2015年12月9日

12月9日 南三陸 木造りのカフェ「ちょこっと」2

今朝も、宮城県南三陸町波伝谷地区にオープンした小さなカフェ「ちょこっと」に注目します。

波伝谷地区は、2011年の東日本大震災の津波で、81戸中80戸が流され壊滅的な被害を受けた場所。2012年、いまは更地の戸倉駅前に、小さなプレハブ造りのお店「ほったて小屋」が出来ましたが今年の8月、そのお店を建て替え、波伝谷に木造の可愛らしいカフェ「ちょこっと」がオープンしました。

お店を手掛けるのは成澤英子さん。もともと波伝谷で35年間、和裁のプロとしてお仕事をされていました。そんな成澤さんが飲食店を開くようになったいきさつを伺いました。

◆地元の人の声に応えて
避難所生活が終わって仮設住宅の生活になって、コミュニティスペースがあって、いちばん最初に出来たホタテの販路がない、どっか売るとこないかな?って漁師さんたちが言ってたんで、だったらせっかくボランティアさんたちも来てるから、焼いて食べさせればいいのにねっていうことになって、じゃほったて小屋建てようってことになり建物が建って、商売が始まったんです。この地元の海産物、ホタテを焼いて出したり、タコやイカなんかを食べて頂いてたんです。「ほったて小屋」はいつ潰れてもおかしくないような小屋って意味なんですけどね。確かにプレハブ造りでトタン張りで屋根もろくに断熱材も入っていない、ほんとに風が吹いたら飛ぶような小屋だったんです。工事関係者の方とか、お弁当出したりとかお食事出したりとか、あと地元の人たちは地元に魚は有るので食べない、じゃあラーメンが欲しい、何が欲しいっていう希望があったんで、それをメニューに入れたりして、おかげさんでなんとかやってたんですけどね。


お店どころか、家も無い更地にポツンと開店した「ほったて小屋」はこの地を訪れるボランティアや工事関係者、そして近くの仮設住宅に住む人たちに愛され営業を続けていましたが、去年の9月30日、開店から1年11か月で閉店となってしまいました。

◆かさ上げ工事のため撤去が求められ、場所を変えてできた小さなお店
建て替えざるを得なくなって建て替えたんです。45号線沿いにあったんで、川の防潮堤と道路のかさ上げ工事にちょうどぶつかってしまったんです。それで県からよけてほしい欲しいといわれて、去年の9月30日に店を閉めて。でもその時点で行先は決まってなかったんですけど、幸いにして娘の土地があったので、じゃあそこに!ということで。でも大工さんなんかもなかなか見つからなかったんで、「木の家づくり互助会」のほうになんとかなんないかな?大工さん探してほしいな?と探してもらって、やっとここが今年の5月に着工出来たんです。建物自体はほったて小屋よりもちっちゃくなったんですけど、あったかみのある店にはなったと思います。


立ち退きになってしまった「ほったて小屋」の閉店から11か月後開店した「ちょこっと」。工事をサポートした「南三陸木の家づくり互助会」というのは、地域の森林資源を使って、持続的な資源循環の地域づくりを目指している互助会です。地元の木を使って建てられた「ちょこっと」は、木の香りと温もりがあるお店です。

以前に映画の「波伝谷に生きる人々」を紹介した時に、地域で助け合う「結(ゆい)」の精神について紹介しました。こうした「互助精神」が南三陸には息づいているんでしょうね。

2015年12月8日

12月8日 南三陸 木造りのカフェ「ちょこっと」1

今朝は、宮城県南三陸町、波伝谷(はでんや)地区にオープンした、小さなカフェ、「ちょこっと」に注目します。
波伝谷地区は、2011年の東日本大震災の津波で、81戸中80戸が流され、壊滅的な被害を受けた場所。

2012年、いまは更地の戸倉駅前に小さなプレハブ造りのお店、「ほったて小屋」が出来ましたが、今年の8月、そのお店を建て替え、波伝谷に木造りの可愛らしいカフェ「ちょこっと」がオープンしました。

お店を手掛けるのは、成澤英子さん。成澤さんは、もともと飲食業を営んでいたわけではありませんでした。

◆商売というより和裁の仕立師、着物を縫う人だったんですけども、震災で仕事もなくなる家もなくなるだったんです。気仙沼の問屋さんから仕事は貰ってたんですけども、問屋さんも震災に遭われて店をたたむってことになったんで仕事が無くなってしまったんです。約35年はやってました。


そんな和裁のプロである成澤さんの人生を、根こそぎ変えてしまった2011年3月11日。あらためて、あの日のことを伺いました。

◆何か現実なのかどうなのか、津波が来たぞってことで一応避難して。家にいたんです、その日はちょうどいちばん上の孫が小学校6年生の卒業式を迎えるってことで、その日にやっと卒業式に着る着物が出来て、あ〜やれやれってしてた時に地震でした。けっこう揺れは強かったんですけど、家自体は何も壊れるもなく唯一壊れたのは下駄箱の上の硝子の花瓶くらい。で、さあ花瓶をかたずけようかな〜と思ってたんですけど、そのうちに大津波警報になったんで、娘と「どうする?どこに逃げる?」って言って、高台に家があったんで、そこに逃げたんです。津波が来るまで時間があったんで、海のほうを見て、「あ〜あれ津波かね?」って言ってるうちに、津波が堤防を越えてきて、そうしてるうちに、「裏のほうから入ってきた」というひとことで、もう一段高いところに行かなきゃなんないということで、大きな犬を飼ってたんですけど、それを押したり引いたりしながら何とか逃げたんですけどね。高台に上がったときは、もう避難していた家も無い、何も無い、この地区が全部水の中に流されてるって状況でした。でも男の人たちなんかも居たんで、タバコ吸ってる人たちも居たんで、みんなポケットから紙屑出したりしてライターで火をつけて、周りにある枯れ枝なんかを燃やして、とりあえず雪が降ったり風が吹いたり、寒い中野宿したんですよね。見る家もありませんでした。跡形もないんです。これが津波の被害かなっていう思い、悲しいとかつらいというよりも、とりあえずこの場所じゃなくどっかに行かなきゃなんないなという思いはありました。自分ひとりじゃないんで。周りみんなが何も無くなったんで、大変だとは思ったけど、これより高いところに行かなきゃなって思いは有りました。



成澤さんは、津波が町のすべてを飲み込んでしまった翌年にプレハブ造りのお店「ほったて小屋」を開き、そして今年、「ほったて小屋」を建て替えて木造りのカフェ「ちょこっと」を開きました。

明日は、和裁のプロだった成澤さんが、飲食業を手掛けるようになったいきさつをご紹介します。

「ちょこっと」facebookページ


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パーソナリティ 鈴村健一

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