2015年11月3日

11月3日 あすと長町仮設住宅のコミュニティづくり4

きょうも引き続き、仙台市太白区「あすと長町仮設住宅」についてお伝えします。



お話を伺ったのは、飯塚正広さん。岩沼市のご自宅が、2011年4月の大きな余震で 住めなくなり、あすと長町の仮設に入居。233世帯の巨大な仮設住宅の、自治会長として、様々な問題・トラブルに向き合ってきた方です。

◆問題が起きるのは当たり前だった
ほとんどの人が震災前は一軒家に住んでいたのに、これだけ狭い仮設住宅にぎゅっと押し込められたわけですから問題が起きるのは当たり前ですよね。例えば車の違法駐車とは言いませんが「無法駐車」ですね。自分の家の前にクルマを駐めるとか、駐めっぱなしで一晩過ごすとか、両側にクルマが停まっていて真ん中を通れないとか、そういった問題などが様々おきました。それをなんとかせねばということで立ち上がったのが「運営委員会」だと思っている。あともう一つの大きな役割は、住むにあたっての様々な住環境の不備。約22項目あったものを、役所と団体交渉するための組織だった。運営委員会が立ち上がってから団体交渉も始まった。


この「運営委員会」による「団体交渉」、具体的にはどんな交渉があったのでしょうか。

◆「あそこの仮設はうるさい」と言われていた
要望は、「雨どいをつけてくれ」「家の下に水が溜まるので暗渠を入れてくれ」「棟と棟のあいだの舗装をしてくれ」とか。当たり前にあるべきものがないのでとにかく生活に困った。例えば雨が降ると玄関先に水が溜まって家に入れなくなる。1センチ2センチの水ではなく、5センチ10センチの水。普通の運動靴では飛び越えて入れない状態。そういう中で私たちは暮らしていたので、だから要求をしてきた。ほぼほぼ実現した。役所も一目置いた。「自治会らしき組織」と呼ばれていた。あくまで運営委員会。なぜかというと交渉時に役所と紐付きだと団体交渉が出来なくなってしまう。そこであえて自治会・町内会を名乗らなかった。名乗らなかったので当然補助金も「わざと」もらわなかった。独立した組織だったから。そしてある程度要求項目が満たされた段階で、自治会に移行していった。ですから「あそこの仮設住宅は一番うるさい仮設」だと言われていた。とにかくここで何かやれば、あっちにもつくんだなと。例えば雨どいにしても、ここの仮設で工事が始まれば、「うちの仮設も雨どいがつくんだな」と思っていたらしい。自分たちが声を上げなくても、あすと長町の仮設が声をあげれば、自分たちの仮設住宅の住環境もよくなるんだと皆さん思っていたみたい。それはあとから聞いた話。「おめえんところで一生懸命やってくれたから、俺たちは全然交渉しなくて良かったんだよ。俺たちもどうすっか悩んでいたんだけどさ」とあとから聞いた。




※団体交渉によって、雨どいの取り付けや棟と棟のあいだの舗装などが行われた長町の仮設住宅

このあすと長町の自治会の活動は、いまもブログが残っています。2011年からの書き込みを読むと、行政との大変な交渉が続いたことがわかります。

そして現在、あすと長町仮設住宅は、ほとんどの方が災害公営住宅や、新たに建てた自宅での生活へ移行。あすと長町に完成した災害公営住宅も、他の地域から引っ越してきた方が多いといいます。そこではまた、新しいコミュニティづくりがスタートしています。これについては明日のこの時間に。


あすと長町仮設住宅の元自治会メンバーの大湯正志さん(左)、飯塚正広さん(右)

2015年11月2日

11月2日 あすと長町仮設住宅のコミュニティづくり3

先週に引き続き、仙台市太白区「あすと長町仮設住宅」についてお伝えします。



あすと長町は、東北本線・東北新幹線の線路沿いにある再開発地区です。震災後、大規模な仮設住宅が建てられピーク時は、233世帯・およそ450人が暮らしていました。

お話を伺ったのは、今年の春までこの仮設住宅で生活をしていた大湯正志さん(61歳)。震災前は、同じ仙台市のマンションに暮らしていました。

◆14階建てマンションで被災
仙台市宮城野区に購入した14階建てのマンションが311の震災で傾き、仙台市から「赤紙」が貼られた。住んではいけない、ということで解体が決まってしまった。被災した2時46分の揺れは一生忘れない。縦も横もミックスしてガサガサガサ!!と揺らされた感じ。あの恐怖は一生忘れないね。その時に私がやった行動は、「これは絶対に火事が起きる、絶対に棚に押しつぶされる人がいる」と揺れた瞬間に思い、自分の部屋からとにかく出て、エレベーターも止まっていたので同じ9階のフロアを片っ端から玄関を叩き、大丈夫か、生きているか、火事は起きていないかと確認した。30分くらいかけて全部の部屋を叩いて回った。中にはお年寄りの方がタンスに挟まれて動けない人もいた。若い人は階段を1階から14階まで上がったり下がったり・・・まずその日は安否確認で終わりましたね。10年〜20年一緒に住んでいるのに隣に誰が住んでいるかもわからないような状態だったが、そこで集まってご飯を炊いたり、穴を掘ってトイレを作ったりね。


結局、この分譲マンションは危険だということで立ち入りが出来なくなり、大湯さんは、家財道具を持ち出すことができなかったそうです。そういう意味でも、被害は大きかったと大湯さんはおっしゃっていました。

その後、大湯さんは避難所を転々とし、2011年5月に「あすと長町仮設」へ入居。この一連の体験で、「ご近所づきあい」がいかに大切かを、痛感したと言います。

◆「つながり」を持っておくこと
仮設住宅や今住んでいる復興公営住宅で、コミュニティ・コミュニケーションが大事なのはなぜか。平和な時は何もなくても良い。でも何かあった時のために一つのつながりを常日頃から持っているべき。それを意識している。同じ宮城県のいろんなところから集まってきた、顔も性格もわからない中でいろんな問題があった。十人十色と言うけど本当に色んな人がいる。一緒に集団生活ができない人もいたし喧嘩もするし夜に酒飲んで暴れたり、そういうメンバーをひとまとめにするというのは大変だった。仮設住宅でも同じ。復興公営住宅でも同じ。私が言いたいのは、1対1の人との対話、付き合いを優先的にやらないと、自助・共助・公助がうまく回るためには人とのつながり、お互いに理解して助け合う気持ちがないとうまくいかないと思う。


東北三県から、最大で450人が生活した巨大な仮設住宅・あすと長町仮設。入居者の多くは、面識もなく、文化も方言も違う人たち。住民による「新しいコミュニティ作り」は急務だったと言います。ただ、大湯さんご自身は、元々のご近所さんとともに入居することができたので、知り合いも多かったそう。

そして、大湯さんをはじめ数人のメンバーは、この仮設を、安心して暮らせるコミュニティにしようと動き出したのですが、この続きは、明日のこの時間にお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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