2016年1月12日

1月8日 気仙沼 アンカーコーヒー5

今週は気仙沼のコーヒーの名店、「アンカーコーヒー」についてお届けしています。

「アンカーコーヒー」は2005年に気仙沼でオープン。 シアトルスタイルの洗練されたデザインの店舗で 自家焙煎の美味しいコーヒーを提供するお店として人気を集めていましたが、 東日本大震災による津波で本店を含む気仙沼市内の2店舗と焙煎工場が流出。 去年の春に、「マザーポート店」と名付けた本店を再建しました。

気仙沼市は、震災前の市街地はまだ剥き出しの土の上をトラックが走り、復興へ向けての工事が続いています。事業の減少に伴って人口も減少、とりわけ若い世代の減少がほかの被災地と同じく大きな問題となっています。

「アンカーコーヒー」を手掛ける小野寺靖忠さんは、生まれも育ちも気仙沼市。誰よりも気仙沼の復興を強く願っている一人です。変わりゆく中で、残していきたい気仙沼の魅力について、お話を伺いました。

◆海と生きる民
気仙沼に住んでていちばんいいよなあ〜って思うのは、リアス式海岸で、山があってすぐに海っていうのがすごくいいんですよね。車を運転していて、たとえば内湾地区を運転してるときに、曲がり角を曲がったときにすぐ海が見てて、船があって、そこにフェリーがゆっくりと沖に向かっていくような、そういう風景だとか。風がスーッと通って、海猫が囀っているような、そういう所に生活があるという、こういう所で生活するのが文化になっていくんだよな〜という風に思います。
なので出来るだけぼくは海の近くで生きていきたいなと思って。僕、大学がミネアポリスってとこで、海まで車で3日かかるんですね。太平洋に行くのも大西洋に行くのも3日。やっぱ水の近くにいるっていうのがすごく好きっていうか、それを再認識して。しかもそこに潮の匂い、やっぱり僕は太平洋の香りが好きなんだあっていつも、インド洋行った時も大西洋行った時も思うし、僕が好きな海の香りっていうのはここ気仙沼の太平洋のこの香りなんだなって思います。


慣れ親しんだ、海の景色、塩の香り、海猫のさえずり・・
復興へ向けて街づくりが進む気仙沼に、そうした昔の風景が戻ってくるのか?その問いに対して、小野寺さんはこう答えてくれました。

◆気仙沼は「常若」の文化
その風景がもどってくるのかどうか・・・戻らないですよね。やっぱり変わっていくし、同じ風景を取り戻したいっていっても、東京の下町の風景はどんどん無くなっていって、次の新しい東京の風景が生まれてくるんだなって思うんですよ。気仙沼もそれと同じで、気仙沼、何しろ我々は海と生きる民なので、海と生きて津波があって、風が強くて火事があってっていう。気仙沼の文化は常若の文化、常に新しいもの、常により良いものに変化していく、そういう気質があるんだよなって思うので、これからも僕もそういうものなんだと思って、ここにコーヒーショップだとか、景色のいいレストランだとか作って。ぼくはコーヒーショップやってるんですけど、コーヒーを売ってるというよりは、ライフスタイルを販売してるって思ってるし、うちのスタッフにも言ってるんですね。ライフスタイルを売ってるってことの意味は、すべてが重要なんだよって話をするんですね。なので気仙沼だよか三陸沿岸だとかの人たちのライフスタイルをどういう風にしてより良いもの、新しいものとか古いものを尊びながら、どうやってやっていくのかってこと、それに尽きるのかなと。とにかく常若という言葉がぴったりな、自然災害の多い地区なんで、どんどん賢く、どんどんより良く、街づくりをしていくしかないんだよなって思います。


「アンカーコーヒー」は、姉妹店の「フルセイルコーヒー」と共に、宮城県と岩手県で8店舗を展開。
また自家焙煎の商品は、オフィシャルホームページで通販もしています。

2016年1月11日

1月7日 気仙沼 アンカーコーヒー4

今週は気仙沼のコーヒーの名店、「アンカーコーヒー」についてお届けしています。

「アンカーコーヒー」は2005年に気仙沼でオープン。 シアトルスタイルの洗練されたデザインの店舗で 自家焙煎の美味しいコーヒーを提供するお店として人気を集めていましたが、 東日本大震災による津波で本店を含む気仙沼市内の2店舗と焙煎工場が流出。 去年の春に、「マザーポート店」と名付けた本店を再建しました。

「アンカーコーヒー」を手掛ける小野寺靖忠さんは、 アメリカ留学からの帰国後、“無ければ作ろう”と思い立ち「アンカーコーヒー」を立ち上げました。 震災でお店が無くなったあとも、そんな“無ければ作る”という思いが背中を押したといいます。

◆「無いものは有るようにしてしまおう」
基本的に僕の中にある、何か魂の火みたいなのがあって、無いものは有るようにしてしまおう、出来ないものは出来るようにしてしまおうというのがあるんですよ。だからコーヒーショップを作る。今も、気仙沼がどういう形をとるのか分からないですけど、僕の中では世界中の人がここに住みたいって思ってもらえるような、そんな街になっていかないかな〜と思ってますし、どんな逆風は吹いても、なにかしらそういう風にしていかないとなという風に思ってやってました。ただやっぱり、「震災だから何なのさ」っていう意地みたいなのもあって、震災にあうというのは交通事故に遭うのとどう違うのさ、って思ってる自分もいて。もちろんたくさんの人が一気に亡くなっちゃったってのはあるんだけど、それぞれに個人的な災難が起こったっていう考え方も出来るじゃないですか。でも交通事故に遭ったからっていって、「もう車に乗りません」っていうのは違うと思うし、だからこの街に住まないっていうのも違うよなと。どこまでも僕はここで生まれたし、じいさんばあさんもここだし、ほんとにここをどう楽しく生きてて、ここに生まれたことを誇りに出来るような、あるいは「いいね!気仙沼に生まれたんだ!アンカーコーヒーあるとこでしょ?」って言われるような、そういう出来事を増やして行けるように頑張るしかないと思っています。


生まれてきたことを誇りに思えるような街にしていきたい・・・そう小野寺さんが思い描く、これからの気仙沼ですが、いま港の一部を除いて街をぐるりととり囲む、防潮堤の工事が進められています。そうした復興計画について、代々気仙沼に暮らしてきた小野寺さんはどう思っているのでしょうか。

◆海と生きる
気仙沼は「海」なんですよ。海からのめぐみを受けて、今までずっと、めんめんと生きてきたというのがあるので、じいさんも漁師でしたし、もう片方のじいさんは造船関係の鉄工所でしたし、そういう海と関わって海と共に生きる、気仙沼の標語が「海と生きる」、2011年から掲げているんですけど、ほんとに「海と生きる」、このことに尽きると思います。なので、人間は海に寄り添って生きている、人間と海の境界線のところが我々の生活の舞台なんだなって思うし、それが我々の文化だと思います。その海と人間の営みの間に防潮堤が出来て、それで安心感が生まれるっていうのはちょっと違うんじゃないかなって思ってて、高台移転とかで住むところは高いところに移動しますし、出来るだけ危機感を持って生き、危機感を持って子供を教育し、家を建てる工場を建てる土地を購入するって時に、その危機感も感じながら選べるような、そんな港町であって欲しいなって思います。


そんな小野寺さんが手がける「アンカーコーヒー」は、姉妹店の「フルセイルコーヒー」と共に宮城県と岩手県で8店舗を展開。また自家焙煎の商品は、オフィシャルホームページで通販もしています。

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パーソナリティ 鈴村健一

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