2016年4月14日
4月14日 南三陸町 若者から若者へ語り継ぐ(4)
今週は、若者から若者へ、震災を語り継ぐ取り組みです。
宮城県南三陸町戸倉中学校の卒業生、小野寺翔君と同級生が企画した「南三陸ツアー」。首都圏の学生を連れて故郷をめぐる、2泊3日の被災地ツアーです。ツアー2日目。一行は、小野寺君と同級生の西條育美さん、そして阿部成子さんの実家があった、戸倉の在郷地区を歩きました。
![](/cms/thumbnails/f4/f44e7d759074cacba4ffbd51dad61c17.jpg)
◆『震災前自分が住んでいたところをいつまでも忘れないでいたい』
小野寺:在郷は俺ら3人が住んでた地区で、川を挟んでいて、山までずっと集落があったんだけど、たぶん戸倉のなかでもけっこう犠牲になった人が多くて、その理由は、山に来るほど海が見えないから、絶対大丈夫っていう気持ちがあるから、でも川を伝って波が来たので、だから奥の人ほど亡くなっている。こっちの山の方でも遺体が発見されたりした場所。
西條:震災直後にきたときは、家の基礎とか瓦礫の中から元の家にあったものを見つけて、なつかしいなって思えていたんだけど、いまは形もないし、盛り土もされているし、道も変えられていて、まったく面影がないっていうか、来ても写真とかを見ないと全然思い出せなくなっていて、時間がたったのもあるんだけど…だから自分が育ってきた場所なので、悲しいなっていう思いはある。
阿部:いくら頻繁に足を運んでも、その度に景色が変わっているので、いっぱい来たからといって思い出せるわけでもないし…あんまり故郷っていう感じもしないかもしれない(笑)なにもなさすぎて。。。
西條:戻ってきたいっていう思いは、5年たった今はそんなになくて、ただ震災前の自分が住んでいたところをいつまでも忘れないで、思い出せたらいいなっていう思いはある。
![](/cms/thumbnails/89/8937e57f0e2a86a2b3e3da6dee4301a3.jpg)
小野寺君、西條さん、阿部さんともに実家が流され、小野寺君と西條さんの家族は、いまも仮設住宅での暮らしが続いています。また、阿部さんは、おばあ様とお父様が津波の犠牲となりました。
震災当時中学2年生、現在大学2年生になった小野寺君。津波によって地元の景色は一変しましたが、いまも、ふるさと南三陸が大好きです。
◆『ふるさとの復興に携わりたい』
震災が起きて、実際に目の前で本当にたくさんの人が亡くなっているのを見て、それから本当に私たちの意識というか、一日一日を大切に生きなきゃなっていう思いになったし、だからこそ私が育った街だから、未来の街を造るのも私たちかなと思う。将来的には本当にどういう形かはまだわからないが、なにかしらの形で故郷の復興に携わりたいなっていう思いはある。
やっぱり海と山と里があってっていう、本当に自然に囲まれた暮らしやすい街、そこがいちばん大好き。いまはかさ上げで景色も変わっているが、海や山の景色は変わってないので、やっぱりいつ戻ってきても、いい街だなって思う。
今回参加された、関東の大学生3人の感想です。
◆牡蠣のところに行って話を聴いたりして、くじけてないというか、震災で被害を受けても海で生きていこうというのが強いなあと思った。
◆正直もっと建物とかが立って、復興が進んでいるのかなあと思ったけど全然そんなことなくて。津波が来たところには家を建てちゃいけないのも知らなかった。まだ結構傷跡は大きいんだなと思った
◆あくまでわたしのなかでの風化は防げたかなあと。次の3月11日を迎えるときはいままでとは違うんだろうなと思った。
![](/cms/thumbnails/cf/cf429d4685622cdfd230a495fd88666d.jpg)
今週は「震災を語り継ぐ南三陸町ツアー」についてご紹介しました。
これまで2回行われた「南三陸ツアー」。現在第3回目のツアーを夏に企画中です。
