開するのは)難しいだろうと言われている海水浴場。


震災で多くの知人、友人を多く失った勝又さんは、「自分になにかできることはないか」と考えて、震災の翌年、2012年の夏、つながりのあった南三陸の子供たちを沖縄の海に連れていきました。

◆やっぱり地元の海で泳ぎたい
ここの子供たち24名を沖縄に連れて行って、沖縄のビーチで遊んで、海がこんなにきれいなんだよ、海に慣れてほしい、安心してほしいという思いから連れて行った。沖縄の海はきれいで、きれいな海に行きたくなるのは自然なことと、割と安易な気持ちから子供たちを沖縄に連れて行った。ところが、子どもたちは「きれいな海」とか「どこの海」とかではなく、「誰と一緒に遊んだか」という想い出のほうが深い。沖縄に連れて行ったところ、「やっぱり地元の海で泳ぎたい」という子供たちの声に、衝撃を受けた。「なんで?」と子供たちに聞くと、「あの時●●ちゃんと一緒に深いところまで行ったことがスリル満点ですごく楽しかった」「みんなで砂浜に埋めあいっこして遊んだ、その記憶が楽しい」ということで、想い出はここ(南三陸)にある。いくら沖縄の海に行っても、海はきれいだが、故郷の想い出には勝てない。それを子供たちの口から聞いたときに、「あー、俺の考え方は安易すぎた。みんなの想いはここにあるんだ」と気が付いた。しかも家が流されて、友達がみんなバラバラの仮設に入っていくとか、県外に出て行って友達とも離れてしまう環境があって、みんなさみしいんだということがわかった。だったら、みんなの想い出の海はこんなにガレキだらけだけど、ガレキを自分たちでどけてみよう、みんなで毎週土日清掃活動をがんばろうねと。そこから4か月後にオープンした。
その間、自分たちの活動を知った世界中の人たちが助けに来てくれたり、福島で放射能の問題や津波で家を流された方たちが、こっちに来て、子供たちが頑張っているならと、重機を持ってきて砂浜を彫り上げて、埋まっているガレキを取り除いてくれたりとか。いろんな被災地の人たちや、全国、世界の人たちに助けてもらってできあがった海ですね。


防潮堤の工事の影響、また震災で駐車場やトイレが使えなくなってしまったことから、町は海水浴場の再開を断念している状態。そんな中、勝又さんたちが、クラウドファンディングも利用して、民間の力で海水浴場をオープンしたのは、震災2年後の2013年のこと。
今年も地元の小中高校生、民間ボランティアによるビーチクリーンを行い、8月1日の「海開き」に向けて準備を進めています。8月1日〜10日まで、10日間限定の海水浴場。150メートルの区域をプライベートビーチとして無料開放します。

LOVE&HOPE、明日も「長須賀海水浴場復活大作戦」の話題です。

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パーソナリティ 鈴村健一

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