2015年11月25日

11月25日 女川町の町づくり・震災まる5年へ?

今週は、若い世代に未来を託した町、宮城県・女川町の 「いま」をお伝えします。

今年3月、JR石巻線が全線復旧。同時に完成した新しい女川駅・駅舎を中心に、新たな町づくりが進む女川町。駅から伸びるプロムナード、商業施設は、12月23日に開業する予定。着々と準備が進んでいます。

40代前後の若い世代を中心に、今まさに新しい町のスタートを切ろうとしている女川。その陰には、彼ら若い世代に町の未来を委ねようと決断した60代・70代の存在があります。町づくりの中心メンバーのお一人、かまぼこ店「高政」の四代目・高橋正樹さんに伺いました。

◆町が変わるために、何を変えないか
(聞き手:高橋万里恵)
Q:20代ー40代の若い人達で話をしている時に、上の人達の意見は聞くんですか。60代の「口を出さない」と言っている方々の意見を聞きに行くことはあるのでしょうか

「女川町のすごいなって思うところは、「お前らに任せたよ」って言われたから、今度僕らのミッションは上の人達をどうやって引っ張り出すかってことなんですよ。若手だけで作ったらオール女川の町作りにならないんです。年配の方々が「お前らに任せるよ」って言った後にしてくれたことは、僕らがアイデアやコンテンツ、こういう町にしたい、こういう風に人が来る仕組みを作りたいと思った時に上の人達に相談するんです。おそらく年配の方々の経験則からすると「それはやめたほうがいい」って思うものも多いはず。喉元まで出かかった「やめたほうがいい」という言葉をぐっと飲み込んで、「お前らがやりてえんだったら、やったらいいっちゃ。いいど思うよ」と。それで何をしてくれるかというと、僕らが進みたい方向、目指したい方向には道がないので、草刈りをしてくれるんです。

ご年配の方々は肩書きもあり経験もあり経歴も人脈もある。そういう方々が自分たちの力を使って、僕らが進みたい方向に進みやすいように準備をしてくれる。例えば議会の調整をご年配の方々がやってくれたり。僕らも当然議会には話をするんだけどなかなか通じない。でも「若い奴らがこういう風に言ってっからあんたたち頼むよ」って調整してくれたり、先回りしてくれるんですよね。それで僕らがやりやすいというとアレだけど、実現したい町にどんどん障害がなくなっていく。どんどん前に進める。そういう世代を超えた町づくりを任された瞬間に、僕らはやらなきゃいけないなと思いました。

一方で、変えちゃいけないものがある。町がどんどん変わっていく、ましてや若い人間に任せたから大事なものまで無くなっちゃうという不安は世代を超えて同じ思いで持っている。一番最初に年配の人に相談したのは、俺たちは町を変えるつもりはない、これとこれは大事だから残したいって言った。そしたら「お前らに任せてよかった」って言ってもらったんですね。何を変えるかじゃなくて何を残したいかって言ってくれるお前らが好きだと言われました。それが大事だなと。それが町づくりの重要な部分。変える町なのに何を変えないかが重要だということに気がついた。そこから一気に町づくりが見えましたね。ああしたいこうしたいという夢物語や絵空事が出なくなりました。実際にリアルな町ってどうなんだろう、どういうコンパクトな町を作って住み心地よくしようというところから、もう一昨年の6月の時点で新しい町の地図ができるところまで行っちゃった。だから上の世代の方々がいなければこの町、僕ら若手中心と言われている町づくりはなしえなかった。そのパイプ役に町長が入ってくれている。僕の2個上で43歳の若い町長ですけど、議会と産業界、上と下の世代、行政と民間のパイプ役に町長がしっかりハブとして機能してくれているので、いろんなものががっちりタッグを組んで、全員でスクラムを組んで前に進んでいる感覚がありますね。」

2015年11月24日

11月24日 女川町の町づくり・震災まる5年へ?

