2015年8月22日

8月19日 写真家 畠山直哉さん(2)

写真家、畠山直哉さんは、石灰石鉱山の写真集『ライム・ワークス』で一躍注目を浴び、鉱山の爆破の瞬間を撮影した『ブラスト』でも高い評価を得ました。一方で、都会のビル群や地下水路なども撮影。地域と都市。自然と近代化。その両面を畠山さんは写真を通して描き出してきました。

そんな畠山さんの故郷が、岩手県陸前高田市です。震災の津波は、市内を流れる気仙川をおよそ8キロ遡上し、畠山さん自身、津波で実家と母親を失いました。写真家としてこの体験をどう受け止め、作品に還元していくのか。
震災後、畠山さんは複雑な思いを胸に故郷陸前高田の風景を撮り続けています。

◆だから今撮っておく
最初のころは被災物を中心に撮っていた。壊れた家やガレキなど。それがだんだんなくなるから新しい工事を撮るようになる。でも土木工事を撮りながら、「あの下には家があったんだけどなあ」と思ったり。
これほどの土木工事が陸前高田で行われているというのは、たぶん陸前高田の歴史上初めて。これほど大規模な工事をたぶん東北の沿岸部は経験したことがない。津波ももちろん特別な出来事だったが、津波の後でこのように人間が自分たちの住む土地を新しく作っているということ自体が、また特別なこと。それが今まさに起こりつつある。
そのプロセスが終わったら、例えばベルトコンベアーなんかは今年の9月ぐらいから一斉に片づけられてしまう。今はすごくいろんなものが動いているように見えるが、吊り橋も撤去され、ベルトコンベアーも片づけられ、盛り土も終わり高台も終わり、ということになると、街はたぶん本当に静かなものになる。ひっそりとした。
その時点でどのようなことがあったのか思い出すのは、たぶん難しいと思う。だから今撮っておく。こうやって4年ちょっと過ごして、あの時撮っていた写真を今見るというのは、そのときは「こう見える」と思ってなかった見え方がするようになる。それは津波の前に撮っていた写真が、津波の後にみると全然違ったものに見えたのとちょっと似ている。津波の直後に撮った写真をいま見ると、そのときに見てた見え方とちょっと違ってきている。それはあの日から4年過ぎして、僕たちが別の心持になっているということもある。出来事はそういうふうに少しずつ変形されていものだと思う。どのような種類の写真や言葉や映像を見て、出来事のことを考えるかは結構大事なことだと思う。津波の直後の写真がいま見直される時期に来ていると思う。そのときに僕が撮った写真は、少なくとも僕にとっては非常に有用なものになっていると思う。この実感は4年たった今ある。ほかの人の写真ではなく、僕が撮った写真が僕に見せてくれるものがいっぱいある。同じように今撮っている写真も3年後、4年後、5年後、なにかの役に立つはず。少なくとも僕にとっては。そういう気持ちで陸前高田の写真をいま撮っている。


陸前高田市では、平成30年度までに震災後の新しい街づくりを完成させることを目標に掲げています。

畠山さんの創作の様子を追ったドキュメンタリー映画「未来をなぞる、写真家・畠山直哉」が現在渋谷の「シアター・イメージフォーラム」で公開されています。

2015年8月18日

8月18日 写真家 畠山直哉さん(1)

今朝は写真家 畠山直哉さんのお話です。

畠山さんは1980年代に写真家デビューし日本各地の石灰石鉱山やセメント工場をフィルムに収める一方、都会の建築物なども撮影。「自然と都市の関わり」をテーマに作品を発表し国内外で高い評価を得てきました。

そんな畠山さんの故郷が、岩手県陸前高田市です。

◆まさか陸前高田があのようになっているとは・・
その日は赤坂にある写真のラボにいて、大慌てで外に出たら建物がまるで柔らかいゼリーとかこんにゃくみたいに揺れていて、上のほうのベランダから子供が親を読んで泣いてる声がきこえていた。よく覚えている。ちょうど3時からNHKが宮城県の海岸部の津波の様子を映し始めた。それにくぎ付けになっていたけれど、まさか自分の生まれ育った陸前高田があのようなことになっているとは、まったく想像しなかった。


震災の津波は、市内を流れる気仙川をおよそ8キロ遡上し、地域に甚大な被害をもたらしました。気仙川沿いの畠山さんの実家も流されました。
震災から一週間後。畠山さんが目にした故郷の姿は、以前とは大きく変わっていました。

◆新しい段階に
震災後初めて故郷に足を踏み入れたのは3月18日。それ以前にオートバイで東京から向かったが、その道中で母がだめだったということを知った。そのころ撮っていた写真というのは悔しいとか、悲しいとか、腹が立つ、怒る、そういう感情が理由になって、シャッターを切ることが多かった。壊れた家やガレキを撮っていた。ただ2013年あたりから被災物が片づけられはじめられ、分別が進んだ。一方、新しい宅地を創るために大規模な土木工事が始まった。山を切ったり、土を盛ったり、海岸線を埋めてて防潮堤をつく始めたり。それで、写真を撮る意味がだんだん変わってきた。
昔あった「こういうもの」が「こんなになっちゃった」というのを写真に撮っていたわけだけど、「こんなになっちゃった」というものそのものがなくなってしまったから。例えば廃墟となった建物があって、その中に入って写真を撮ったりすると、すごく独特な気持ちになる。市役所のフロアーに書類が床一面に積み重なって、いっぺん濡れて乾いて埃っぽくなって。そういうのを見るのと「あー」っと思う。悔しいやら悲しいやら大変だという気持ちやら。
でもそういうものがなくなってしまう、片づけられてしまう。それで、地面が平らになって新しい土が盛られて、便利なグーグルアース的な視点で新しい線が引かれて、新しい道ができる。そうなると、記憶とか感情でシャッターを切るというのとはもうちょっと別の視点でシャッターを切るようになる。つまり2014年の頭くらいから、新しい段階に入った。


変わりゆく陸前高田を写真に収めるため、いまも毎月、故郷に足を運ぶ畠山さん。「記録」と「記憶」、両面から写真を撮り続けているといいます。
その写真は、写真集「気仙川」と「陸前高田「2011-2014」にまとめられています。

畠山直哉さんを追ったドキュメンタリー映画「未来をなぞる」が8月15日より公開
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パーソナリティ 鈴村健一

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