2016年7月13日

7月13日 陸前高田 カフェフードバー わいわい 太田明成さん

今朝は、岩手県陸前高田市の “商店街のいま” をお伝えします。

今回中西さんがお邪魔したのは、13店舗が集まる仮設商店街「つどいの丘商店街」にお店を構える「カフェフードバー わいわい」。大人から子供に人気のメニュー、震災後“3万本”も食べられているという「なっちく」からいただきました。

「なっちく」です。ちくわの中に納豆を入れてフライにしたものです。
いただきま〜す。合う!こんなに合うと思わなかった! 3万本以上売れるわけがわかりました!


納豆とちくわで「なっちく」。とろけるまで煮込んだワカメが入った、タルタルソースを付けるとさらに美味です!考案したのは、飲食店を営む「カフェフードバー わいわい」の店長、太田明成さん。実は太田さん、この番組では以前にもご紹介しています。

震災前、陸前高田の駅前通りに飲食店を構え、軌道に乗った1年と4か月後に津波で店舗が流されてしまいます。しかし、自宅が残った太田さんはすぐに立ち上がります。4か月後、いち早く高台に仮設の店舗をオープンさせ、さらに翌年の2012年6月には、「つどいの丘商店街」で本店を構え、現在はまちづくりにも尽力されています。

常に町の復興のため走り続けている太田さんに、5年前を振り返っていただきました。

◆仮設商店に残るか、街に移動するか
あの当時は1店舗だけ出来てもハッキリ言って何も意味がない。何店舗かの店が出来上がって買い物客が来ること。どこかで仕事して稼いでそれで飲みに来るということをしないと、1店舗だけ建っても経済が動かないことには復興にはならないので。だからオープン当日も市役所に行って仮設商店街の建設に関する会議をしていた。(もっと先を見ていた?)僕にとっては仮設商店街が出来上がったたぶん周りも出来上がってるし人の動きも出来てくるし、より復興に近づいてくるんじゃないかなと思ってたので。飲食店組合に入ってるんですけど、今年25店舗が飲食店組合に入ってるんですけど、これって震災前とほとんど変わらないんですよ、数からいえば。組合に入ってない方達を入れると30〜40店舗は陸前高田に飲食店がある状況なので、数的には戻ってきているのかなと。ただここからですよね。新しい街がどう出来上がるかというのと、たしか陸前高田には500〜600のお店があった。それが震災で流されてしまって、今街にもう一度移って商売をしたいという人たちが約100なんですよね。さらにその100店舗が一斉にお店を開店して、はいオープン!ってわけではないので、来年建てる人再来年建てる人、徐々に建っていきますから、それらを見据えてから街にいくか考える人たちもいますから。そうなると、やっぱりここにいた方がいいのかな、って思うこともある。現実的に街にいって 30坪くらいのお店を作ろうとすると、、毎月の支払が20万〜30万くらいになる。今(仮設商店)だと5万以下なんですよ。単純に純利益を今より15万〜20万近く上げないといけない。それはかなり厳しい。それを10何年続けていくのは。1〜2年はいいと思う街が出来上がって。長い目で見て観光客が少なくなるとか、人口の減少、高齢化もありますし。今のとこといい材料が見いだせない。そう言ってて僕たちが一歩引いていると何も始まらないので、そういう不安材料はたくさんあるんですけど、街ができないと僕らの下の代、子供たちや孫たちが生活していくわけですから、市がどんどん廃れていってしまうのは困るので、なんとか移り住みたいなとは思いますけどね。


太田さんほか、仮設商店街に入っている方の葛藤が今回うかがえました。「未来を描くうえで、いい材料が見いだせない」とおっしゃっています。もともと陸前高田のまちは観光の街でした。海岸線にあった観光資源「高田松原」が津波で流され観光客の戻りも見込まれない中、街に戻ってお店を再開させるのは、相当難しい選択なのではないでしょうか。

