2016年7月7日

7月7日 内牧温泉「いまきん食堂」のあか牛丼(2)

今朝も昨日に引き続き、被災地・熊本から、阿蘇の赤牛をつかった「あか牛丼」が名物!「いまきん食堂」のレポートをお届けします。

阿蘇市内にある内牧温泉街にお店をかまえるのは明治43年創業の大衆食堂「いまきん食堂」さん。
四代目、今村 聡さんが考案した、地元の赤牛をつかった「あか牛丼」が広く知れ渡り、平日で2時間待ち、連休だと5時間待ちの看板メニューとなりました。

しかし熊本地震の影響で観光客は激減。震災前の半分のお客さんに留まっているといいます。

◆震災後2週間で再開。先頭きって再開させないと。
自宅は半壊。お店も2週間ぐらい営業できなくなったんですけど、やっぱりお店までの道のりがスムースではなくなりましたので。そしてうちで働いているスタッフのうち3人が家が全壊ということで、早く店を開けてよかったなと思っています。少しでも昔みたいに普通にいい阿蘇を取り戻したいという気持ちで早目に開けさせていただきました。再開できたのは4月29日、2週間後ぐらいですかね地震から。内牧温泉自体もお湯が出なかったり、いちばん大きい旅館が傾いて営業できてない状況ですし、一般のお客さんを入れているのは今、半分ぐらいなんじゃないでしょうか。その辺大変なんですけど、やはり先頭きって開けなければいけないのは感じてましたし、親父がしなさい、ということで。
オープンした時は初日に商店街や地域の人達が並んで、久々に知った顔ばかりのいまきん食堂というか、観光客も一人もいませんし、ある意味ホッとするというか、僕にとっては懐かしい食堂に戻れたな〜といういい経験だったような気がします。


震災の影響は建物や道路だけではありません。肝心の「赤牛」にも、影響が出ています。

◆災害を乗り越えて阿蘇をもう1回よくしたい
震災の影響で農家の方も地震で牛の納屋がつぶれて牛も何十頭と死んでるんで、赤牛の数も減って農家をする人も減って、エサ代も高くなってるし僕たちの想像の及ばないところで値段が動いているので、うちは定食屋なんで今もあか牛丼だけが1つだけ千円超えてるんですよね、なるべく安くしていきたいなと思ってるんですけど、普通は(今の値段も)無理なんですよ、うちが百年続いていたから駐車場も建物も親父が出してくれているんでね。そういうところで(今の値段で)出せるんですけども。地震の後親父の時代のメニューを入れてるんですよ、高菜チャーハンとかパリパリ焼きそばとか。どうしても今は観光客の方も多いんですけど地元のお客さんも結構来ていますので。毎日来られる方もいるので昔に戻らにゃいかんなーと思って。一時調子こいてたんで。阿蘇って書いておけば売れていた時代だったんで。阿蘇という名だたる観光地が全部壊れてしまって、そういうのが無くても生きていけるような、自分の技とかそういうのを磨いてなかったツケがまわってきてるのかな、もう一度感覚を見直すいい機会なんじゃないかなと思って。僕自身も3回避難所暮らしなんですよ、ここで3回災害があって、九州北部豪雨の前にも平成2年にも水害があってたくさんの方が亡くなられたんですよね。で災害乗り越える度に阿蘇はだんだん良くなっていったんですよね。今回ももしかしたらもう1つ良くなるんじゃないかなと思っています。
  

スタッフいわく、名物の「あか牛丼」だけでなく、先代のメニューを復活させたちゃんぽんがめちゃめちゃ美味しかった!と。

営業時間は11時〜午後2時まで。ぜひ阿蘇のドライブ兼ねて、内牧温泉目指してでかけてみては。温泉も少しずつ復活していますので!
いまきん食堂 HP

2016年7月6日

7月6日 内牧温泉「いまきん食堂」のあか牛丼

月曜日にお届けした、阿蘇市内にある内牧温泉。熊本地震の影響で温泉の湧出が止まり、一部の旅館で営業が再開できないままでいます。そんな内牧温泉に、震災後も行列のできるお店があります。阿蘇の赤牛をつかった「あか牛丼」を目当てに、震災前は平日でも “2時間待ち” は当たり前!創業して“百年余り”の大衆食堂「いまきん食堂」です。