詳細が決まり次第、このブログでもご紹介します。
宮城県南三陸町戸倉中学校の卒業生、小野寺翔君と同級生が企画した「南三陸ツアー」。首都圏の学生を連れて故郷をめぐる、2泊3日の被災地ツアーです。ツアー2日目。一行は、小野寺君と同級生の西條育美さん、そして阿部成子さんの実家があった、戸倉の在郷地区を歩きました。
![](/cms/thumbnails/f4/f44e7d759074cacba4ffbd51dad61c17.jpg)
◆『震災前自分が住んでいたところをいつまでも忘れないでいたい』
小野寺:在郷は俺ら3人が住んでた地区で、川を挟んでいて、山までずっと集落があったんだけど、たぶん戸倉のなかでもけっこう犠牲になった人が多くて、その理由は、山に来るほど海が見えないから、絶対大丈夫っていう気持ちがあるから、でも川を伝って波が来たので、だから奥の人ほど亡くなっている。こっちの山の方でも遺体が発見されたりした場所。
西條:震災直後にきたときは、家の基礎とか瓦礫の中から元の家にあったものを見つけて、なつかしいなって思えていたんだけど、いまは形もないし、盛り土もされているし、道も変えられていて、まったく面影がないっていうか、来ても写真とかを見ないと全然思い出せなくなっていて、時間がたったのもあるんだけど…だから自分が育ってきた場所なので、悲しいなっていう思いはある。
阿部:いくら頻繁に足を運んでも、その度に景色が変わっているので、いっぱい来たからといって思い出せるわけでもないし…あんまり故郷っていう感じもしないかもしれない(笑)なにもなさすぎて。。。
西條:戻ってきたいっていう思いは、5年たった今はそんなになくて、ただ震災前の自分が住んでいたところをいつまでも忘れないで、思い出せたらいいなっていう思いはある。
![](/cms/thumbnails/89/8937e57f0e2a86a2b3e3da6dee4301a3.jpg)
小野寺君、西條さん、阿部さんともに実家が流され、小野寺君と西條さんの家族は、いまも仮設住宅での暮らしが続いています。また、阿部さんは、おばあ様とお父様が津波の犠牲となりました。
震災当時中学2年生、現在大学2年生になった小野寺君。津波によって地元の景色は一変しましたが、いまも、ふるさと南三陸が大好きです。
◆『ふるさとの復興に携わりたい』
震災が起きて、実際に目の前で本当にたくさんの人が亡くなっているのを見て、それから本当に私たちの意識というか、一日一日を大切に生きなきゃなっていう思いになったし、だからこそ私が育った街だから、未来の街を造るのも私たちかなと思う。将来的には本当にどういう形かはまだわからないが、なにかしらの形で故郷の復興に携わりたいなっていう思いはある。
やっぱり海と山と里があってっていう、本当に自然に囲まれた暮らしやすい街、そこがいちばん大好き。いまはかさ上げで景色も変わっているが、海や山の景色は変わってないので、やっぱりいつ戻ってきても、いい街だなって思う。
今回参加された、関東の大学生3人の感想です。
◆牡蠣のところに行って話を聴いたりして、くじけてないというか、震災で被害を受けても海で生きていこうというのが強いなあと思った。
◆正直もっと建物とかが立って、復興が進んでいるのかなあと思ったけど全然そんなことなくて。津波が来たところには家を建てちゃいけないのも知らなかった。まだ結構傷跡は大きいんだなと思った
◆あくまでわたしのなかでの風化は防げたかなあと。次の3月11日を迎えるときはいままでとは違うんだろうなと思った。
![](/cms/thumbnails/cf/cf429d4685622cdfd230a495fd88666d.jpg)
今週は「震災を語り継ぐ南三陸町ツアー」についてご紹介しました。
これまで2回行われた「南三陸ツアー」。現在第3回目のツアーを夏に企画中です。
詳細が決まり次第、このブログでもご紹介します。