あすも陸前高田市「カフェフードバー わいわい」太田さんのお話お伝えします。

2016年7月12日

7月12日 岩手県陸前高田市「サイコウ勉強会」(2)

今朝も昨日に引き続き、岩手県陸前高田市の高田地区に立ち上がった「サイコウ勉強会」を主宰するお一人、菊池純一さんのお話しです。

陸前高田市の中心地、高田地区にあった川原集落。いまは15の地域に分かれてそれぞれ仮設住宅などで生活をしていますが、市街地をかさ上げして住民を元の場所に戻そうという市の復興計画に対し、住民みんなで意見を出し合い“震災前よりいい町にしよう” と話し合っているのが「サイコウ勉強会」です。

菊池さんの家は代々続く畳屋さん。震災前は菊地さん夫婦と、父母、3人の子供の、家族7人で暮らしていました。菊池さんと息子さんは、町の消防団員も務めていました。

◆消防団員で避難誘導していて
高田の町は海が近くて自然も豊かで人と人のつながりがすごい強い町でした。で、あの忌まわしい津波によって、町内会の半分の方が亡くなってしまったんですね。自分と息子は現役の消防団だったので、すぐ半纏を持って、自分は町内会に「逃げろ!逃げろ!」って言って回ったんですね。で息子は陸前高田市の体育館の近くで避難誘導してて、で体育館に逃げて、帰ってきませんでした。遺体が見つかったのはそれから一カ月半ですね。ぜったい帰ってくると思って探してたんですけど、どっかにいるんだろうと。もう、夢を見てるみたいな。立ち直れなかったですね。なんでこんな試練を受けなきゃいけないんだろうって。うちもそうですけど、陸前高田市では、消防団は52名亡くなってます。消防署員は1名。52名中の後輩なんですけど、1名まだ見つかってないです。行方不明のままですね。海に行っちゃったんでしょうね。まあ息子だけじゃなくて、仮設で亡くなってる人いっぱいいるんですよ。はやく新しい家つくって、そこで住まわせたかったなって、うちの親父もおふくろも仮設で亡くなったので。それだけが悔いが残ってて。だから今亡くなってる人たち、震災関連死だなって思ってますよみんな。無かったらもっともっと長生きしたと思うんですよね。震災でも亡くなってるし、そのあともっと亡くなってますから。そういうのはなかなか表に出てこないから。うち7人いたのにもう3人亡くなったんですよ。娘二人と4人で。うちだけじゃなくて悲しい思いをしていますよ。みんなね。


津波で息子さんを、そして長引く仮設住宅での生活の中で、お父さんとお母さんを亡くしながらも、勉強会を立ち上げ、町の復興に尽力する菊池さん。それは命を落とした家族に、背中を押されているから、なんでしょうか?

◆息子の分までやりたい
背中を押されてるんですかね(笑)。いや供養っていうのは、自分たちいま生きてる人たちが元気にやってる姿を見せることだと思ってるので。何やるにも息子の分までやりたいなと思ってるので。それがやっぱり、押されてるんですね。一生懸命やることが供養だと思ってるので。交流人口増やそうとか言ってますけど、やっぱり地元の人たちがいろんな思いを入れて作んないと、思いが入らないと、元気にならないと来ないですよ高田に。だから、こんなに楽しくやってるよ!ああ元気だな!高田に行ってみっかな!みたいな町になればいいかなと思いますね。
いちばん好きなところ・・・やっぱり潮の香り。海のそばっていうのが好きなのかな。うちらの前のサッカー場、海のそばだったんですよ。松原の中にあったんですよ。なのでそこでずっとサッカーやってたので。終わるとすぐに泳ぎに行ったりとか。やっぱり海無いのは考えられないですね。津波に遭うともう負けられっかってなるじゃないですか。もう逃げたいとかいう思いは無くて反対に、絶対まともな町にしてやるっていうのはありますね。

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パーソナリティ 鈴村健一

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