『明治43年創業。初代が今村金三で「いまきん」食堂ということで、キムタクの走りみたいなもんです。僕で四代目になります!』

得意の「ジョーク」でおもてなしをしてくれたのは「いまきん食堂」四代目、今村 聡さんです。
明治43年創業。地元に愛されてて百年余り。名物赤うし丼は現在広く知れわたっていますが、最初からメニューにあったわけではありません。創業当時のお話しを伺いました。

◆赤牛を食べることが、阿蘇の自然を守ることにつながる
もともとこの地区は馬車の停留所で、阿蘇山の上で牛を飼っていて、その牛たちの牧草とか荷物の運搬の馬を停める場所が目の前で、その前で食堂をしてました。メインではキジとかハモとかハトを利用していた時代ですね。働く人のための食堂だったんですね、観光向きではなく。僕が継いでから赤牛を使い始めたのは。それはうちの前が役所や農協で働く人たちに向けて商売してたんですけど、平成の町村合併で役所や農協がなくなり、お客さんも減ってきたんで、じゃぁ観光客相手にってことで、この辺りの旅館の先輩方たちが赤牛を使ってみないかってことで。この町で赤牛を名物にすると、阿蘇の自然を保てるということを勉強しはじめて、それから赤牛を使わなければと思ってやっています。阿蘇といったら草原なんですよね、この草原は千年間守られているんですけど、草原は草を牛が食べる、その草原を見に観光客がお見えになるんですけど、その草原を維持するのにものすごい手間がかかるんです、年に何回も草を刈って冬には焼いて。そこで育つ牛がいることで農家さんが潤って草原が保てる、ようやく循環できる。本当は田んぼのための農耕牛だったんですね、今でいうトラクターの代わりの牛だったんですけど。ですので赤牛を食べていただくことで阿蘇の草原が守れて、そのおかげで観光客が来てくれますし、一度は走ってみたい道路とかで世界中からドライブに来られる方、自転車にのって、バイクに乗ってきていますので。


いまきん食堂 四代目の聡さんが、ふるさとに帰って店を継いだのは二十三歳の時。阿蘇の素材のよさをそのまま生かすため、4〜5回の改良を重ねて、現在の「赤うし丼」の味にたどり着いたといいます。

◆百年やってようやくたどり着いた味
赤牛という阿蘇の牛のもも肉を使ったステーキ丼みたいな感じ。赤牛自体が放牧されている牛さんなので黒牛より硬くて、さしもなくて。でも今そういう牛の方が健康で運動している筋肉質の部分を食べて「あ、肉食ってんな」という感じで。その辺を目指しています。最初はじめた頃はずっと1年ほど赤字だったんじゃないかな。普通に味を突き詰めればどうしてもステーキ屋さんと焼肉屋さんのほうにたどり着いてしまうんです。にんにくや玉ねぎとか、バターを使ったほうがおいしく感じるのかもしれないですけど、この地元の赤牛の味を出していって、引き算をずっとしていって、余分なものを抜いてたどり着いたんですね。基本しょう油とみりんぐらいになってるんですけど、下にお漬物が敷いてある。やっぱり赤牛プラス阿蘇のご飯、地元の温泉でつくった温泉卵と一緒に食べていただいております。ようやく百年やってきて、ようやくうちのお店に「行列」とか雑誌に載って、家族では毎日がフィーバーだったですね。いまきんがとうとう!百年かかってようやく!という感じで。おかげで街にもそれなりの経済効果も出てると思うし、この町で赤牛が神様みたいになっております。


『LOVE&HOPE』、今朝は熊本からのレポート。阿蘇の赤牛をつかった「赤うし丼」が名物、創業から百年余りの「いまきん食堂」についてお伝えしました。

「いまきん食堂」がお土産に販売している「あか牛味噌」もあります。少し大きめに切ったあか牛を、ゆっくり煮込んだ肉味噌です。ごはんと共にお召しあがりください。

いまきん食堂さん、水曜日は定休日です。
震災の影響など、明日も引き続きお送りします。

いまきん食堂 HP
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パーソナリティ 鈴村健一

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