2016年1月6日
1月6日 気仙沼 アンカーコーヒー3
今週は、気仙沼のコーヒーの名店「アンカーコーヒー」についてお届けしています。
![](/cms/thumbnails/64/64fc40bedfd8a722aa93e678858565c4.jpg)
![](/cms/thumbnails/b6/b6f8696f80ff57f0c8bbe91031e1f304.jpg)
「アンカーコーヒー」は2005年に気仙沼でオープン。自家焙煎の美味しいコーヒーを提供するお店として人気を集めていましたが、東日本大震災による津波で本店を含む気仙沼市内の2店舗と焙煎工場が流出。去年の春に、「アンカーコーヒー」のフラッグシップでもある「マザーポート店」と名付けた本店を再建しました。
![](/cms/thumbnails/1f/1f629f6b656e7bcabfa6f5e8ba233e11.jpg)
再建場所には被災しなかった内陸部を選びました。資金は民間の被災地応援ファンドなどを活用。海辺のロッジのようなお洒落なデザインで、1階にある焙煎室はガラス張りで、来店した方が見学できるようになっています。
港町・気仙沼の“復興への願い”も込められた「マザーポート店」。しかし震災後、小野寺さんは、とてもこの町でお店を再建できるとは、思わなかったと話します。
◆「場づくり」としてのコーヒーショップ
もうね、ぐちゃぐちゃになった場所を見た瞬間に、これはこの町を捨ててどこかで新しいところで生きなくちゃいけないんじゃないかと、正直、思いました。このごたごたを片付けるのに何年必要だし、これをどかすっていってもどこにどかすのこのがれきの山を?ダメだなって思いましたもんね。当時アンカーコーヒーとフルセイルコーヒーというブランドがあったんですけど、アンカーコーヒー2店舗、フルセイルコーヒー3店舗、5店舗でやってたんですね。アンカーコーヒー2店舗、海の近くにあったんで2店舗とも被災して使えない状態、3店舗はあったんですよ。なのでその3店舗があったおかげで張り合いが出来たというか、それを動かし続けなくちゃいけないし、ここで休んでる場合じゃないんだっていうところもあって、で気仙沼で働いていた人たちも、一店舗、車で40分くらいかかるところ、岩手県なんですけど、ワークシェアリングしようと。こういう時はもう働き続けることが何より大切だと思うんだ。だから働きたい人は、そこまで行って働きましょうよって言って往復してましたね。そうすると気仙沼の人たちが気仙沼では買い物できないから、一関へ行く、そうすると一関への延長線上にうちの店があるので、そこで会って、「ああなんだ元気だった!」とか言って抱き合ったりとか。
で2011年の12月には、田中前っていうところでアンカーコーヒーの仮設店舗を作ることが出来たんですね。カフェっていうのは、私たちの仕事っていうのは「場づくり」だと思ってるんですね。人と一緒に集える場所、そういう場所ってのがすごく重要だよなっていう。で、そこでもやっぱり、うちの内の脇っていう場所は、いちばん人が亡くなった、無くなった人の多い地区なんですね。気仙沼の中では。で、どこが誰に生きてるか死んでるかもわかんない状態で、アンカーコーヒーに近所のおばさんたちとかやってきて、「わあ元気だったんだ良かった!」とか、「今どこにいるんだ?」とか、コミュニケーションというか、そういう情報を得る場としてもコーヒーショップ、カフェっていうのはすごく重要なんだと思いました。
震災よって、自身の手掛けるコーヒーショップ、カフェの「役割り」に気づかされた小野寺さん。新しく作ったフラッグシップの「マザーポート店」という名前には、こんな思いが込められています。
◆母なる港、マザーポート
マザーポートっていう名前は「母港」っていう意味ですけど、なんていうかここが母港になってお客様がここにいらっしゃったり、あと我々の母港になればいいなってのもあるし、何よりも優しさとか、母なる港、みたいな、そういう雰囲気ってのはすごく重要だよなって思ってて、それでマザーポートって名前にした感じですね。
![](/cms/thumbnails/01/015df5626715a0d77a8af2fc2177fd5c.jpg)
真新しいアンカーコーヒーの「マザーポート店」。エントランスには大きな錨のオブジェがあって、木造の店内は落ち着いた雰囲気で、挽きたてのコーヒーの香りが広がっています。気仙沼へ行かれた際は、ぜひ足を運んでください。
