2015年10月15日

10月15日 南相馬市小高区 藤島昌治さん(4)

作家の渡辺一枝さんが主催する『福島の声を聞こう』は、福島で生きる当事者の方を東京に招いて、その話を伺うトークイベントです。

今回の語り手は、福島県南相馬市小高区出身の藤島昌治さん。
小高区は、原発事故の直後から「警戒区域」に指定され、全住民およそ1万1千人の避難生活が続いています。全住民の避難生活が続く中、藤島さんは避難先の仮設住宅で自治会長を務めながら地域のお年寄りの見守りを続けています。

また藤島さんは、仮設住宅の様子や現状を「詩」にしたためています。

◆詩でつづる福島のいま
もっともっと福島の現状を伝えていくのがわたしの務めかなと思って、いま少し書いているものがある。それを読みます。近くに姉がいるので、その姉とのやりとり。

『泣かせるじゃないか』

久しぶりに姉に会った。
「もう少しだね」とポツリ。
なんのことかと思ったら、僕の先行きのことだった。

「まだ避難解除にはしばらくあるから」と答えると、
「うちに来れば?」と言ってくれた。

姉のところは年寄夫婦だけとはいえ、とんでもないことです。

そんなところに行けるわけもなく、行くはずもなく。
「どこか探すよ、どうにかなるよ」とお気楽ぶって言ってはみてもあてもなく。

帰りに持たせてくれた茄子のからし漬けをつまみに、
居酒屋四畳半は焼酎の涙割りの客が一人だけです。


『90歳のお正月』

なあ、ばあちゃん、歌でも歌うべ。
息子もいねえ、嫁もいねえ、孫もいねえ。

この歳して二人して、仮設住宅でお正月だなんて。

おっきな声張り上げて、北国の春でも歌うべ。
ばあちゃんは美空ひばりでも歌え。

死ぬ間際になって、地震だ津波だ原発事故だなんて、とんでもねえ。
ひどい目にあったけど、俺はここの仮設でよかった。

せまっこいとこさ押し込められて、ばあちゃんはしんどかったかもしんねえが、
みんながよくしてくれてさ。

90も過ぎてしまえばこのままここで死んでしまうかもしれね。

楽しくいくべ、仲良くやるべ、歌でも歌うべ。

もし何年かして、まだ元気で、もどるうちさ帰ったら、
みんなに来てもらって、ごちそういっぱいつくってさ、
花見でもしてさ、酒っこ呑んで歌ったり踊ったり、
どんちゃん騒ぎをしてみてえもんだ。

そしたら死ぬのも楽しみだべ。



※藤島さんが綴った詩は、詩集としても出版されています。
 「なんじょすっぺ」、そして「仮設にて」の2冊。

※トークイベント「福島の声を聞こう」次回は11月11日(水)夜7時から東京・神楽坂の「セッションハウス」で行われます。

2015年10月15日

10月14日 南相馬市小高区 藤島昌治さん(3)


作家の渡辺一枝さんが主催する『福島の声を聞こう』は、福島で生きる当事者の方を東京に招いて、その話を伺うトークイベントです。

今回の語り手は、福島県南相馬市小高区出身の藤島昌治さん。
小高区は、原発事故の直後から「警戒区域」に指定され、全住民およそ1万1千人の避難生活が続いています。避難先の仮設住宅で自治会長を務める藤島さんは、来年の春を目途に進むふるさとへの「帰還」に向けて高齢者への配慮が欠かせないと言います。

◆高齢者のシェアハウスが求められている
来年4月に避難解除の予定になっている。田舎だから普通は三世帯、四世帯で暮らしているところが多かったが、震災の影響で子どもさんとお年寄りがばらばらに暮らすようになった。子どもさんは放射能の影響が心配だから、若いお父さん、お母さんは遠くに離れて4年も5年もたった。生活の基盤も避難先に移って、仮設住宅にはお年寄りだけが残った。わたしのところの仮設住宅には174世帯、およそ360名の居住者がいるが、平均年齢が65歳(2015年6月現在の数字)。そういう人たちが来年4月になって、また以前と同じように暮らせるかというと、それは大変な問題。お年寄りだけがもとの原発から20キロ圏内の避難準備区域に戻ることになる。戻ったら戻ったで、土をいじることもできない。放射能で汚染されているので農業ができない。高齢者は戻っても、ただ古い家で、ただぼんやり毎日暮らすことになる。行き場を失った高齢者をこれからどうするのかという、大きな問題を抱えている。個人個人が自分の行き先を案じながら暮らしているが、その受け皿を「シェアハウス」のようなものをつくることができないかと、いま模索している。


来年4月の避難指示解除を目指して、除染作業やインフラ整備などが進む小高区。けれども、住民の心境は複雑です。

◆子どもたちの帰らない選択
こんな話がある。もともとお父さんが仮設から毎日元の家に通って、一生懸命家を修復してきれいにしていた。ある日お彼岸に息子さんとあって、お父さんが息子さんに「あんたたちがいつ帰ってきてもいいように、もとの家は準備できてるよ」と、こう言う。そうすると息子さんは「うん」という。でもこの「うん」は「イエス」ではない。もうほかの場所で暮らしていて、そちらに生活基盤ができているから、帰る意思があるわけではない。でも、お父さんやお母さんには「帰らないよ」とは言えない。仕方なく「うん」と言う。わたしは「そろそろはっきりと「帰らない」という意思を伝えたほうがいいんじゃないの」と言うんですが。そういったことがざらにある。
子どもたちには迷惑をかけたくないと思うと、やはりさっき言った「シェアハウス」のようなものが必要になってくるのではないか。いまそういったことで、来年の4月に向けて選択を迫られている。帰るか帰らないかの二者選択。これが非常に厳しい状況。わたしはいつもへらへら笑っているが、仮設の空気も重い。


9月上旬、小高区の住民グループが南相馬市の桜井市長に「帰還後の街づくり案」を提出。「高齢者向けのシェアハウスの建設」や「高齢者の生きがい、働ける場の確保」などを提案しました。市長も住民のアイディアを政策に取り込む意向を示したが、具体的な取り組みはこれからです。
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パーソナリティ 鈴村健一

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