2016年7月11日

7月11日 岩手県陸前高田市「サイコウ勉強会」(1)

今朝は、岩手県陸前高田市に立ち上がった「サイコウ勉強会」についてお伝えします。

東日本大震災から5年4カ月が経った今も、陸前高田市の沿岸部では最大で12メートルかさ上げ工事が続いています。山を切り崩した高台に住宅地を造成、低地は盛り土をして、宅地を含む中心市街地を整備するという市の復興計画は2018年度末の完了を予定。その上で【換地(かんち)=土地交換でかさ上げされたその土地に戻ってもらい、家を建て、生活を再スタートしてもらう】という方針です。

高田地区の川原集落もその一つ。川原の出身で「サイコウ勉強会」を立ち上げたお一人、菊池純一さんにお話を伺いました。

◆家が建ちました、じゃ復興じゃない
これから高田の町をどうするか計画が出た時に、その計画事業の説明会があったんですね、で自分たちの土地がどうなるのか説明されたんですが、聞いてわかりましたか?わからないと。俺もわからないから町内の人もみんなわからないだろうなってことで、勉強会が始まりました。今いろんな町に仮設住宅ができてみんなバラバラにされたんですね、15ヵ所も。1軒というところもあって。つまり、これから高台へ換地されるわけですけど、その換地された先のこれから一緒に住む人達の顔がどんな人なんだろうかとか、どういう町にしたいのか、公園はどうするとか、コミニティについて話したいなと思ってて。今じゃないとできてしまってからは言えないので。 一番大きいのは高台ごとに行政区ができると言われてて、行政区の名前はどうなるんですか?というのは興味があるとみんな言ってます。昔の町内会の名前、例えば「河原」っていう名前がイイよね、っていう人もいるんです。それ自分たちで考えられるよねと思ってる。夢のある話をしているんです。そうやって作っていけばコミニティが早く出来上がっていい町になるんだろうね。それが復興だと思ってるので。家が建ちましたじゃ復興じゃないので。そこに住んでいる人達が毎日笑顔あふれる、幸せを感じられるような町になれば、それが復興だなって思ってるので。それが目標ですね。
ちゃんと住民が話し合って行政に言えばちゃんと受け取ってくれると思いますよ。個人の一人の意見じゃなくてみんなで決めたんだからってことで。それがみんな出来ないと思ってるから。もうすでに出来上がってる高台の行政区の人達にも声をかけて一緒に勉強しませんか、って声をかけてるんですけどなかなか来ないです。全然動き出そうしてなくて。だから家を建ててそれで精一杯なんだろうなって。だからもっといろんな人に話をしたいんですけど。一番聞きたいのは若い人達の意見なんですよ、20代30代の。これからの人達が新しい町に想いを入れてくれれば絶対にいい町になって繋がっていくと思うんですよ。うちら前の町は先人たち作った歴史ある町を維持していくって感じでしたけど、これから新しい町を作るのに新しい人たちの声を入れないとね。これから歴史を作っていく人達。うちらはその場所を提供したいだけなんです。意見どうのこうの言うんじゃなくてね。


地域住民がバラバラに暮らさないといけない現状の中で、少しでも意見を聞いて、もともと町にあった結びつきを取り戻したい、より良い町にしたいというお気持ちで菊池さんは活動を続けています。また、菊池さんは親子で町の消防団員を務めていましたが、津波で長男を亡くされています。いま菊池さんの背中を押すものとは。あすも菊池さんのお話しをお届けします。

サイコウ勉強会 ブログ

2016年7月8日

7月8日 陸前高田の記憶「波のした、土のうえ」

今日7月8日から、東京・お茶の水の「Gallery蔵」で「波のした、土のうえ」という巡回展が始まります。これを手掛けるのは、映像作家・小森はるかさんと、画家で作家の瀬尾夏美さんです。

お二人は学生時代の2011年、ボランティア活動で陸前高田市へ行ったことが縁で陸前高田へ移住。小森さんはおそば屋さん、瀬尾さんは写真館で働きながら、変わりゆく風景や地元の皆さんが語る言葉を、写真や映像、絵、文章に書き留めてきました。

陸前高田との出会い、この地に通うようになった理由について伺いました。

◆ひとりのおばあさんとの出会い
(瀬尾)私たちは2011年の震災の時に学生だったんですけど、ふたりでレンタカーを借りてボランティアに行ったというのがきっかけです。北茨城に最初行ったんですけど、いろんな町を転々としながらその中で陸前高田であるおばあちゃんに出会って、2011年の4月5日とか6日だったと思います。私たち初対面だったんですけどとにかく猛烈にたくさんのお話しをしてくれたんですね。で高田なので海の方はもちろんやられているんだけど、でもなんか、全部流してしまったと言いつつも、ここにあった町はすごく好きな町だった、ここにあった町は本当に本当にきれいだったんだっていう話を彼女がしてたんですね。で高田の町がなくなって歴史も無くなったっていうのはあまりに淋しいなってその時に思って、そこからここに何が有ったかっていうの見たいなって思い始めて、それがいちばん最初のきっかけで、そこから高田に通うようになりました。
(小森)私たち美大でとくにその美術というのは役に立たないというか、災害の時に何をしたらいいんだろうみたいな、でそういうなかで、避難所で会ったおばあさんに、故郷がもう少し北の小さな集落でそこに行くことが出来ないけれど、もしあなたたちがカメラを持っているんだったらかわりに行ってきて、撮ってきてくれませんかっていうことがあって、そこから「記録」ということが一つ大きな軸となって、続いていると思うんですけれども。


はじめは“カメラを向けることはとても出来なかった”そうですが「記録」をすることで陸前高田との関わりを深めていった小森さんと瀬尾さん。

その一つ一つを積み重ねて完成した「波のした、土のうえ」とは、どういった展覧会なのでしょうか?

◆「波のした、土のうえ」
この展覧会は「波のした、土のうえ」という展覧会で、2014年の秋に出来て、そこから自主企画的に日本全国を巡回してやっと東京に来たという形なんですけど、この2014年の夏から秋にかけてというのは陸前高田で復興工事がめちゃくちゃ本格的になった時間だったんですね。復興工事っていうのは、新しい町が出来てきれいな町が出来てっていうイメージしかなかったんですけど、野山を削ってそこから土を運んできて、そして市街地のあった場所に土をどんどん重ねていくっていう工事だったんです。つまり、思い出のあった山々の形ががどんどん崩れてしまって、そこにみんな花を手向けにいったりとか、弔いの花畑を作ったりしていた、自分たちの記憶の痕跡が有った市街地を埋めていくっていう作業でもあった。そうなったときに私たちはやっと一つ気づいたことがあって、私たちが2011年から2014年にかけて見せてもらっていたその土地っていうのは、つまり記憶の集積のほんの最後の痕跡が残っているそういう薄い皮膜のようなものだったっていうことにやっと気づいたんです。だから「波のした、土のうえ」というタイトルは、波が去ったあとに土のうえの残った薄い層みたいなイメージで作っていて、そこに何があったか、どんな思いがあったっていうのを提示したいと思ったんですね。


◇津波のあとに残された痕跡と、そこにある住民の記憶を、絵、写真、映像作品にした、「波のした、土のうえ」。会期は今日から7月31日まで。詳しくはコチラから。

◇ギャラリーのある「御茶ノ水ソラシティ」のイベント会場「お茶ナビゲート」でも会期中、陸前高田の伝統行事「うごく七夕」を守り続ける男性などを迎えてトークイベントが行われます。

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パーソナリティ 鈴村健一

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