2015年9月14日

9月14日 関東・東北豪雨 茨城県常総市のボランティア受け入れについて

今朝は予定を変更して、先週 関東・東北を襲った記録的な豪雨・水害の現場から、ボランティアに関する情報をお伝えします。

取材したのは、鬼怒川の決壊でおよそ4000人が各避難所で避難している茨城県常総市です。きのう13日(日)、「県」のボランティアセンターが開設。“県内の方”に限り、ボランティア受け入れがスタートしています。ボランティアセンターがあるのは、避難所のある常総市石下総合体育館です。
受け入れの状況について、県の担当者に伺いました。

◆いま必要なボランティアは
やはり住めるところがないと避難生活は解消できないので片づけのニーズが一番大きい。水はどんどん引いているが引いていないところもあるので、水の引きをみながらみなさんが帰っていかれて、その時に家の片づけが必要になる。長期の取り組みになると思う。現在は県内からの受け入れとしている。200名くらい。これを徐々に増やす予定ではあるが、現時点ではまだ200名くらいしか受け入れ能力が無いということと、現場はまだ相当混乱していて、みなさんが押し掛けるのはありがたいことではあるが、交通渋滞も問題になっており、全国から来て頂くにはなかなか現場の受け入れ態勢が整っていないのを分かって頂けるとありがたい。


すでに今日・月曜日の受付は茨城県HPにも出ています。
・「支援物資の仕分け」200名⇒石下総合体育館のボランティアセンターで受付
・被災した家屋の片付けなど300名⇒水海道総合体育館で受付
・ほか避難所の運営支援も40名ほど受付けています。
・マスク、軍手、長靴、食事や飲み物など、持参が必要なものもあります。
 詳しくは県HPをしっかり確認して下さい。
★茨城県災害ボランティアセンター

繰り返しますが、あくまで「県内の方」を対象とした募集だということです。

そして支援物資について。食べ物・飲み物・日用品はかなり「足りている」ようです。これから必要になるものは、避難された方の聞き取りをして情報整理しています。ただし、個人の受付はしてません。個人の方が物資を送るのは控えましょう。

さて、そのボランティアセンター、きのうもあさ9時から受付があり、近隣の方が大勢 ボランティアに参加していました。

◆何かしなければ。自分に出来ることを・・・。
●40代男性
となりのつくば市から来ました。つくば市内はほとんど無傷で、隣は被災された状況なので何かしないとというただそれだけ。朝一通り被災した場所を見てきたがまだ危険な場所はたくさんあるみたいなので気を付けて作業したいと思います。
●下妻第一高校の女子高生
・ボランティアに参加しようと思ってきました。友達や知り合いの人たちが被災して、家が浸水してしまったり避難所にいたり。きのう一日家にいたんですけどテレビなどの報道を見て自分に出来ることを探そうと思って今日のボランティアに参加しようと思いました。
・床上浸水をしてしまって畳を出さなきゃいけない人のお手伝いをしてきました。高齢の方が住んでいるお家だったので自分の力だけでは片付けができないので、私たち若者ががんばらなきゃいけないなと感じました。


詳しくは県のHPのボランティアセンターの情報、そして、常総市も今日からボランティアセンターを開設するので、それぞれHPをしっかり確認して下さい。あくまで県内・近隣の方のみ、受け入れをしています。

★県災害ボランティアセンター
★常総市災害ボランティアセンター


また、13日(日)の時点で鬼怒川の東側は道路が冠水しているところも多く、広い範囲で冠水は広がっています。

クルマが通れない道もたくさんありました。使える道路も、ボランティアのクルマ、処分する家財道具などを運ぶトラックで、渋滞が多く見られたので、とにかく情報を確認して行動する必要があります。

2015年9月10日

9月10日 4年半ぶりに避難指示解除 楢葉町の今(4)

9月5日(土)に避難指示が解除された、福島県・楢葉町の町民達の「声」をお伝えしています。

お話を伺ったのは、高原カネ子さん。
楢葉町の職員を経て、震災前は着物の布を使った民芸品の教室を開きながら、地元の子どもたちのために、太鼓の指導者もしていた女性です。原発事故の後は、各地を転々と避難し、ここ数年はいわき市で娘さん夫婦やお孫さんと暮らしていました。

