2015年9月7日

9月7日 4年半ぶりに避難指示解除 楢葉町の今(1)


◆楢葉町町長の帰町宣言
『本日、9月5日午前0時をもって、楢葉町に出されていた避難指示が解除され、町で止まっていた時計の針が再び動き始めたところであります。』

今朝は、9月5日(土)に避難指示が解除された、福島県楢葉町からのレポートです。
楢葉町は、町の大半が福島第一原発から20キロ圏内。原発事故直後から、すべての住民が 町外で避難生活を続けていました。あれから4年半が経過した先週末土曜日。政府はこの地域の避難指示を解除。全町民が避難した7つの町村では初となります。この解除を受け、町では式典も行われました。

ただ、、楢葉町の町民およそ7300人のうち、実際に避難先から帰ってくるのはその1割程度だと言います。町の復興推進課・猪狩充弘さんに、今後について伺いました。

◆少しずつ明かりが増えてくることを願って…
4月6日から準備宿泊をしていて、実際に登録されている人は780名ほど。夜の電気がつくのは120世帯弱。きょうの解除を契機として、その明かりが少しずつ増えてくるのかなと思っています。今回の解除では、町民の方のお話を聞いていて色んな不安の声もあった。病院の問題、買い物の環境など町民の方が満足する状況ではないが、仮設商店街や診療所のオープンの時期も見えてきた。一方で子どもの声が聴こえない町に将来は無いということで、これは解除と同時であれば良いのだが、単純にハードが整えばよいという話ではない。ご家庭ごとの事情もあるので解除になればすぐ、ということにはならない。環境をしっかり整えて子どもの受け皿を作る。解除になればすぐ何割という目標値を目指したいが、これは焦らず時間をかけてしっかり環境整備に務めていきたい。29年春ということで先日決定したところ。29年春に小中学校が。解除で預かり保育などは親御さんのお仕事の都合によって再開することになる。


お話に合った、診療所の再開は10月を予定。当面は隣町の医療機関への無料バスを利用する形となるようです。またお買い物。スーパーが1軒のみですが、高齢者のための「宅配サービス」があるそう。また、小中学校の再開は、再来年の4月。まだまだ再生までの道のりは遠く感じます。

そしてもうひとつ。「雇用」の問題についても伺いました。

◆原風景を取り戻したい
震災前から、原発関連で働いている方も多くいた。以前にあった雇用も、企業が避難しているため失職者もいるので新たな企業立地にも取り組んでいる。漁業についてはシャケ、平成5年か9年には本州一の遡上があった。11万匹ほどの銀鮭・白鮭と呼ぶもの。しっかり復旧して今年から稚魚を買い付けて少ない数だが放流をした。震災前の形に徐々に戻ってっくると思う。あとは風評対策をしっかりとっていく。そういうこと一つ一つが原風景をとりもどすということなんでしょうね。


◆住民の声
・となり近所がみんな帰れば私も帰りたいが、ぽつんと私だけ帰ったってね。昼間はいいよ明るいから。夜は寂しいもんね。
・私の場合は仕事の関係で戻ることを考えています。子どもはいないもんですからいつ帰っても大丈夫なんです。
・私は嫌いな方じゃなかったんです、こののんびりした町が。でも現実的に子どものことを考えると戻れないという状況なんですけど。。。
・まだ子供の幼稚園が始まらないし、だから再来年の4月に幼稚園が再開する時に帰ってこようかなと。


あすも楢葉町から、住民の声、その想いをお伝えします。

2015年9月3日

9月3日 「3.11を学びに変える〜あの日を語ろう、未来を語ろう」(3)

キッズナウジャパンが主催する講演会 「3.11を学びに変える〜あの日を語ろう、未来を語ろう」。宮城県東松島市出身の3人の高校生が、震災の記憶を語り、首都圏の学生たちと「震災や防災」について一緒に考えるプログラムです。

石巻高校1年の雁部那由多(ガンベ・ナユタ)君は、震災当時小学校5年生。すぐ目の前に津波が押し寄せるという壮絶な経験をしましたが、当時の小学校には「震災の話はタブー」という雰囲気が広がっていました。

ようやく震災体験を語り始めた雁部君。そこには、「震災の記憶を風化させてはいけない」という、強い想いがあります。

◆一番風化が進んでいるのは、被災地の子どもたち
『いま最も知ってほしいこと。「風化」という言葉はメディアでも報道されにくくなって考える機会が減ってくること。その風化について、大多数の方が考えるのは、被災地以外、例えばここ東京や沖縄などで、どんどん震災の話をせずに教訓を得ずに終わってしまうと思いがちだけど、僕が一番風化が進んでいると心配しているのは、被災地のこと。なぜかというと、被災地ではあんまり震災のことを語る、ということをしない。なぜなら自分たちの体験を持っているから。もう語る必要がないと思っている人も多くて、自分の体験があるからもうこれでいいんだと。でもそうすると、考える機会が減ってしまって、そこから学ぶことができないという状況になってしまう。
これから問題になってくるのはやはり「防災教育」。「釜石の奇跡」などを見ると、いままでの防災教育を無理やりでもなんでもやっていたから全員が助かった。そこにはやはり、被災地の体験を話すこと、災害を体験した人から二度と(同じ経験を)繰り返してほしくないというメッセージを繰り返し考えさせていたことが、あの結果につながったんだと思う。だから、これから大切になってくるのは語り継ぐこと。最終的には語り継いで、それを考えて、もっと広げていくこと。ぜひ今回語って出たことを自分自身で考えて、ぜひほかの人に伝えてもらいたい。親でも友人でも構わない。どんな小さなことでも構わないので伝えてほしい。』

また、プログラムには首都圏の高校生、大学生が参加。グループセッションを行い、「震災からなにを学び、伝えていかなければいけないのか」を一緒に考えました。
 
首都圏から参加した、文教大学4年の顆ひかるさんは教師を目指しています。
◆心の復興には時間がかかる
『文教大学教育学部社会専修4年の顆ひかるです。わたしがここに来たのは、自分が教師になったときに、やはり防災教育に力を入れていくべきだと思ったから。震災について子供たちが自分のこととして受け止めていけるのが一番いいことなんじゃないかと思って、「東日本大震災がありました」ではなく「東日本大震災があったから自分はどうするのか、被災地と呼ばれる場所でどう生きていくのか」というのを子供たちに考えられるような授業ができたらいいなと思っている。
(雁部君たちの話を聞いて)一番衝撃的だったのは、被災した方はあんまりそういう被災体験を語りたくないのかなと思っていたが、今回話をしてくれた3人が、「話すことで気持ちが楽になった」とか「伝えるという活動が自分の心の支えになっている」と。3人もすごく心が傷ついていて、自分でもまだ整理ができていないけど、徐々に人に話していける段階になったというのが大きいと思って、「心の復興を急ごう」とか思っちゃいけないんだなと。やっぱり時間が必要で、それを見守ってあげる人が必要なんだなと。その子が話したいときにそばにいてくれる誰かだったり、環境だったりを整えていくことが大事なんだなと。モノとかカウンセラーとか、そういうことじゃないんだと感じました。

今回の司会を務めた「小さな命を考える会」の代表、佐藤敏郎さんは、「“あの日”を語ることは決して過去を語ることではない。未来を語ることなんです」と話していらっしゃいました。


キッズナウジャパンのサイトでもレポートの様子がご覧になれます。

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パーソナリティ 鈴村健一

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