2016年7月5日
7月5日 岩手県陸前高田市 戸羽太市長
今日は、岩手県陸前高田市の戸羽太市長のお話です。
![](/cms/thumbnails/ab/ab7a0b5dda98d25af8dd93d27afc8a43.jpg)
先日の日曜日、陸前高田市では「高田スマイルフェス」が行われました。陸前高田市や川崎フロンターレなどが主催したイベントで、地元の子供たちを招いてのサッカー教室や川崎フロンターレとベガルタ仙台によるスマイルドリームマッチ、ナオト・インティライミのライブステージなどが行われ、約3000人の方が集まりました。その会場となった「上長部グラウンド」は、
震災の時津波に沈んで、人の住めない地域になった場所。そこに2012年、日本サッカー協会が協力をして地元の皆さんと一緒に作った芝のグラウンドです。もともと陸前高田はスポーツがとても盛んなところだったそうですが、こうした特別な場所に出来たグラウンドにたくさんの人たちが集まってにぎわう様子を見た戸羽市長、どんな感想を持ったんでしょうか?
◆いまだに小中学校の校庭が使えない状況
そうですね、もともとマリンスポーツも盛んですし、陸上スポーツも盛んですし、とにかく子供たちがスポーツやってない子はいないくらいスポーツが盛んなところだと思います。ですが、いまどこの小学校中学校の校庭もまだ仮設住宅が建っていて使えない状況で、もう震災から6年目に入りまして、いまの6年生は自分の小学校で運動会しないで卒業するというような状況なんですね。ですからJリーグの皆さんとかいろんな方々にお世話になって、ここの長部という所にグラウンドを作って頂いて、そこでまさかプロの試合を見れるなんていうのは、子供たちにとっても大人にとっても本当に有り難くて有り難くてしょうがないですね。
ここはそうした子供たちに、伸び伸びとスポーツをしてもらおうということで作られた場所でもあるんですが、この場所で、震災前畑をやっていた地元の方に話を聴いたところ、“元気に走り回る子供たちを見ているとこちらも元気になる” と嬉しそうにお話しされていました。
高台に家があって、津波の浸水域に公園やスポーツ施設がある、という上長部。これはいま復興工事を急ぐ陸前高田の≪町の将来図を象徴したカタチ≫でもあります。その場所に立って思うことを聴いてみました。
◆最後に仮設を出られる方、平成31年中
グラウンドがある場所は津波が来た場所で、そのすぐ脇の山には家が建っていて、陸前高田を象徴する場所だと思います。陸前高田の場合は人の住める場所と住めない場所を完全に分けてますので、町全体もこういう感じになっていくのかと思います。陸前高田市の場合は、被災地の中でもいちばんひどい部類でありまして、復興計画の通りにいっても最後に仮設住宅を出る方は平成31年になります。しかし実際には少し遅れが出ているということで、我々の目標としては31年中に出られればいいなというくらいになってますので、まだまだ大変な状況、3000人以上が仮設住宅に住んでいるという状況です。高齢化率も高いですし、生まれてくる子供の数も少ないということで、まさに日本がこれから直面する課題がぜんぶ山積している場所だということですから、我々は先駆けてそれにチャレンジしていかなければならないということが大きな課題かと思います。
戸羽市長ご自身も、津波で奥さまを亡くされています。あの日からこれまで、市長としての公務に全力をかけているその根底にあるものとは、どんな思いなのでしょうか?
