2016年4月12日
4月12日 南三陸町 若者から若者へ語り継ぐ(2)
宮城県南三陸町を舞台に、若者から若者に震災を語り継ぐ取り組みです。
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宮城県南三陸町戸倉地区。震災当時、戸倉中学の2年生だった小野寺翔君たち同級生が企画した「南三陸町ツアー」。「自分たちが経験した震災の経験を、一人でも多くの人に伝えたい。」そんな想いから、被災地に足を運んだことのない首都圏の学生たちを連れてふるさと南三陸をめぐる2泊3日のツアーを企画しました。
![](/cms/thumbnails/09/097692afb957cc251200a278421e8646.jpg)
![](/cms/thumbnails/e0/e0d13933d17ded8274b7deddb926519e.jpg)
『このように牡蠣剥きをしています。だいたい一日に一人2000個ぐらい剥きますよ。牡蠣は栄養価が高いの知ってますか。牡蠣には二日酔いなど肝機能をよくするタウリンや、鉄分などミネラル分もいっぱいある。皆さん食べたらきれいになるし、牡蠣剥きをしているお母さんたちも肌きれでしょ?海のミルクと言われるくらい牡蠣には栄養分が高い。じゃあ、ここで剥いたやつをこちらで洗浄します。』
ツアー2日目に訪れたのは、地元の産業の中心、牡蠣の養殖場。案内人は、牡蠣やホタテ、ホヤ、ワカメなどを手掛ける養殖歴45年のベテラン漁師、佐々木幸一さんです。
![](/cms/thumbnails/37/37e5e33b8c4580da22c3b43e3024bdf5.jpg)
◆簡単に海をやめられない
『震災から5年になる。小野寺翔君たちも中学2年だった?早いね、みんな立派になって。
わたしはここで牡蠣の養殖をしている佐々木と言います。ここは共同の牡蠣の処理場。家族12軒が仲良く牡蠣剥きの作業をしている。震災のときはここに20軒ほどの牡蠣の建物があったが、全部津波で流されてしまって。わたしたちも「もう無理だな」と思ったが、ガレキを片付けながら、やはり海でがんばっぺと。そうしたら延べ人数1000人以上の方にボランティアが来てくれて作業をしてくれて。そのおかげでいまこうやって、ほとんど震災前と同じくらいの漁場を設定することができた。ただ、前は少し過密養殖だったので、いまは震災前の3分の1の施設台数になったが、その分牡蠣でもなんでも実入りがよくなって、いいものが獲れるようになった。震災のときは海って怖いと思った。でも皆さんも見てもらってわかるとおり、海ってすごい。あんなに怖い思いをしたのに、海の恵みはやっぱりすごいなと。海の恩恵をわたしたちは受けている。簡単に海をやめられない。
皆さんもこれから進む道はいろいろだと思う。町のために、復興のために一生懸命頑張らなきゃというのはずごく立派だと思うが、本当に自分のやりたいことをとことん頑張ってもらうというのが、私たちにとって一番うれしいこと。君たちにとってもそれが一番なので頑張ってください。』
宮城県南三陸町戸倉中学校の卒業生が企画した「震災を語り継ぐ南三陸町ツアー」、首都圏の大学生に被災地を案内するツアーなんですが、高校卒業後地元を離れた小野寺翔くんたちも、こうして地元の猟師さんに震災後話を聞く機会はなかったそう。「海に対する想いを聞いて、改めて地元の魅力に気づかされた」と話していました。
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宮城県南三陸町戸倉地区。震災当時、戸倉中学の2年生だった小野寺翔君たち同級生が企画した「南三陸町ツアー」。「自分たちが経験した震災の経験を、一人でも多くの人に伝えたい。」そんな想いから、被災地に足を運んだことのない首都圏の学生たちを連れてふるさと南三陸をめぐる2泊3日のツアーを企画しました。
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『このように牡蠣剥きをしています。だいたい一日に一人2000個ぐらい剥きますよ。牡蠣は栄養価が高いの知ってますか。牡蠣には二日酔いなど肝機能をよくするタウリンや、鉄分などミネラル分もいっぱいある。皆さん食べたらきれいになるし、牡蠣剥きをしているお母さんたちも肌きれでしょ?海のミルクと言われるくらい牡蠣には栄養分が高い。じゃあ、ここで剥いたやつをこちらで洗浄します。』
ツアー2日目に訪れたのは、地元の産業の中心、牡蠣の養殖場。案内人は、牡蠣やホタテ、ホヤ、ワカメなどを手掛ける養殖歴45年のベテラン漁師、佐々木幸一さんです。
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◆簡単に海をやめられない
『震災から5年になる。小野寺翔君たちも中学2年だった?早いね、みんな立派になって。
わたしはここで牡蠣の養殖をしている佐々木と言います。ここは共同の牡蠣の処理場。家族12軒が仲良く牡蠣剥きの作業をしている。震災のときはここに20軒ほどの牡蠣の建物があったが、全部津波で流されてしまって。わたしたちも「もう無理だな」と思ったが、ガレキを片付けながら、やはり海でがんばっぺと。そうしたら延べ人数1000人以上の方にボランティアが来てくれて作業をしてくれて。そのおかげでいまこうやって、ほとんど震災前と同じくらいの漁場を設定することができた。ただ、前は少し過密養殖だったので、いまは震災前の3分の1の施設台数になったが、その分牡蠣でもなんでも実入りがよくなって、いいものが獲れるようになった。震災のときは海って怖いと思った。でも皆さんも見てもらってわかるとおり、海ってすごい。あんなに怖い思いをしたのに、海の恵みはやっぱりすごいなと。海の恩恵をわたしたちは受けている。簡単に海をやめられない。
皆さんもこれから進む道はいろいろだと思う。町のために、復興のために一生懸命頑張らなきゃというのはずごく立派だと思うが、本当に自分のやりたいことをとことん頑張ってもらうというのが、私たちにとって一番うれしいこと。君たちにとってもそれが一番なので頑張ってください。』
宮城県南三陸町戸倉中学校の卒業生が企画した「震災を語り継ぐ南三陸町ツアー」、首都圏の大学生に被災地を案内するツアーなんですが、高校卒業後地元を離れた小野寺翔くんたちも、こうして地元の猟師さんに震災後話を聞く機会はなかったそう。「海に対する想いを聞いて、改めて地元の魅力に気づかされた」と話していました。