今年3月、JR石巻線が全線復旧。
同時に完成した新しい女川駅・駅舎を中心に、新たな町づくりが進む女川町。
その中心となっているのは、主に40代前後の、町の若い世代です。
今回お話を伺った、高政という地元かまぼこ店の四代目・高橋正樹さんはもちろん、経営者、移住してきた若者、主婦、学生、町長も、みんな若い世代です。なぜ女川はこうした人たちが積極的に町に関わることができるのでしょうか。


◆未来を見ることができる人間に町を託そう
(聞き手:高橋万里恵)
Q:高橋正樹さんとお話をしていると、役場の方か、復興担当の国の方かと思ってしまうけど、何を隠そう蒲鉾屋さん。でも町づくりに深く関わっていて県外からの受け入れもやっている。女川の町づくりってどうなっているのでしょう。

「一言で言えばクレイジー。60−70代が町の中心として復興に関わりみんなの意見をまとめて作るのが普通だが、女川は60−70代の方が考えたのは、町の8割の建物がなくなり街づくりというより都市計画をするにあたり、俺の65歳の親父は商工会の会長をやっていて、年配の人を集めてこう話した「女川町を作るにあたり、20年後−30年後の未来に責任を持てない。俺らはその時死んでいるよ。だから女川町の30代ー40代。これから20年後ー30年後の未来を見ることができる人間に街づくりを託そう。還暦以上は街づくりに口を出すな」ということを言った。だから僕だけじゃなく、20代も含めた僕らの世代(30−40代)は街づくりに積極的にコミットしている。下手すると10代もワーキンググループに参加して積極的にどういう町にしたいかを発言している。だからこそ街づくりはこうなっているということを役場の人間みたいにだれでもしゃべれる。みんな同じ想いと情報をシェアしているという構図。」

Q:若い世代が集まった時に意見がぶつかることもありますか。

「僕らはルールを決めている。ちょっと違うよ、俺はそう思わないとか言わない。とりあえずその人の発言を全部引き出す。途中で遮らない。最後まで話を聞くと「そうなんだ」となる。最初はちょっと違うと思ったけど、そういうことならやり方を変えればうまくいくかもよ、とすごくポジティブに話が流れる。ものすごくみんながみんなのことを考えています。新しく駅前にできる中心地には、当然 角の場所や海の見える眺めの良い場所がある。僕の先輩が中華屋さんをやるんだが、彼は一度も自分のところに利益誘導をする発言をしていないし、人格的にも優しい人で、そういう人が一番いい場所をもらいました。海の見える一番良い場所。それが女川っぽいなと思いました。自分がどんなに大変でも周りに同じように大変だと思っている人がいたら、自分のことをほっておいて周りの人の背中を押す。自分は後回し。実はそれが311の震災では、そういう人から死んでいった。僕の兄貴分、佐藤水産の当時専務だったみつるさんは、社員全員、働いている中国人も全て高台に避難させて、もうだれもいないか工場内を確認して会社の外に出たらもう津波が来ていて亡くなってしまった。私の祖父もそう。お袋とばあさんを先に逃がして、自分は間に合わず溺れて亡くなってしまった。そういう責任感の強い元々の女川人気質の方が亡くなってしまった。生き残った我々はどうあるべきか、どう生きるべきか。だからこそ自分のことを置いておいて背中を押す。でもそういう町であり続けることは亡くなった人の想いも、実は新しい町に滬められるのではないかと思う。」


女川町では、この「30代・40代」の町づくりの中心世代を「責任世代」と呼んでいます。そして60代以上の人たちは、こうも言ったと言います。 「我々が、君ら責任世代の弾よけになる。」

女川町長も、まだ40代前半。若い町長さん。こうしたことは、女川町の町づくりの象徴的な話として有名。地域活性を目指す自治体、市町村にも影響を与えています。

明日も、女川町のいまについてお伝えします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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