2015年11月23日
11月23日 女川町の町づくり・震災まる5年へ?
今週は、若い世代に未来を託した町、宮城県・女川町のいまをお伝えします。
今年3月、JR石巻線が全線復旧。同時に完成した新しい女川駅・駅舎を中心に、新たな町づくりが進む女川町。建物の8割が津波で流され、何も無くなった灰色の町に駅舎が立ち、人が増え、色を取り戻していく様子を、番組では継続してお伝えしてきました。
そして女川駅開業からまる8ヶ月。走り続けてきた女川町は今どうなっているのか。地元・女川のかまぼこ店の四代目で、町づくりの中心メンバー高橋正樹さんに、先週 お話を伺いました。
![](/cms/thumbnails/41/41a20e1f66f6ea05cda2b46841071988.jpg)
◆震災まる5年が経過する前に・・・
(聞き手:高橋万里恵)
Q:2015年は、3月末に女川駅再開。復興元年だったのでは。
「今年がポイントというより、震災直後から考えていたのは、震災5年の時点で、6年目以降は被災地は女川に限らず取り上げられなくなる。それまでにどこまで町を作って僕らの日常を取り戻せるのか(が重要だった)。もうすぐ5年、まる4年の段階で鉄道を取り戻し町をほぼ完成しましたよ、いろんな面白いことがあるので遊びに来てくださいという感じで震災直後からやってきた。順調です。とりあえずは。坂茂さんは女川駅を設計した後に建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞し、坂さんの設計した建物を見たいという日本中の建築を学ぶ人間、携わる人が見に来ている。女川駅は9割がたが温泉施設で1割をJRが間借りするという特殊な駅なので、そこで見て見たい。行っていいんだ、行ってみようということでふらっと来てくれる人が結構増えた。非常にありがたい。」
Q:女川に行くのは、被災地に行くという感覚ではなく、また見たい景色や会いたい人がいて、美味しいものがあるという感覚。リピーターも多くなっているのでは?
「リピートどころか移住が進んでいる。女川に人が来ている。ただ住む場所がなくて、女川に外から移住する人たちを受け入れるために、例えば仮設住宅でもしっかり作られた住宅系のものを、当初の被災者向けの用途を変更しましょうとか。南三陸などでは議会で決定され運用が始まるが、女川も早くそれをやろう。当面はそこに住んでいただいて、女川にマンションやアパートを作ってそこに入ってもらうという感じでやる方向でいる。「私はこういうことができる」という人に対して、ああわかった、これを手伝って、これが必要だ、こういう仕事があるから一緒に町を作ろうという。町自体が何をやるにしても、ハードルが低い町と言われている。町そのものがいろんなチャレンジをしている。自分がこういうチャレンジをしたい、それをやりたいというのに対して女川は超ウェルカム。じゃあこれをやったらいいじゃん一緒にとみんなが言える町なので移住者が増えている。」
Q:女川を被災地と呼ぶべきか。
「俺たちも被災者って言われると違和感が出てきていて、被災地と呼ばれても、ただ町の中心は完成するし・・・いや・・・そうね、被災地ではあるよねという感じになってきましたね。」
今年3月、JR石巻線が全線復旧。同時に完成した新しい女川駅・駅舎を中心に、新たな町づくりが進む女川町。建物の8割が津波で流され、何も無くなった灰色の町に駅舎が立ち、人が増え、色を取り戻していく様子を、番組では継続してお伝えしてきました。
そして女川駅開業からまる8ヶ月。走り続けてきた女川町は今どうなっているのか。地元・女川のかまぼこ店の四代目で、町づくりの中心メンバー高橋正樹さんに、先週 お話を伺いました。
![](/cms/thumbnails/41/41a20e1f66f6ea05cda2b46841071988.jpg)
◆震災まる5年が経過する前に・・・
(聞き手:高橋万里恵)
Q:2015年は、3月末に女川駅再開。復興元年だったのでは。
「今年がポイントというより、震災直後から考えていたのは、震災5年の時点で、6年目以降は被災地は女川に限らず取り上げられなくなる。それまでにどこまで町を作って僕らの日常を取り戻せるのか(が重要だった)。もうすぐ5年、まる4年の段階で鉄道を取り戻し町をほぼ完成しましたよ、いろんな面白いことがあるので遊びに来てくださいという感じで震災直後からやってきた。順調です。とりあえずは。坂茂さんは女川駅を設計した後に建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞し、坂さんの設計した建物を見たいという日本中の建築を学ぶ人間、携わる人が見に来ている。女川駅は9割がたが温泉施設で1割をJRが間借りするという特殊な駅なので、そこで見て見たい。行っていいんだ、行ってみようということでふらっと来てくれる人が結構増えた。非常にありがたい。」
Q:女川に行くのは、被災地に行くという感覚ではなく、また見たい景色や会いたい人がいて、美味しいものがあるという感覚。リピーターも多くなっているのでは?
「リピートどころか移住が進んでいる。女川に人が来ている。ただ住む場所がなくて、女川に外から移住する人たちを受け入れるために、例えば仮設住宅でもしっかり作られた住宅系のものを、当初の被災者向けの用途を変更しましょうとか。南三陸などでは議会で決定され運用が始まるが、女川も早くそれをやろう。当面はそこに住んでいただいて、女川にマンションやアパートを作ってそこに入ってもらうという感じでやる方向でいる。「私はこういうことができる」という人に対して、ああわかった、これを手伝って、これが必要だ、こういう仕事があるから一緒に町を作ろうという。町自体が何をやるにしても、ハードルが低い町と言われている。町そのものがいろんなチャレンジをしている。自分がこういうチャレンジをしたい、それをやりたいというのに対して女川は超ウェルカム。じゃあこれをやったらいいじゃん一緒にとみんなが言える町なので移住者が増えている。」
Q:女川を被災地と呼ぶべきか。
「俺たちも被災者って言われると違和感が出てきていて、被災地と呼ばれても、ただ町の中心は完成するし・・・いや・・・そうね、被災地ではあるよねという感じになってきましたね。」