避難指示が解除される前の、楢葉のご自宅の様子を高原さんはこう話します。

◆この家に戻れるとは思っていなかった
我が家がもうジャングルなんですね。あの時おっこったどんぐりの実が、直径5−6センチに育っています。それが至るところで私の知らない樹木がいっぱい育っているのね。そこにツタが絡み込んで屋根まで上っていた。例えればトトロのめいちゃんが最初のシーンで引っ越した家がありますよね。あれくらい。これをもとに戻してこの家に住むのはできないと思ったんです。それが町、国の本格的な除染が始まったら、周りの草は刈ったし、土も3センチか5センチに取り換えたでしょ。そうしたら見違えるぐらいきれいになって「戻れる」と。そうなったら帰りたい気持ちは募ってきますよね。


そして今年4月、楢葉町では解除に向けた『準備宿泊』が始まり、高原さんはいわき市から楢葉へ通うように。最初は「楢葉に行ってくる」と言っていたのですが、徐々に「楢葉へ帰ってくるね」と家族に声をかけて出かけるようになったと言います。

◆この4年半はなかったに等しい
今年の4月3日、「準備宿泊」の開始日。お布団と炊飯ジャーを玄関に運び込んで夫の位牌とともに帰ってきて、仏さんを仏壇に安置した時はすごくうれしかった。それからこれはひいき目なんだろうね、4月だったのでウグイスのさえずりが始まった時で、「いわきのウグイスよりも鳴き方が上手!」って思ったりね。どんどん増していきますよね。この4年半はなんだったのって。無かったに等しい。もう忘れたいのか思い出したくないのか分からないけど、ここにずーっと住んでいて何事も無かったみたい。例えば坂を下りてきて、目の前に中間貯蔵施設に行くべきゴミがあっても、別にそれが真に迫って不安だったりしないし。帰ってくるにあたって私はすべてを信じようと思ったんです。例えば木戸ダムの水も、国が大丈夫だと言えば大丈夫なんです。線量がなんぼですよと言われても、だから何?っていう感じ。


高原さんは、着物の布を使った民芸品・和布細工の教室を楢葉のご自宅でも再開。お買い物など不便なことは多いようですが、「それも苦にはならない」と言います。67歳になった高原さんは、なにより、故郷で生活ができることを、本当に喜んでいる様子でした。

◆次に帰ってくる人のためにも元気に楢葉で暮らしたい
それぞれの事情が違うんだと思う。例えば仕事の基盤ができた、生活の基盤も4年半も経過すれば非日常から日常に戻っているはずですからね。でも帰れる時が来たら必ず帰りたいという人は多い。
その日のために私みたいな誰かが帰っていなかったら、私みたいなものが300人でも500人でもいて、3年5年すぎればこそ、その人たちが帰ってこられる町になるんだと思っているので。それには先人がいなければダメですよね。その帰って来た先人が、「やっぱり楢葉ってさみしくて怖くてダメだわ」と発したら、もう次は続かないと思うんです。楢葉に帰って来た年寄りの人たちはなんだかみんな元気そうで、なにやってんだか笑って暮らしていて病気もしなくなっちゃったよ、とそうなればこそ、世話もすっことねんだら帰るかと。だから私たちがいつまでも元気でね、なんとかコロリといくまでね(笑)元気で良い見本を見せなきゃいけないんだなと話しながら縫物をしています。


実は高原さんは、楢葉に帰ってからずっと美容室に行かずにいるそう。それは、楢葉町に理髪店が再開するのを待っているから。隣町に切りに行くことはできますが、あえて切らずに待っているそうです。周りの人に「髪の毛のびたねえ」と言われても、「シャンプーと毛染めが大変なの」と、笑って話しているそうです。
最後に高原さんは、「もう被災地じゃない。胸を張って生きていきたい」と力強く語ってくださいました。

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パーソナリティ 鈴村健一

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