2016年4月7日

4月6日 大川小出身 佐藤そのみさんの手紙

東日本大震災の津波で多くの児童・教職員が命を落とした、石巻市の大川小学校。佐藤そのみさんも、当時小学校6年生だった妹のみずほさんを、大川小で亡くしました。
そのみさんは「お兄さんとそのみさん、そしてみずほさん」の3人兄弟。2つ違いの妹みずほさんとは、性格も正反対。でも、大の仲良しでした。


今朝は、佐藤そのみさんが、妹のみずほさんに宛てた手紙をご紹介します。


『みずほへ』

お元気ですか。私は元気で大学生活初めての春休みを過ごしています。
本当ならみずほはこの春から受験生だね。英語の通訳者の夢を叶えるために、一生懸命勉強しているんだろうなあ。なんたってみずほは私と違ってすごく努力家さんだ。
そうそう、みずほが大好きだったあのバンドが、今度の五月で解散しちゃうんだって。よくラジオの前に二人くっついて並んで聴いていたね。びっくりして、どうしてもみずほを連れて行きたくて、思わずラストライブのチケットを買ってしまいました。ちゃんとついて来てね。あと、お下がりであげたい服がたくさん溜まっています。みずほは私が選んだ服でもお下がりでも、なんでも文句言わずに大切に着ていたのを思い出すなあ。

こうやって話し始めたら止まらないくらい、教えたいことがたくさんあります。みずほの顔を見て話すこともできなくなって、もう5年も経つんだね。風景も人も環境も、あれからずいぶん変わってしまいました。
みずほのこともあの日のことも、段々薄れていってしまうようで怖くなることがあります。なんだかそれってすごく悲しいな。みずほの声もすぐには思い出せなくなりました。だから時々、一緒に近所の川に魚を見に行った時に撮影した映像を見て、みずほの声を確認するようにしています。こんな私を見て、みずほはどう思うだろう? 

正直私はみずほにとってどんな姉だったのかとか、津波にのまれてしまう瞬間まで何を考えていたのかとか、時々想像してみても全然分かりません。これからもずっと分からないんだと思う。せめて12年間の短い人生がみずほにとって幸せなものであったことを願うばかりです。

でも、みずほは家族が好きだったでしょう? 
友達が、学校が、好きだったでしょう? 
大川が好きだったでしょう? 

いつも隅っこでにこにこしていたみずほを思い浮かべると、すごくそんな気がするんだよね。今、お姉ちゃんもおんなじ気持ちです。だから、大好きな大川のためにできることを考えて行動したい。大好きな家族のために、自分らしくまっすぐに生きたい。 頑張るよ。

みずほ、いつもありがとう。これからも見守っていてね。
2016年3月 佐藤そのみ 



宮城県石巻市出身、佐藤そのみさんが震災で亡くなった妹のみずほさんに宛てた手紙。そのみさん自身の声で朗読してくれました。
そのみさんは昨年東京の大学に進学して、この4月2年生になりました。「映像作家」になる夢を叶えるため、映像制作の勉強をしています。故郷石巻を舞台にした映画ができたら、誰より先に見せたいのは妹のみずほさんです。

2016年4月5日

4月5日 大川小出身 佐藤そのみさん2


東日本大震災の津波で多くの児童・教職員が命を落とした、石巻市の大川小学校。宮城県石巻市出身、佐藤そのみさんも、妹のみずほさんを大川小で亡くしました。

震災後「解体か保存か」で、街を二分する議論が続く中、そのみさんは、2014年春、他の卒業生とともに「大川小保存」の呼びかけを始めました。昨年は仙台で行われた「国連防災会議」でスピーチ。今年2月、石巻市で行なわれた市民公聴会でも自分の意見を発表しました。

◆5年経って地域の人の距離もどんどん離れていってる
妹の同級生の代の生き残った女の子3人とか、何人か同じ気持ちを持っている子たちと集まって、「大川小を残したいんです」という意見表明をしてきました。わたしたちの母校だから遺してほしいというのもあるし、これからまた同じことを起こさないためにも、防災、教育、学べる場にという気持ち。いまもうそうなっていると信じたいが、これからもあそこがないとだめだなと思って。
震災は地域の人の距離とかもすごいバラバラにしちゃったなっていう感じがした。どんどん離れていってるなっ、距離があるなって。5年経ってなおさらですね。戻る感じがしない。どうしたらいいんだろうと思うけど。ずっと残していくためには、お金もかかるし、いろんな補強も必要だし、もちろん地元の人たちの気持ちもちゃんと一緒にしないといけないから。
同級生の子たちの中にも「壊してほしい」という子もいたし、それは全然間違ってなくて、気持ちもわかる。壊してしまったらどうすることもできないので、とりあえず遺して時間をかけて、これからもっといろんな地区の子たちと話せる場が欲しいなと思っている。


そのみさんは昨年の春、故郷石巻を離れて上京し、日本大学芸術学部に進学。子どものころから目指していた「映像作家」になる夢を叶えるため、映像制作を学んでいます。
「いつか、大好きな石巻を舞台にした映画をつくりたい。」そのために、石巻の風景や大川小学校の様子を少しずつ撮りためています。


撮影:佐藤そのみ

◆私が生きてるうちになにかやりたい
大川地区を映画にしたいなという思いは変わらない。小学校のときに撮った、いまは流された場所の写真を見て想い出すこともあるし。どうにか、大川地区でこういうことがあった、大川地区ってこういう地区だったということをフィクションとして映画にして発信したいと思い、大学も(映像監督の道に)決めた。できれば卒業制作でやりたい。
地元に戻りたいという気持ちも半分。こちらで映像制作もやりたいし、地元のためにもなにかやりたい。地元の景色は戻らないけど、震災前の道を歩けば必ず誰かが挨拶してくれるような、あの地域の暖かい関係を取り戻すことができたらいいな。なにかここから変えていかなくちゃいけないなと。わたしが生きているうちに、なにかやりたい。


「震災や津波の記憶を伝える“震災遺構”として、また自分たちの想い出が詰まった場所として、大川小を保存したい」そんなそのみさんたちの思いが伝わって、市は大川小保存の方針を先日発表しました。

「LOVE&HOPE」明日は、佐藤そのみさんが、亡き妹のみずほさんに宛てた手紙をご紹介します。
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パーソナリティ 鈴村健一

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