2015年9月24日
9月23日 富岡レインボーステーション(1)
今日は福島から、〔子どもたちがつくるラジオ番組〕の話題です。
原発事故の影響で「全町民避難」が続く、福島県富岡町。臨時災害FM「おだがいさまFM」も、郡山市の仮設住宅にある「おだがいさまセンター」から放送を続けています。そして「おだがいさまFM」では、富岡の小学5年生のラジオ番組づくりをサポート。このLOVE&HOPEでもご紹介してきました。
昨年度、番組づくりを担当したのは当時の五年生、ツバサ君、コウシ君、サクラちゃんの3人。自分たちでタイトルを考えたり、街の人にインタビューしたり、〔番組をつくる〕という経験を通して大きく成長したようです。
富岡第二小学校、伏見伸一郎校長のお話です。
◆マイクを通して成長した3人
『とってもシャイだったり、はっきりしゃべれなかったり、言いたいこともあるんだけど言うまでにすごく時間がかかったりする子供たちだったが、二学期の放送を聞いたときにそれがすごく解消されて、フリートークがうまくなっていた。ずいぶん成長したよねと担任の先生と話していた。しゃべり方ひとつにしてもうまくなったし、自信を持ってしゃべれるようになった。番組づくりの過程において、地域の方とお話したり、たくさんの人たちの前でマイクを出したりと、そういう活動を通して彼らが自信をつけてくれたのかなと。本当に成長した。』
そして迎えた新年度。今度は、新しく5年生になった7人のメンバーがラジオ番組づくりにチャレンジしています。今年度の目標は、富岡出身の10代から80代の各世代の人にインタビューすること。番組のタイトルは、「いまこそ発信☆富岡レインボーステーション」です♪
♪「富岡レインボーステーション」♪
それでは記念すべき第一回目のインタビュー。一回目は富岡町の50代の代表、イトウヤスユキさんです。
ネネちゃん「わたしが(富岡町で)一番思い出に残っているのは幼稚園です。幼稚園はいまどうなっているんですか?」
イトウさん「最初のころは、幼稚園だけでなく富岡町に誰も入れなかったので、草が生えたり、避難した当時倒れたものがそのままになっていたりした。いまもなかは変わらないが、外側はきれいに草を刈ったり、除染をしたりして、きれいになっています」
ハルトくん「ではイトウさんの(富岡町の)想い出はなんですか」
イトウさん「昔はゲームとかがあんまりなかったから、いろんな遊びを考えた。かなり危ない遊びをしました。みんなはマネしちゃだめなんだけど、海が荒れているときに砂浜を走ったり、稲刈りしたあとの田んぼに稲を積んで秘密基地をつくったり。外で走ってばかりいました」
富岡町では震災前、町内の2つの小学校におよそ900人の児童が通っていましたが、現在、避難先の富岡小学校 三春校に通うのは、15人。
ラジオ番組づくりは、そんな子どもたちが、富岡町の人たちと交流し故郷のことを知る機会になっています。
原発事故の影響で「全町民避難」が続く、福島県富岡町。臨時災害FM「おだがいさまFM」も、郡山市の仮設住宅にある「おだがいさまセンター」から放送を続けています。そして「おだがいさまFM」では、富岡の小学5年生のラジオ番組づくりをサポート。このLOVE&HOPEでもご紹介してきました。
昨年度、番組づくりを担当したのは当時の五年生、ツバサ君、コウシ君、サクラちゃんの3人。自分たちでタイトルを考えたり、街の人にインタビューしたり、〔番組をつくる〕という経験を通して大きく成長したようです。
富岡第二小学校、伏見伸一郎校長のお話です。
◆マイクを通して成長した3人
『とってもシャイだったり、はっきりしゃべれなかったり、言いたいこともあるんだけど言うまでにすごく時間がかかったりする子供たちだったが、二学期の放送を聞いたときにそれがすごく解消されて、フリートークがうまくなっていた。ずいぶん成長したよねと担任の先生と話していた。しゃべり方ひとつにしてもうまくなったし、自信を持ってしゃべれるようになった。番組づくりの過程において、地域の方とお話したり、たくさんの人たちの前でマイクを出したりと、そういう活動を通して彼らが自信をつけてくれたのかなと。本当に成長した。』
そして迎えた新年度。今度は、新しく5年生になった7人のメンバーがラジオ番組づくりにチャレンジしています。今年度の目標は、富岡出身の10代から80代の各世代の人にインタビューすること。番組のタイトルは、「いまこそ発信☆富岡レインボーステーション」です♪
♪「富岡レインボーステーション」♪
それでは記念すべき第一回目のインタビュー。一回目は富岡町の50代の代表、イトウヤスユキさんです。
ネネちゃん「わたしが(富岡町で)一番思い出に残っているのは幼稚園です。幼稚園はいまどうなっているんですか?」
イトウさん「最初のころは、幼稚園だけでなく富岡町に誰も入れなかったので、草が生えたり、避難した当時倒れたものがそのままになっていたりした。いまもなかは変わらないが、外側はきれいに草を刈ったり、除染をしたりして、きれいになっています」
ハルトくん「ではイトウさんの(富岡町の)想い出はなんですか」
イトウさん「昔はゲームとかがあんまりなかったから、いろんな遊びを考えた。かなり危ない遊びをしました。みんなはマネしちゃだめなんだけど、海が荒れているときに砂浜を走ったり、稲刈りしたあとの田んぼに稲を積んで秘密基地をつくったり。外で走ってばかりいました」
富岡町では震災前、町内の2つの小学校におよそ900人の児童が通っていましたが、現在、避難先の富岡小学校 三春校に通うのは、15人。
ラジオ番組づくりは、そんな子どもたちが、富岡町の人たちと交流し故郷のことを知る機会になっています。