2015年11月9日

11月9日 津波防災シンポジウム2015

今週は、11月5日・津波防災の日に行われたシンポジウムの模様をお届けします。

TOKYOFMホールを会場に行われた「津波防災シンポジウム2015」。この番組でも紹介してきた、「津波から命を守る森づくり」に関わる団体が主催で、防災・減災の各専門家による講演が行われました。

今朝はその中から、東北大学・災害科学国際研究所所長で、津波工学が専門の東北大学 今村文彦さんによる講演の一部をお伝えします。今村さんは、津波の被害を減らす「1000年希望の丘」という宮城県岩沼市の森づくりを例に、防災・減災の考え方について語りました。

◆津波からいのちを守るために
3.11を振り返ります。これが仙台空港で岩沼が見えています。手前が名取市です。もともとこの地域は1611年・慶長の時代、ちょうど伊達政宗が仙台の街を作った頃に同じような大津波を自身で受けています。それで被害を受け、政宗はここに住まないように、防潮林を整備してできるだけ住民の方は沿岸部に近づかないようにという土地規制をしていたようです。この防潮林というのはそれからずっと保全していたが今回の津波は、1611年に津波をはるかに上回った。それを乗り越えた津波は防潮林の7割以上を破壊しました。確かに松は20メートル、30メートルに成長して幹も素晴らしいものになるんですが、実は支持する根っこが場合によっては浅い。低いところは地下水が近いので根を張らないわけです。これを改めて我々は現場で知った。今も仙台空港には残っている。何本か木もあるし神社もある。昔の集落はこのようなところに「イグネ」を植生し、高潮や風、津波から街を守っていたのだろうと思います。しかし津波はこのような防御をはるかに超えてしまい、滑走路に来た時、またその破壊力を増します。凸凹があるといろんな形で津波を止めてくれます。勢いも弱まります。しかし平地だと加速してしまう。この津波はすでに海水の色・ブルーではなく、土砂や泥を巻き上げて残念ながら黒い濁流となって街を襲った。助かった方もたくさんおられたんですが、この津波を飲み込んでしまった方は、津波肺を起こしてしまいました。泥の中には有害物質もありますし、そこで肺が炎症してしまったということです。いかに命を守るのか。もちろん高いところに避難するのが第一ではありますけど、流されたとしても諦めてはいけません。漂流すれば命は助かるわけですが、その「死の水」を飲まないことも大切だと思っています。あとはこの震災を受けて改めて大切だと思うのは、命を守ること。それは安全な場所を確認することと、いつ避難するかのタイミング。言い換えれば、津波の来襲を少しでも抑えてくれれば、この到達時間が遅くなれば我々は命を守るチャンスがよりあるということ。そこに1000年の丘があれば、近くのところで命を守ることができるわけです。具体的に、流れ、流体力を軽減すること、また時間を遅らせること、様々な効果をいろんなプランでいろんな状況で検討していきたい。ぜひさまざまなプランをみなさまに提案していただいて、具体的な減災効果を岩沼市や他の地域で考えていきたいと思っています。


今村さんの講演では、津波被害を軽減する「森」の効果についても解説がありました。
まず、森があることで、漂流物を食い止めることができる。森の間を海水が通ると勢いが減る。結果、その背後にある建物が守られる。そしていざという時、木に登って助かるケースもある。といったお話しでした。実際、2004年インド洋津波でも、マングローブやココナッツの林があった地域は、津波の被害が、ほかと比較して少なかったという実例も紹介していました。

あしたはこのシンポジウムから宮城県岩沼市の「1000年希望の丘」のプロジェクトについてお伝えします。

★森の防潮堤協会

2015年11月4日

11月4日 あすと長町仮設住宅のコミュニティづくり5

引き続き、宮城県仙台市太白区、「あすと長町」からのレポートです。



最大で233世帯が暮らしていた巨大仮設・あすと長町仮設住宅。見知らぬ他人同士、突然、狭い仮設住宅での暮らしということで、当初は、住民同士のトラブルも少なくなかったと言います。

こうしたトラブルを解消するために立ち上がったのが、あすと長町仮設の「運営委員会」です。立ち上げメンバーで、自治会長も務めた飯塚正広さんに仮設住宅のコミュニケーションについて伺いました。

◆あいさつからはじめよう
運営委員会の役員達で申し合わせていたのは、私たちが会った人に挨拶をしよう、ということ。会った人にはおはようございます、こんばんは。そして今度はちょっとずつ世間話ができるようになり、会話になって、だんだんそれが広がっていった。その中には申し訳ないのだがコミュニティに入れない、溶け込めない人たちもいた。そういう人たちの浄化作用もやることになった。傷害事件があったり様々なトラブルがあり、川でいうと上流・大きな石がゴロゴロ転がって水が流れてばちばちぶつかる、仮設住宅を一言で言うとそんな感じだった。いまは中粒くらいで石も角が取れてきて、だんだん水の流れも穏やかになってきている。それがいまの仮設住宅です。


この運営委員会はその他、新しい町のお買い物スポットをまとめたマップ作りなど様々なイベントも行ってきたそう。最初のメンバーは80世帯程度でしたが、最終的には200世帯に広がったと言います。

こうしてこの仮設ではご近所づきあいも深まっていったのですが、震災から4年、それぞれ生活再建へ進む中で、別の課題が出てきたんです。 


◆せっかく生まれたご近所づきあいを・・・
せっかくここでできあがった200世帯のコミュニティが、またバラバラになるのはいやだなと。これはあるおばあちゃんの一言だった。「みんなここでせっかく仲良くなったのだから、この仲間をバラバラにしたくないようね。そういうような復興住宅ってできないのかな」という一言だった。それが私が会長に就任してまもなくの言葉だった。復興住宅に行くときはみんなでいけるようなものをどこかに見つけなければ、この仮設のコミュニティを大事にしなければ、というのが自治会長としての決意の一つとしてあった。そのためにコミュニティ構築を考える会という会を作った。自治会とは性格の違うものなので任意組織として、みんなで勉強をした。それが最終的には、あすとの三箇所の復興住宅に80世帯が入れる結果になった。復興公営住宅の入居は基本的に抽選。抽選じゃない、優先入居の方がいる。それは津波でこれから家に住めないという方達の優先順位1番。次は傷害を持った方、片親世帯などが抽選なしとなっている。それと一緒に、仮設住宅でのコミュニティ、震災前のコミュニティも10世帯があつまれば優先順位の高いところで入居できますよというところに、仮設住宅のコミュニティも認めますよと一言追加された。それは私たちの活動があったから、その文章が追加された。それがコミュニティ構築を考える会の最大の成果だったと思う。


こうして結局、あすと長町仮設住宅からは、80世帯がすぐそばの災害公営住宅に入居しています。「もし抽選だった場合、これはありえなかった」と飯塚さん。
そして80世帯の、「元・仮設住宅メンバー」は、災害公営住宅で出会った、新しいご近所さんとの関係づくりをこの春からすでにスタートさせています。
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パーソナリティ 鈴村健一

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