2015年10月13日

10月13日 南相馬市小高区 藤島昌治さん(2)

作家の渡辺一枝さんが、2012年3月から続けているトークイベント『福島の声を聞こう』。一枝さんは、震災直後から毎月福島に足を運び、各地で聞き取りをする一方、福島で生きる当事者の方を東京に招いて、トークイベントを続けています。

今回の語り手は、福島県南相馬市小高区出身の藤島昌治さんです。
小高区は原発事故の直後から「警戒区域」に指定され、全住民およそ1万1千人の避難生活が続いています。藤島さんは、避難先の仮設住宅で自治会長を務め、仮設で暮らすお年寄りの暮らしと健康に気を配っています。

◆4畳半1つにベッドを押し込んで
仮設住宅は想像以上に大変なところ。85歳で4畳半がひとつ。高齢になると起き伏しにベッドが必要だが、4畳半1つのところにベッドを押し込んで暮らしている。学生さんのように昼間は外出して寝に帰るだけならそれでもいいのかもしれないが、お年寄りは朝から晩までそこで暮らしている。24時間暮らすには大変なところ。そういう人たちを、なるべく部屋に置かずにみんなと一緒にお話ができるようにと、いろんな方法を考える中で、空き地を借りて公園やお花畑をつくって、土いじりをしてもらうとか。子ヤギを飼ったところ、あんまり集まりには出てこられない方も、ヤギに餌やりをしたいがために出てくるとか、そういう方法を模索しながらやっている。

(一枝さん)でも、藤島さんのご自宅があったところは、小高区でも津波の被害がなかったところ。でも小高区でも津波の被害があったところもあるし、原町区や鹿島区でも津波の被害が大きかったところがある。津波の被害があって、ご家族を亡くされて、ご主人一人が遺されたという方も何名かいらっしゃるが、そういう方は本当に大変。

実際のところわたしたちは「核災害」と言われているが、実は津波の被害も大きいところだった。南相馬市だけで569名。これはダントツに大きい。また原発事故のせいで避難地域になったことから、誰もそこに入ることができなかった。1年間放置され、復興そのものがまるまる1年遅れた。津波で亡くなった方も、そのときすぐに探せば見つかったものを、1年間そのまま誰も探しにいかなかったことから、見つからなかった遺体もたくさんある。
それに加えて、非常に多いのが、震災関連死。南相馬市だけで460名ほどある。なおかつ自死なさる方がまだいる。去年も90歳を過ぎた方が自ら命を絶った。90歳を過ぎて、自らの命を絶たなければならない、この苦しさはなんなんだろうと思う。


※現在、来年4月の避難指示解除を目指して、除染作業やインフラ整備などが進められている。
※一方、小高地区周辺は、除染した廃棄物の仮置き場になっていて、近くには仮設の焼却施設もあるということ。
※放射性廃棄物の処理やそれらの施設が今後どうなっていくのかも、地域の方たちにとって心配なところ。

2015年10月13日

10月12日 南相馬市小高区 藤島昌治さん(1)

作家の渡辺一枝さんが、2012年3月から続けているトークイベント『福島の声を聞こう』。一枝さんは、震災直後から毎月福島に足を運び、各地で聞き取りをする一方、福島で生きる当事者の方を東京に招いて、トークイベントを続けています。

今回の語り手は、福島県南相馬市小高区出身、現在は南相馬市鹿島区の仮設住宅に入居し、自治会長を務める藤島昌治さん。仮設住宅で暮らすお年寄りの様子など中心にお話されました。

仮設住宅の80歳のつぶやき
わたしは福島県南相馬市の小高区の出身で、原発にほど近い15キロぐらいのところに住んでいましたが、震災後避難を余儀なくされて山形に移り住み、7回ほど引っ越しを繰り返して、いまの南相馬市鹿島区の仮設住宅に入居しました。そこでなんの拍子か自治会長になり、一緒に入居されている方たちとお話をするようになり。その中に85歳のおばあさんがいて、こういうことを言う。
「わたしは戦争を体験したが、そのときよりも今度の震災のほうがはるかに苦しい」と。一番の苦しさは家族と離れ離れになったこと。仮設に入るときに子供たちと別れなければならなかったと。「お母さんはもう85歳だからこの仮設でもう死ぬかもしれない。でもあんたたちは心配しなくていいよ。わたしはわたしなりにやっていくから」という話を気丈にしてくれて、「80歳のつぶやき」として、集会所の壁に張った。それをボランティアに来てくれた「日本の伝統食を守る会」の方が、もしほかにも書いてあるものがあれば本にしましょうと言ってくれて、それで本にした。

「80歳のつぶやき」
例えばここでこのままわたしが死んだとしても 
驚かないでください、あわてないでください
あの日別々の暮らしが始まったとき、わたしには覚悟ができています
仮設に移ってから2回目の冬が来て
一人暮らしは思っていたよりはるかにつらいものです
明かりを消してもぐりこんだ布団の中で
わけもなく涙がこぼれたり、大声で叫ぶ苛立ちもある

それでも仮設住宅は嫌なことばかりでなく
80歳すぎのきたないばあさんに
やさしく声をかけてくれる人がいたり散歩に誘ってくれたりもする
カラオケが年甲斐もなくうれしかったり楽しかったり
心が弾んで、臆病者のわたしが身の上話をしたり
ここでの暮らしもまんざらでもなく
確かに先の見えない不安がないわけではないが
まあこんなものか、と


このようにおっしゃてくださって、これは書き留めておかなければいけないなあと思って書き留めた。そういったことを何度か繰り返すうちに、こういった仮設の現状や核災害の恐ろしさを、ここから発信していかなければいけないんじゃないか、と思うようになりました。


藤島さんは仮設住宅の自治会長さんとして、入居者のお年寄りの相談相手となったり、心のケアにあたったりしてきました。一方、藤島さんは「詩人」でもあって、詩集「仮設にて〜福島はもはやフクシマになった〜」には、藤島さん自身の想いや心の叫びが綴られています。
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パーソナリティ 鈴村健一

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