2016年4月8日

4月8日 「Support Our Kids」海外ホームステイ募集中!

今朝は、海外ホームステイを経て成長した、東北の子供たちの活動に注目します。

「東日本大震災で被災した子ども達の自立」、そして、「復興のリーダー育成」を目的に、震災から10年間、継続して被災した子ども達の支援に取り組もうというプロジェクト「Support Our Kids」。2011年の夏に始まって、これまで、延べ296人の子供たちを、10か国に派遣しています。このホームステイに参加した子供たちの声は、これまでも番組で紹介してきました。

そんな「Support Our Kids」の海外ホームステイを経験した、OB/OG たちが、いま復興プロジェクト「HABATAKI」を立ち上げ、自分たちが受けた支援を還元しようと、活動を続けています。その中の一つが、去年、震災に見舞われた、ネパールの子供たちを東北に招き、被災地の現状と、復興に立ち向かう姿を見て感じてもらおうというもの。メンバーの大学生たちは街頭募金やクラウドファンディングを重ねて資金を集め、ネパールの高校生3人を東北に招きました。

「HABATAKI」に参加する、宮城県出身の3人のメンバーに、今回の計画についての思いについて聞きました。

◆私達にしか出来ないことホームステイを思いついた
清澤環です。奥山瑠捺です。阿部日向子です。
奥山 「ネパールの地震、心配した。一週間後に募金を始め、私達にしか出来ないことホームステイを思いついた」
阿部 「思っていたより多くの方が協力してくれた。温かい言葉もかけていただいた。」
清澤 「毎週末立つことでみんなの記憶からネパール震災が薄れていくのを感じた。クラウドファンディングはFB 等での呼びかけや達成率報告などを頻繁に行い成功した。」
奥山 「人込みの中、ネパールの子どもだけが浮かんで見えた。あぁ、来てくれたんだ!と感動。」


清澤環さん21歳、奥山瑠捺さん19 歳、阿部日向子さん19 歳、この3人をはじめとするHABATAKIメンバーは、先日3月21日から31日にかけて、ネパールの高校生3人を東北に招き、南三陸町の震災遺構などを見学したり、東北の大学で震災について学んだり、自分たちが海外ホームステイで経験したような交流を重ねました。そして清澤さん、阿部さん、奥山さんは、この活動を終えて、こんな感想を語っています。

◆真の友だちができた
清澤「自分の夢である“民間から世界平和を実現” 、ということに可能性を見いだせた。
阿部「3 人共、“震災があったからこそ”と言っていたことが印象に残っている。
奥山「ネパールの高校生から、はじめて真の友達ができた、と言われたことが嬉しかった。 」


今回招かれたネパールの高校生たちは、帰国前のレクリエーションで、「こんなにたくさんの愛をもらったのは初めてです」「この経験はまさに私たちにとって、“ニュービギニング”です」と、感謝の言葉をつづっていたそうです。

*****

清澤さん、阿部さん、奥山さんも経験した、「Support Our Kids」の海外ホームステイ、第6回/2016年度の参加者を、現在募集中です。派遣予定の国は、アイルランド、アメリカ、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドで、各国10名。いずれも7月下旬から約2週間程度のホームステイになります。募集するのは、東日本大震災で被災した中学2年生から高校3年生までの生徒たち。4月20日まで、「Support Our Kids」の事務局で、応募の受付をしています。

詳しくはコチラをご覧ください

2016年4月7日

4月7日 大川小の解体を望む遺族の想い

今日は宮城県石巻市の教師、平塚真一郎さんの声をお届けします。

東日本大震災の津波で多くの児童・教職員が命を落とした、石巻市の大川小学校。先日市が、大川小の旧校舎を「震災遺構」として保存する方針を発表したことはこの番組でもお伝えしました。

しかし昨年行われたアンケートでは、「大川地区の住民」そして「遺族」の多くが、旧校舎の解体を希望しているのも事実です。平塚さんもその一人。大川小で、当時小学6年生だった娘の小晴さんを亡くしました。

今年2月に行われた市の公聴会で自らの思いを訴えた平塚さん。今日はその声をお届けします。

◆悲しみを想起させ、遺族に苦しみを与える旧大川小校舎はもう必要ない
わたくしは震災時、大川小学校で娘を亡くした平塚と申します。
想像してください、わが子が帰ってこない喪失感を。泥の匂いに包まれたガレキの中からわが子を掘り出すことを。数時間数日前まで確かにあったぬくもりが突如奪われたという事実と悲しみを。救えたはずの命が帰らぬものとなった親の無念さ、悔しさを。

想像してください。もう生きて帰ることなんて望みもしない。せめて骨一本でもわが子の手がかりが見つかればと、津波で一変した故郷大川の地を来る日も来る日も掘る姿を。遺体が見つかったことをともに捜索した方と手を取り合い涙して喜ぶ姿を。5年経とうとしているいまも、いまだに家族のもとに帰ってこられない一部でも捜索し続けている遺族がいることを。できれば校舎を壊して、周辺の探し切れていないところをくまなく捜索したいという思いを。

想像してください。ただただ亡くなった方がたのために手を合わせたいだけなのに、大型バスで乗り付けた観光客に憐みや好奇の目を注がれることを。それが嫌で近寄れないことを。あの校舎をバックに記念写真を撮る姿を見せられることを。メディアに「大川小」という文字が躍るだけで、胸が締め付けられる思いの遺族がいるということを。

ここで起きたことは「悲しみ」などと一口で語れるものではないのです。「遺族の悲しみはわかるけれども遺すべき」という意見があります。遺族の悲しみは遺族にしかわかりません。その悲しみは一生消えることがなく、我々遺族は深き悲しみをこれからも背負っていくのです。だとするならば、せめてせめて、悲しみにつながるものは取り除きたい。その解体を望むこうした遺族や地域の人々の苦しみや悲しみといった犠牲はやむを得ないものですか。これから何十年も我慢しなければならないものですか。

旧大川小校舎の解体に賛成します。あの場所は子どもたちの笑顔と地域の方たちの暖かさに包まれた場所でした。あの無残の校舎はいまではもうそうした場所ではないのです。悲しみを想起させ、遺族に苦しみを与える旧大川小校舎はもう必要ありません。あそこを遺族の、そして集う方々の心安らぐ場にしてほしいのです。そして天国に旅立った皆さんも笑顔にしてほしい。それが本当に後世に遺すべきものであるとわたしは思います。



宮城県石巻市、平塚真一郎さんの声をお届けしました。
平塚さんに電話でお話を伺ったところ「“解体”という言葉ばかりが強調されるが、あの場所をなにもなかったようにしてほしいということではない。心静かに追悼する場所にしてほしいということ」。「保存の方向性が示されたからには、整備や維持、運営など覚悟を持って取り組んでほしい」と話してくださいました。そして、なにより重要なのは、建物そのものではなく、震災の経験をきちんと伝えていくこと、「教育」だとも話していらっしゃいました。
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パーソナリティ 鈴村健一

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