2016年3月15日

3月15日 福島県出身の音大生が奏でる「奇跡のピアノ」

今日は「奇跡のピアノ」です。

東日本大震災の津波で潮や泥をかぶり、修復は困難とされた福島県いわき市豊涼羈惺擦離哀薀鵐疋團▲痢このピアノを、懸命な修復作業によってよみがえらせたのが、いわき市のピアノ調律師、遠藤洋さんです。

今回東京の百貨店で、この「奇跡のピアノ」によるミニコンサートが行われました。

演奏したのは、福島県出身の現役音大生、フルートの遠藤優衣さんとピアノの篠原聖華さん。ユイさんは調律師、遠藤さんの次女で、専門はフルートですが、ピアノ歴も15年になります。父のヒロシさんが修復したピアノを真っ先に試弾したのも、娘のユイさんでした。

◆一音一音想いが伝わってくる
ピアノだけでもそのときの悲惨さが伝わってくるし、ピアノ自体ガラクタぐらい、砂も被ったピアノだったので、たぶん直らないんじゃないかなと思うくらい状態もひどかったので、修復が終わり完成して試演したときはいろんな思いを感じながら試演しました。ふつうの音とは違って、音の中にも一音一音思いが伝わってくる音色で、震災の重みを感じました。


ユイさんの自宅は福島第一原発からおよそ30キロのところにあり、震災直後は一時、自主避難を余儀なくされました。また、中学高校時代は、吹奏楽部でフルートを担当。特に高校では、仮設校舎で練習時間も限られるなか、吹奏楽コンクールで3年連続全国大会に出場しています。

◆将来はピアノも弾けるフルーティストになりたい
4歳からピアノをやっていたが、中学1年生の部活動で吹奏楽をやるときに、吹奏楽ではピアノはあまり使わないので、なにか楽器をやるとなったときにフルートの音色を聴いて、きれいだなと思って始めたのがきっかけ。震災後はいままでより練習時間も短くなり、遠い校舎で練習したり、不便でした。音楽は趣味でも続けたいと思っていて、高校3年の(進路を決める)ぎりぎりまで看護師になろうと思っていたんですけど。看護師になろうと思ったのも震災のことがあったから。看護師になって人を助けようと思ったんですが、音楽を聴いていろいろ癒されることもあったので、人生にとって音楽は絶対必要というわけじゃないけれど、音楽があることで心が落ち着いたり、精神が安定したり、伝えられるなにかがあると思ったので、ぎりぎりになって音楽を続けたいと思って音楽大学を受験しました。いま音楽大学に通っています。将来ピアノも弾けるフルーティストになりたいです。


「ピアノも弾けるフルーティストになりたい」と話してくれた優衣さん。現在は神奈川県内の音楽大学に通って、フルート奏者として腕を磨く一方ピアノの練習も続けています。「自分が音楽に支えてもらったので、今度は自分が音楽で人の心を癒したい」とも語ってくれました。

東京・日本橋高島屋では、今日も「奇跡のピアノ」によるミニコンサートが行われ、フルートの遠藤ゆいさんとピアノの篠原きよかさんがステージに立ちます。 
午後2時と午後4時の2回。場所は日本橋高島屋1階の正面ホールです。

明日は福島県浪江町出身、篠原きよかさんのインタビューをお届けします。
  

2016年3月14日

3月14日 女川さいがいFM阿部真奈さんレポート

東日本大震災からちょうど5年を迎えた、3月11日、金曜日。TOKYO FMでは特別番組「LOVE&HOPEスペシャル5年目の春だより」をお届けしました。

その中で、宮城県女川町から町の様子をレポートしてくれたのが、おながわ災害FMのパーソナリティ、阿部真奈さんです。女川のいまとこれからを、町の方へのインタビューも交えながら伝えてくれました。今日はそのレポートの模様をお届けします。

♪おながわ災害FMステーションジングル
おながわ災害FMでは、東日本大震災の後、町民にさまざまな情報を届けて、人と人、町と町をつないできました。
「おながわ災害FM」のパーソナリティ、阿部真奈さんが被災したのは高校1年生のとき。震災の津波で大切な家族を失いました。「自分になにかできることはないか」そんな気持ちから、おながわ災害FMの初代メンバーとして活動し、現在は神奈川県内の大学で「まちづくり」を学んでいます。

阿部)こんにちは阿部真奈です。いま私が立っているのは女川町立病院の前。この周辺は高さ16メートルの津波が襲った地域です。震災当時車で女川町立病院に避難した方も多くいて、ここまで津波が来たので車でなくなった方もたくさんいらっしゃいました。
また女川町は復興のトップランナーのようにいわれていますが、ふと目を山側に向けると、いまもかさ上げの工事が続いています。災害公営住宅に入居できるのも2年後と言われていて複雑な想いを抱えながらの5年になっています。
おながわ災害FMとして町の方に取材をした。その声を聞いてください。

「(83歳 仮設住宅に住むおじいさん)
生活の中で復興したと感じる?「ないな。ここら辺だと店がない。買い物行くんだって駅前だっちゃ?自転車で行くんだって上りは上がれない。ちょこちょこ来る移動販売で買えるので、ほとんど出かけないよ。」

阿部)女川町の仮設に入居している人の声。立派な駅やおしゃれな商店街もできて喜ぶ声もありますが、町民にとって復興が進んでいるかと言うと、そうではない。「身の丈に合った復興じゃない」「女川の素朴な駅前の風景が懐かしい」という声も聴かれました。復興復興と言われるが、復興に対する想いはそれぞれ、温度差があると感じます。

おながわ災害FMもこの3月で終了します。終了というと「女川町はもう大丈夫なんだね」と言われることも。決してそうじゃない。復興したから終わるのではなく、むしろこれから。これからは「被災地女川」ではなく「女川町」として勝負していかなければいけないと感じています。


真奈さんは現在大学3年生で就活の真っ最中。将来はメディアの仕事に携わり、震災の経験や防災について伝える仕事がしたいと夢について語ってくれました。

おながわ災害FMは3月27日で放送を修了しますが、4月以降もコンテンツの制作やインターネットを利用した情報発信を続けていくということです。
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パーソナリティ 鈴村健一

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