2015年10月8日
10月8日 福島県飯舘村「かーちゃんの力プロジェクト」(2)
今日も、福島で農業を営む、渡邊とみ子さんのインタビューです。
![](/cms/thumbnails/7b/7bb6fb7abe52ee8f158ad3f86fa39308.jpg)
渡邊とみ子さんは震災後、原発事故の影響で福島県飯舘村から福島市内に避難。避難先で土地を開墾して、飯舘村オリジナルの野菜を作り続けています。また、ふるさとの「おふくろの味」を継承しようと、「かーちゃんの力プロジェクト協議会」も立ち上げました。県内外の「かーちゃん」たちとネットワークを結んでお惣菜、お菓子、漬物、お餅などの製造・販売に取り組んでいます。
一方、飯舘村は来年4月の帰村を目指して作業を進めているところ。避難後、生活の基盤を福島市内に設けたとみ子さんの想いは、複雑です。
◆帰村宣言でまたバラバラに
飯館村もいずれ、来年、再来年には「帰村」ということが言われている。その中で、復興住宅が建っているところもある。借り上げ住宅に入っている方、家を建てた方、それぞれの道を歩み始めている。帰る人、帰らない人。わたしのように福島市内に家や加工場を建てたりすると、そこからなかなか離れることができない。気持ちの整理がつかない人もたくさんいると思う。そういう人たちが、行政による「帰還宣言」によって、住所を村なのか避難先なのか、決めなければいけないというのが、精神的に自分の中で消化できるかなというのが、いまわたしの中でつらいところ。「かーちゃんの力プロジェクト」では、自らが避難者でありながら、そういった同じ避難者を支援している。もっともっと次世代につないでいくということを意識してやっている。「あぶくま食の遺産継承事業」というのがあって、それぞれのかーちゃんたちの生き方、どういうときにこの料理ができたかということが、(震災後の)避難で、失われてしまいつつある。味噌ジャガにしても、いかにんじん、ひき菜炒り、凍み大根。本当に「凍み文化(しみぶんか)」というものができなくなってしまった。そういう文化を遺したい。そこで、「ふるさと・かーちゃんの味を伝えます、広めます、届けます」という三本柱でやっている。
わたしの場合は、食と農に関わるところでやってきて、「広める」という思いはあっても社会はそんなに簡単なものじゃない、世間はそんなに甘いものじゃないということを肌で感じているので、村に戻ってすぐに生産をしても、おそらく除染をしたところでは(放射線量は)国の基準以下になるとは思うが、いまようやく、こうやってイベントもできますが、それが本当にこれからのスタートのプラスできるかどうか。(ここからまた村に)戻る、そのエネルギーはない。時間もないしエネルギーもない。だから本当に「帰村宣言」が出たときに、もう一回飯舘村の荒れた土地を耕してというのは、相当覚悟のいることだと思う。であれば、自分の最初の夢や目標のためには、いまある環境で頑張ってやるしかない、というのがわたしの答え。
![](/cms/thumbnails/06/06a6424a8b3fd41dad223f7378010c3b.jpg)
お話に出てきた、福島県阿武隈地方の「凍み文化(しみぶんか)」。
例えば「凍み餅(しみもち)」は、よもぎなどを餅に練り込んで、軒先につるし冬の寒気にさらした地域の伝統食。保存食としても重宝しました。味が凝縮した「凍み大根」や「凍み餅」は田植えの時のごちそうでもあったと言います。
「かーちゃんの力プロジェクト」の商品は、福島市内にある「あぶくま茶屋」で販売しているほか、プロジェクトのオフィシャルサイトでも購入できます。
またプロジェクトは、10月17日(土)東京の国際フォーラムで行われる「ふくしま大交流フェア」にも出店します。
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渡邊とみ子さんは震災後、原発事故の影響で福島県飯舘村から福島市内に避難。避難先で土地を開墾して、飯舘村オリジナルの野菜を作り続けています。また、ふるさとの「おふくろの味」を継承しようと、「かーちゃんの力プロジェクト協議会」も立ち上げました。県内外の「かーちゃん」たちとネットワークを結んでお惣菜、お菓子、漬物、お餅などの製造・販売に取り組んでいます。
一方、飯舘村は来年4月の帰村を目指して作業を進めているところ。避難後、生活の基盤を福島市内に設けたとみ子さんの想いは、複雑です。
◆帰村宣言でまたバラバラに
飯館村もいずれ、来年、再来年には「帰村」ということが言われている。その中で、復興住宅が建っているところもある。借り上げ住宅に入っている方、家を建てた方、それぞれの道を歩み始めている。帰る人、帰らない人。わたしのように福島市内に家や加工場を建てたりすると、そこからなかなか離れることができない。気持ちの整理がつかない人もたくさんいると思う。そういう人たちが、行政による「帰還宣言」によって、住所を村なのか避難先なのか、決めなければいけないというのが、精神的に自分の中で消化できるかなというのが、いまわたしの中でつらいところ。「かーちゃんの力プロジェクト」では、自らが避難者でありながら、そういった同じ避難者を支援している。もっともっと次世代につないでいくということを意識してやっている。「あぶくま食の遺産継承事業」というのがあって、それぞれのかーちゃんたちの生き方、どういうときにこの料理ができたかということが、(震災後の)避難で、失われてしまいつつある。味噌ジャガにしても、いかにんじん、ひき菜炒り、凍み大根。本当に「凍み文化(しみぶんか)」というものができなくなってしまった。そういう文化を遺したい。そこで、「ふるさと・かーちゃんの味を伝えます、広めます、届けます」という三本柱でやっている。
わたしの場合は、食と農に関わるところでやってきて、「広める」という思いはあっても社会はそんなに簡単なものじゃない、世間はそんなに甘いものじゃないということを肌で感じているので、村に戻ってすぐに生産をしても、おそらく除染をしたところでは(放射線量は)国の基準以下になるとは思うが、いまようやく、こうやってイベントもできますが、それが本当にこれからのスタートのプラスできるかどうか。(ここからまた村に)戻る、そのエネルギーはない。時間もないしエネルギーもない。だから本当に「帰村宣言」が出たときに、もう一回飯舘村の荒れた土地を耕してというのは、相当覚悟のいることだと思う。であれば、自分の最初の夢や目標のためには、いまある環境で頑張ってやるしかない、というのがわたしの答え。
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お話に出てきた、福島県阿武隈地方の「凍み文化(しみぶんか)」。
例えば「凍み餅(しみもち)」は、よもぎなどを餅に練り込んで、軒先につるし冬の寒気にさらした地域の伝統食。保存食としても重宝しました。味が凝縮した「凍み大根」や「凍み餅」は田植えの時のごちそうでもあったと言います。
「かーちゃんの力プロジェクト」の商品は、福島市内にある「あぶくま茶屋」で販売しているほか、プロジェクトのオフィシャルサイトでも購入できます。
またプロジェクトは、10月17日(土)東京の国際フォーラムで行われる「ふくしま大交流フェア」にも出店します。