2016年6月13日
6月13日 サンドウィッチマンが語る東北の復興1
今週は、宮城県仙台市出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおさん、富澤たけしさんのインタビューをお届けします。
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東日本大震災から、5年3ヶ月。今月も月命日の11日には、東北沿岸部で警察・ボランティアによる捜索活動が行われましたが、こうしたことが報じられる機会も限られてきています。
そんな中、サンドウィッチマンのお2人は、現在も沿岸部にあししげく通い、東北の「いま」を伝える活動を続けています。まず、お2人の活動のきっかけとなった、自らの被災体験を改めて伺いました。
◆5年で気持ちの切り替えなんてできない。
伊達:僕らは2011年3月11日2時46分に、宮城県気仙沼で番組ロケをしていました。海の目の前で2時46分を迎え、カメラマンが「経験したことのない揺れなので高台へ避難しましょう」と。僕と富沢は、せっかく海の目の前にいるんだし津波警報も出ているから逆に海の方へ見に行きましょうよ、どのくらいの津波が来るか。せっかくカメラもいるんだし。
富澤:だいたい津波がくるっていっても10センチ、20センチの津波だというのが多かったので、それくらいだったら大丈夫だろうと思って、見たいですねという話をしたんです。
伊達:でもあまりに揺れが酷いので、安波山というところに慌てて避難をしたんですね。それであとから聞いたら、僕らがいたところには8mの津波が押し寄せてきていた。そこにいたら本当に僕らはいなかったんだろうなと。逃げましょうと言ってくださったカメラマンの方には会うたびにありがとうと言っていますね。そこから山の上からずっと市街地を眺めていたんですけど、町中を飲み込む様子を僕らはただただ見ているしか無かった。もうなんとも言えない光景ですね。今もその時の音とか悲鳴とか、クラクションを鳴らしながら波に飲まれるクルマとか。昨日のことのように頭にありますね。5年経ちましたというところなんですけど、たった5年で気持ちの切り替えってなかなかできないもんですよ。それまでずっと一緒にいた人が急にいなくなり、ましてや、まだ発見されていないとなると5年もなにも関係ないですからね。
富澤:津波で亡くなった方もいれば、のちに自分で命を断ってしまった人もいましたから。
伊達:ぼくの友達もそうでしたね。自分以外の家族が全員津波で流されちゃって、子どもも奥さんも流されて。そいつは自分で長い棒を持って、捜索していたんですよ。そしたらこれは奇跡だと思うんですけど自分の子供を自分で発見したんですよ。それで抱きかかえて、泥だらけになった口を全部水道で洗って・・・。発見してその2週間後くらいに奥さんが家から900mくらい離れたところで発見されて。見つけてあげたということで友達も頑張って生きていたんですけど、ちょうどその1年後に「子どもに会いに行ってくる」という手紙を書いてそいつは死んでいったんですけど。辛いですよね。そいつの身にはなれないですよ。俺でももしかしたらそうするかな、と思うくらいの出来事でしたね。実はニュースにならないけどそういう話がたくさんあって。やっぱり家族を急に亡くすというのはね、交通事故でもそうですけど、なんともいたたまれない出来事ですよね。
震災の直後から、すぐにテレビ・ラジオで被災地の状況、何が必要かを訴え続けていたことは、記憶に残っている方も多いはず。いまもお2人はブログなどを通じて、東北各地に通って見聞きしたことを伝え続けています。東日本大震災から5年3ヶ月。6月10日現在の行方不明者数は2558人です。
★伊達みきおブログ
★富澤たけしブログ
★東北魂義援金(サンドウィッチマンが立ち上げた義援金)
明日もサンドウィッチマンのインタビュー、お伝えします。
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東日本大震災から、5年3ヶ月。今月も月命日の11日には、東北沿岸部で警察・ボランティアによる捜索活動が行われましたが、こうしたことが報じられる機会も限られてきています。
そんな中、サンドウィッチマンのお2人は、現在も沿岸部にあししげく通い、東北の「いま」を伝える活動を続けています。まず、お2人の活動のきっかけとなった、自らの被災体験を改めて伺いました。
◆5年で気持ちの切り替えなんてできない。
伊達:僕らは2011年3月11日2時46分に、宮城県気仙沼で番組ロケをしていました。海の目の前で2時46分を迎え、カメラマンが「経験したことのない揺れなので高台へ避難しましょう」と。僕と富沢は、せっかく海の目の前にいるんだし津波警報も出ているから逆に海の方へ見に行きましょうよ、どのくらいの津波が来るか。せっかくカメラもいるんだし。
富澤:だいたい津波がくるっていっても10センチ、20センチの津波だというのが多かったので、それくらいだったら大丈夫だろうと思って、見たいですねという話をしたんです。
伊達:でもあまりに揺れが酷いので、安波山というところに慌てて避難をしたんですね。それであとから聞いたら、僕らがいたところには8mの津波が押し寄せてきていた。そこにいたら本当に僕らはいなかったんだろうなと。逃げましょうと言ってくださったカメラマンの方には会うたびにありがとうと言っていますね。そこから山の上からずっと市街地を眺めていたんですけど、町中を飲み込む様子を僕らはただただ見ているしか無かった。もうなんとも言えない光景ですね。今もその時の音とか悲鳴とか、クラクションを鳴らしながら波に飲まれるクルマとか。昨日のことのように頭にありますね。5年経ちましたというところなんですけど、たった5年で気持ちの切り替えってなかなかできないもんですよ。それまでずっと一緒にいた人が急にいなくなり、ましてや、まだ発見されていないとなると5年もなにも関係ないですからね。
富澤:津波で亡くなった方もいれば、のちに自分で命を断ってしまった人もいましたから。
伊達:ぼくの友達もそうでしたね。自分以外の家族が全員津波で流されちゃって、子どもも奥さんも流されて。そいつは自分で長い棒を持って、捜索していたんですよ。そしたらこれは奇跡だと思うんですけど自分の子供を自分で発見したんですよ。それで抱きかかえて、泥だらけになった口を全部水道で洗って・・・。発見してその2週間後くらいに奥さんが家から900mくらい離れたところで発見されて。見つけてあげたということで友達も頑張って生きていたんですけど、ちょうどその1年後に「子どもに会いに行ってくる」という手紙を書いてそいつは死んでいったんですけど。辛いですよね。そいつの身にはなれないですよ。俺でももしかしたらそうするかな、と思うくらいの出来事でしたね。実はニュースにならないけどそういう話がたくさんあって。やっぱり家族を急に亡くすというのはね、交通事故でもそうですけど、なんともいたたまれない出来事ですよね。
震災の直後から、すぐにテレビ・ラジオで被災地の状況、何が必要かを訴え続けていたことは、記憶に残っている方も多いはず。いまもお2人はブログなどを通じて、東北各地に通って見聞きしたことを伝え続けています。東日本大震災から5年3ヶ月。6月10日現在の行方不明者数は2558人です。
★伊達みきおブログ
★富澤たけしブログ
★東北魂義援金(サンドウィッチマンが立ち上げた義援金)
明日もサンドウィッチマンのインタビュー、お伝えします。