2015年9月10日

9月9日 4年半ぶりに避難指示解除 楢葉町の今(3)

今朝も、9月5日(土)に避難指示が解除された、福島県・楢葉町の町民達の「声」をお伝えします。

きのうは、お子さんを持つ2人のお母さんたちの声をお届けしました。今すぐ帰りたい気持ちはあっても、子どもや家族のことを考えると「帰れない」というお母さんと、幼稚園が再開したら「帰りたいです」というお母さん。どちらも子どもや家族、今の生活など複雑な環境をかかえ、心境は複雑です。

一方で、「やはり故郷に戻りたい」という気持ちで、この「解除の日」を迎えた方もいらっしゃいます。

◆特に不安はない
私たちの場合は、一番最初に避難したのはいわき市なんですけど、避難して一週間か10日くらい経過して会津美里町に移転しまして、そちらで避難生活を今でも続けてらっしゃる方もいますし、そちらは気候的に厳しいのでいわきに現在は町民の8割が戻っていますね。私も震災の年の10月に一旦は会津に行ったんですが仕事の関係でいわきに戻って来た状況。仕事の関係でどこに住むかは決めていないけど、楢葉町の社会福祉協議会の職員ということで、楢葉町で最終的には仕事をする気でいるので戻ることを考えています。一応奥さんがひとりいるだけで子どもはいないのでいつ帰っても大丈夫なんです。特に不安は私は無いですね。妻は買い物、医療、そして防犯の不安はあると思いますが、まずは誰かが戻らないと。次から次へと戻ってくる方はいないのかな。高齢者の方が戻るのであれば、高齢者の方が不自由しないような環境を作れば、少しずつ戻ってくるのかなとは思います。


「不安はない」、楢葉町 社会福祉協議会の職員フクイコウジさんはそうおっしゃっています。

ご高齢の方にも伺いました。

◆避難で亡くなった旦那が「帰りたい」と言っていた…
「どんな想い」って言われてもね。やっぱり何にもできていないでしょ。帰ると行っても「じゃあすぐ帰ります」というわけにはいかないんですよね。だからある程度、お医者さんができたり買い物ができるところが完成したら帰りたいなというのはあるんですよね。家もまだ直している最中なんですよね。10月一杯はかかるかなと思っていて、そしたらちょこちょこ泊まりに行ったりという状態は続くと思うんですよね。まるっきり帰るのはなかなか大変かなって思うんですけどね。隣近所がみんな帰ればね、私も帰りたいというのはあるんですけど、なかなかね。だってポツンと私ばっかり帰ったってねえ。隣近所がいなかったら。昼間はいいよ明るいから。夜は寂しいもんねえ。(避難解除と聞いてどう思いましたか?)それは嬉しいよ。だってずっと仮設に入って四畳半二部屋しか無いんですよ。そういうところで暮らすのはやっぱり大変だった。だって隣近所のいびきだって、私らのいびきも聞こえる状態で暮らすのはやっぱり大変だった。うちの人もこの避難で亡くなったもんですから、やっぱりこっちには仏様は仮設においてあるんですけど、うちに帰りたいと行っていたから、やっぱり早くつれて帰りたいというのはあります。一緒に帰ろうという感じですよね。息子は孫ができるから、戻って生活するというのは無理かなと言っている。だからいわきに残るようになるわけ、若い人らはね。私一人は帰りますけど・・・。


避難指示が解除された、福島県楢葉町の町民の方々の「声」をお伝えしました。

先祖代々の土地で、ずっと暮らしていた家で人生を全うしたい。そう考えるお年寄りの声。胸が痛くなります。一方、子どもがいるから楢葉にはもどれないという若い世代もいます。避難指示の解除が、元々一緒に暮らしていた家族をバラバラにしてしまうケースもあるということです。

LOVE&HOPE、明日も、楢葉町の住民の声をお伝えします。

2015年9月8日

9月8日 4年半ぶりに避難指示解除 楢葉町の今(2)

9月5日(土)、福島県・楢葉町の避難指示が解除されました。原発事故以降4年半に渡り、故郷から引き離されて来た楢葉の人々は、この避難指示解除を、どう受け止めているのでしょうか。

町民7300人のうち、現段階で楢葉に戻るという人は 1割程度。中には、インフラなどが整ってから検討するという方もいますが、その心中は複雑です。今朝は、楢葉町の町民達の「声」をお伝えします。

◆正解が分からないから難しい
いまはいわき市です。まだ子どもの幼稚園が始まらないし、再来年の4月に幼稚園が再開する時に帰って来ようかなという。最初は会津に避難していたんですけど、会津からいわきにくるのは、原発に近づく感じがあって怖かった。実際に来て見ると普通にみんな生活しているし、すぐ慣れたというか。こっち(楢葉)に旦那の仕事があるから通うのも毎日たいへんだし、そう考えると近くにいた方がいいかなと考えたんですね。それでも、、、いいのかなって考えちゃいますよね。「子どもがいるのに帰るの?」って思われるじゃないですか、普通に考えたら。小さな子どもがいるのに帰って大丈夫かなとか。楢葉出身ではない、いわきの友達とかには「帰る」と言えなくて。線量的には変わらないんですけど、離れている分そっちのほうが安全だという印象があるらしくて。帰ると言っている本人にも分からないから難しい。正解が分からない。


コヤマユリカさん(25歳)は現在、いわき市の仮設住宅で暮らしているということです。一方、帰りたい気持ちはあっても、現実は厳しいと話す方もいます。同じく20代の母親・サトウユキコさんは、避難指示解除をこう捉えています。

◆いまさら、という感じ。
「そうですか」って感じですかね。嫌いな方じゃなかったんですよ。こののんびりした町が。なので突然こういう封になって、戻りたい気持ちはあるけど現実的に放射線の不安はあるので、子どものことを考えると戻れない状況。私自身だけだったら戻っていたかなと思います。というのも、来たくて来た場所に住んでいて、嫌いなわけじゃないけど窮屈感を感じているので、疲れてしまったというか。そういうのもあったり。(ご主人は避難先でお勤めして生活環境が出来上がってしまった?)そうです。正社員で雇って頂いていて軌道に乗って来ています。そうなんですけど・・・波があるんですよね。今のままでいいんじゃないか、というのと、やっぱり戻りたいというのと。子どものことを考えると、その選択はないなと。(小さなお子さんを抱えている楢葉出身のママ友達と話し合うことは)ありません。たまたま私の周りはそうだったのかも知れないですけど、楢葉の話し、放射線の話しは、なかったことじゃないですけど・・・(ちょっと触れちゃ行けない)そういう感じ。震災当初からそういうのはあったんですけど、それが普通になっちゃったというような。私は話したい方だったんですけど、そういう話しが出ると終わっちゃうんですよね。いまさら、という感じなのかな。それぞれ生活ができて来て。


取材に答えて下さった女性のように、すでに避難先で生活の基盤を整えた方も大勢います。
実際、楢葉の集落によっては、3割の世帯が避難先で自宅を再建して新たな生活を始めています。

また、町のアンケートによれば、楢葉の町立小中学校に「通学する」という児童・生徒数は、全体の7%程度にとどまるということです。

明日も、楢葉町の住民の声をお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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