また宮城県と岩手県で8店舗を展開。自家焙煎の商品は、オフィシャルサイトで通販もしています。
![](/cms/thumbnails/64/64fc40bedfd8a722aa93e678858565c4.jpg)
![](/cms/thumbnails/b6/b6f8696f80ff57f0c8bbe91031e1f304.jpg)
「アンカーコーヒー」は2005年に気仙沼でオープン。自家焙煎の美味しいコーヒーを提供するお店として人気を集めていましたが、東日本大震災による津波で本店を含む気仙沼市内の2店舗と焙煎工場が流出。去年の春に、「アンカーコーヒー」のフラッグシップでもある「マザーポート店」と名付けた本店を再建しました。
![](/cms/thumbnails/1f/1f629f6b656e7bcabfa6f5e8ba233e11.jpg)
再建場所には被災しなかった内陸部を選びました。資金は民間の被災地応援ファンドなどを活用。海辺のロッジのようなお洒落なデザインで、1階にある焙煎室はガラス張りで、来店した方が見学できるようになっています。
港町・気仙沼の“復興への願い”も込められた「マザーポート店」。しかし震災後、小野寺さんは、とてもこの町でお店を再建できるとは、思わなかったと話します。
◆「場づくり」としてのコーヒーショップ
もうね、ぐちゃぐちゃになった場所を見た瞬間に、これはこの町を捨ててどこかで新しいところで生きなくちゃいけないんじゃないかと、正直、思いました。このごたごたを片付けるのに何年必要だし、これをどかすっていってもどこにどかすのこのがれきの山を?ダメだなって思いましたもんね。当時アンカーコーヒーとフルセイルコーヒーというブランドがあったんですけど、アンカーコーヒー2店舗、フルセイルコーヒー3店舗、5店舗でやってたんですね。アンカーコーヒー2店舗、海の近くにあったんで2店舗とも被災して使えない状態、3店舗はあったんですよ。なのでその3店舗があったおかげで張り合いが出来たというか、それを動かし続けなくちゃいけないし、ここで休んでる場合じゃないんだっていうところもあって、で気仙沼で働いていた人たちも、一店舗、車で40分くらいかかるところ、岩手県なんですけど、ワークシェアリングしようと。こういう時はもう働き続けることが何より大切だと思うんだ。だから働きたい人は、そこまで行って働きましょうよって言って往復してましたね。そうすると気仙沼の人たちが気仙沼では買い物できないから、一関へ行く、そうすると一関への延長線上にうちの店があるので、そこで会って、「ああなんだ元気だった!」とか言って抱き合ったりとか。
で2011年の12月には、田中前っていうところでアンカーコーヒーの仮設店舗を作ることが出来たんですね。カフェっていうのは、私たちの仕事っていうのは「場づくり」だと思ってるんですね。人と一緒に集える場所、そういう場所ってのがすごく重要だよなっていう。で、そこでもやっぱり、うちの内の脇っていう場所は、いちばん人が亡くなった、無くなった人の多い地区なんですね。気仙沼の中では。で、どこが誰に生きてるか死んでるかもわかんない状態で、アンカーコーヒーに近所のおばさんたちとかやってきて、「わあ元気だったんだ良かった!」とか、「今どこにいるんだ?」とか、コミュニケーションというか、そういう情報を得る場としてもコーヒーショップ、カフェっていうのはすごく重要なんだと思いました。
震災よって、自身の手掛けるコーヒーショップ、カフェの「役割り」に気づかされた小野寺さん。新しく作ったフラッグシップの「マザーポート店」という名前には、こんな思いが込められています。
◆母なる港、マザーポート
マザーポートっていう名前は「母港」っていう意味ですけど、なんていうかここが母港になってお客様がここにいらっしゃったり、あと我々の母港になればいいなってのもあるし、何よりも優しさとか、母なる港、みたいな、そういう雰囲気ってのはすごく重要だよなって思ってて、それでマザーポートって名前にした感じですね。
![](/cms/thumbnails/01/015df5626715a0d77a8af2fc2177fd5c.jpg)
真新しいアンカーコーヒーの「マザーポート店」。エントランスには大きな錨のオブジェがあって、木造の店内は落ち着いた雰囲気で、挽きたてのコーヒーの香りが広がっています。気仙沼へ行かれた際は、ぜひ足を運んでください。
また宮城県と岩手県で8店舗を展開。自家焙煎の商品は、オフィシャルサイトで通販もしています。