2016年7月20日

7月20日 陸前高田市 バンザイ・ファクトリー(2)

今朝は、昨日に引き続き、岩手県・陸前高田市のベンチャー「バンザイファクトリー」についてお伝えします。

「バンザイファクトリー」は、東日本大震災をきっかけに岩手県陸前高田市に本社を移転。地元の特産品をブランディングした様々な商品を開発してるベンチャーです。代表・高橋和良さんは、自分を起業家として育ててくれた陸前高田の恩人への思いから、この土地でビジネスを始めようと決意。様々な商品の開発に挑戦しています。

◆「椿茶」と「三陸甘茶煮」の誕生
町が無くなるということは、人が出て行って商業が成り立たなくなる。何が足りなくなるかというと仕事先。ものづくりで事業が生まれてくると、触発される人たちも出てくるだろうなと。そのさきがけを残された人生で少しやれば喜んでもらえるかなと。何かやらなきゃいけないと考えたのが椿の葉っぱを使うアイデア。陸前高田や大船渡は太平洋側の藪椿の北限で、椿油を作っていた。その椿の葉っぱをなんとか加工して椿茶というお茶を作ろうと。椿ってそもそも何なのか。椿は学術的にはツバキ科のトップにいて、その下に「ツバキ科のお茶(緑茶)」がある。つまり椿はお茶の先祖ということになる。だったらお茶にしようと。こんなに葉っぱがあるんだし。いろいろやったが椿の葉っぱだけではダメだという話になり、岩手県の九戸村が甘茶の産地で、震災後の風評被害でメーカーに嫌われて困っていたという。甘茶はノンカロリーノンカフェインで甘い。紅茶に近い味。甘いんだけど自然の甘さ。2年半かけて開発したが、いまは間に合わないくらい飛ぶように売れています。最近は津波が来た土地を借りて椿の植樹をやっています。社会貢献的にも良いし、ここに椿茶の看板を掲げれば、20年後ー30年後を考えてやっているんだなという話にもなりますし。
あとは開発当初は甘露煮だったが、今は「三陸甘茶煮」と呼ぶ商品。海産物を中心にしたギフトをここで作ろうと考え、漁師さんに、捨てるところはないですか?と尋ねたら、捨てるところはあるのだが加工業者がやりたがらないことが分かったんです。その捨てるところをお金にすれば漁師もよろこぶし、うちもいい。だけど付加価値が必要。日本は高血圧の国で糖尿病大国と言われています。白い砂糖や食塩が体に良くないのは最近は誰もがわかっている。一大ブランドにするなら難易度の高い砂糖と食塩を使わない煮物を作ろうと。でも甘くて日持ちするというのに挑戦しました。無謀だと言われ、案の定大失敗した。2年間どれくらい金をつぎ込んだかわからないくらい失敗した。でもこの煮物に関しても去年末に復興庁の最高賞をいただいて。人と違うことをするには、何年我慢できるか、どれだけ自分たちの成功を信じられるかだと思うんです。うちのスタッフはとにかく『高橋さんが来てくれたんだから」と言っている。そして賞をとると誇りを持ってやる気になってくれる。そういうのを体感できるのが起業家の醍醐味だと思います。



◇この「三陸甘茶煮」に使われるのが、ホタテにくっついたつぶ貝、わかめの固い茎部分など漁師さんが捨てていた「未利用部分」。2年かけて開発した、食塩・砂糖を使わず甘茶で甘みをつける特別な料理法で作られています。
◇バンザイファクトリーの工場では、80代のおばあちゃんから 20代の若者まで 22人の地元の方を雇っています。増えていく高齢者、そして夢を持って働きたい若者、両方が働きたい現場を作っていきたい、と高橋さんは語っていました。

バンザイ・ファクトリー高橋さんのインタビュー、明日へ続きます。

2016年7月19日

7月19日 陸前高田市 バンザイ・ファクトリー(1)

今朝は、東日本大震災をきっかけに、被災地に拠点を置き、ビジネスで地域に貢献するベンチャー企業についてお伝えします。お話を伺ったのは、「バンザイファクトリー」代表の高橋和良さん。岩手県陸前高田市に本社を置き、地元の特産品をブランディングした様々な商品を開発しています。震災前は、岩手・内陸部や秋田県に拠点があったこのベンチャー企業が、沿岸部・陸前高田に移転したきっかけ。それは代表・高橋さんの「恩返し」でした。

◆岩手県の大手スーパー「マイヤ」さんとの出会い
私は内陸出身で盛岡市周辺で生活してきたが社会人になって東京へ出て、サラリーマンをやって起業しました。25才の終わりくらいにゼロから会社を作ったんですが、当時のお客さんで陸前高田市の大船渡にスーパーマーケットを展開している「マイヤ」さんの当時専務だった米谷春夫さんにすごくかわいがってもらったんです。岩手出身ということもあって大事にしてもらった。その人に「独立したらどうだ」と言われ、お金も自信もないと言ったら、資本金を「ほれ使え」って出資してくれたんですよ。それで私はコンピューターシステムを開発していって、全国の大学病院の過半数以上に入るものを開発したんですが、そういう恩があって、励ましてくれて、起業するのを手伝ってくれたご縁でここに私が震災後にやってきたという感じなんです。


30代で医療関係のベンチャーを成功させた高橋さん。「純粋に人の役に立つ開発がしたい」と40代後半でこの会社の経営から退き、木工とITを組み合わせた“趣味のような”小さな会社を新たに起業。2006年ごろから、岩手県の漆、木材、南部鉄器を活用した商品開発をスタート。第二の人生を順調に築いていたといいます。


◆究極のユニバーサルデザインの追及
2009年に一人ひとりの手の握り方の「木のコップ」を作るというのを3次元コンピューターシステムを使って開発して、注文が来た中に「脳溢血で手に力が入らない、いつ死ぬかわからない親父にコップを作ってやりたい」というお客さんに納品して数カ月後に連絡が来たんです。「コップを親父が気に入って、朝は牛乳を飲んで夜はビールを飲むんです。究極のユニバーサルデザインじゃないですか」という手紙をもらって。それでお付き合いのあった三重大学でその話をしたところ、「そのユニバーサルデザインを大学で研究しませんか」という話になり、2010年に三重大学を受験。合格通知が2011年2月に届きました。米谷春夫さんも喜んでくれて。でもその1ヶ月後に震災が来たんです。だから自分は大学へ行かないつもりでしたが、会社も家族も被災している状況の米谷春夫さんから電話があり、「大学に行けばのちのち何か人の役に立つ商品を生み出すから、絶対に入学しろ」といわれ、震災2ヶ月後に入学。その成果が5年後、ユニバーサルデザインのスマートフォンケースの開発に成功したので。コツコツやっててよかったと思っています。


こうして高橋さん、秋田県にあったバンザイファクトリーの工場やご自宅を全て売却。2012年には住まいも工場も陸前高田に移転。起業家としてお世話になった恩人の地元で、腰を据えて新たなビジネスを生み出していこうと、挑戦を続けています。バンザイ・ファクトリーはお話に出てきた「握りやすいオーダーメイドの木のコップ、その名も「我杯」(わがはい)、同じく、握りやすいスマホケースほか、様々な商品を開発・販売などの展開をしています。

バンザイ・ファクトリー サイト
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パーソナリティ 鈴村健一

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