◆悔しさをバネに
いちばんには「悔しさ」ですよね。私と同じような思いをしている人はたくさんいます。このままへこたれて潰されてしまうんだとすれば、これはもう人生生まれてきた意味もないわけですし、我々は大変なこと辛いことがありましたけど、でも一方でこうやってたくさんの方に支えて頂いたり応援を頂いたりという喜びも知っていますから、我々がしっかりとした町を創ることで、残念ながら犠牲となられた方の思いというものを含めて、納得は出来ないかもしれないですけど、お前らよく頑張ったな!と言ってくれるような町を創りたいという思いでいつも仕事をしています。
岩手県陸前高田市は最大で12メートルかさ上げして、宅地を含む中心市街地を整備する復興計画の事業完了予定は、平成30年度末。
ほかの場所で事業を再開した人たちが、どのくらい中心街に戻ってくるのか?土地交換=換地でかさ上げされた場所に家を建てる人がどれくらいいるのかも不透明です。
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先日の日曜日、陸前高田市では「高田スマイルフェス」が行われました。陸前高田市や川崎フロンターレなどが主催したイベントで、地元の子供たちを招いてのサッカー教室や川崎フロンターレとベガルタ仙台によるスマイルドリームマッチ、ナオト・インティライミのライブステージなどが行われ、約3000人の方が集まりました。その会場となった「上長部グラウンド」は、
震災の時津波に沈んで、人の住めない地域になった場所。そこに2012年、日本サッカー協会が協力をして地元の皆さんと一緒に作った芝のグラウンドです。もともと陸前高田はスポーツがとても盛んなところだったそうですが、こうした特別な場所に出来たグラウンドにたくさんの人たちが集まってにぎわう様子を見た戸羽市長、どんな感想を持ったんでしょうか?
◆いまだに小中学校の校庭が使えない状況
そうですね、もともとマリンスポーツも盛んですし、陸上スポーツも盛んですし、とにかく子供たちがスポーツやってない子はいないくらいスポーツが盛んなところだと思います。ですが、いまどこの小学校中学校の校庭もまだ仮設住宅が建っていて使えない状況で、もう震災から6年目に入りまして、いまの6年生は自分の小学校で運動会しないで卒業するというような状況なんですね。ですからJリーグの皆さんとかいろんな方々にお世話になって、ここの長部という所にグラウンドを作って頂いて、そこでまさかプロの試合を見れるなんていうのは、子供たちにとっても大人にとっても本当に有り難くて有り難くてしょうがないですね。
ここはそうした子供たちに、伸び伸びとスポーツをしてもらおうということで作られた場所でもあるんですが、この場所で、震災前畑をやっていた地元の方に話を聴いたところ、“元気に走り回る子供たちを見ているとこちらも元気になる” と嬉しそうにお話しされていました。
高台に家があって、津波の浸水域に公園やスポーツ施設がある、という上長部。これはいま復興工事を急ぐ陸前高田の≪町の将来図を象徴したカタチ≫でもあります。その場所に立って思うことを聴いてみました。
◆最後に仮設を出られる方、平成31年中
グラウンドがある場所は津波が来た場所で、そのすぐ脇の山には家が建っていて、陸前高田を象徴する場所だと思います。陸前高田の場合は人の住める場所と住めない場所を完全に分けてますので、町全体もこういう感じになっていくのかと思います。陸前高田市の場合は、被災地の中でもいちばんひどい部類でありまして、復興計画の通りにいっても最後に仮設住宅を出る方は平成31年になります。しかし実際には少し遅れが出ているということで、我々の目標としては31年中に出られればいいなというくらいになってますので、まだまだ大変な状況、3000人以上が仮設住宅に住んでいるという状況です。高齢化率も高いですし、生まれてくる子供の数も少ないということで、まさに日本がこれから直面する課題がぜんぶ山積している場所だということですから、我々は先駆けてそれにチャレンジしていかなければならないということが大きな課題かと思います。
戸羽市長ご自身も、津波で奥さまを亡くされています。あの日からこれまで、市長としての公務に全力をかけているその根底にあるものとは、どんな思いなのでしょうか?
◆悔しさをバネに
いちばんには「悔しさ」ですよね。私と同じような思いをしている人はたくさんいます。このままへこたれて潰されてしまうんだとすれば、これはもう人生生まれてきた意味もないわけですし、我々は大変なこと辛いことがありましたけど、でも一方でこうやってたくさんの方に支えて頂いたり応援を頂いたりという喜びも知っていますから、我々がしっかりとした町を創ることで、残念ながら犠牲となられた方の思いというものを含めて、納得は出来ないかもしれないですけど、お前らよく頑張ったな!と言ってくれるような町を創りたいという思いでいつも仕事をしています。
岩手県陸前高田市は最大で12メートルかさ上げして、宅地を含む中心市街地を整備する復興計画の事業完了予定は、平成30年度末。
ほかの場所で事業を再開した人たちが、どのくらい中心街に戻ってくるのか?土地交換=換地でかさ上げされた場所に家を建てる人がどれくらいいるのかも不透明です。