2016年7月26日

7月26日 陸前高田の記憶「波のした、土のうえ」

今朝も昨日に続いて、現在、東京・お茶の水の「Gallery蔵」で開催中の巡回展、「波のした、土のうえ」を手掛ける2人の女性、
映像作家・小森はるかさんと、画家で作家の瀬尾夏美さんのお話しです。

お二人は学生時代の2011年、ボランティア活動で陸前高田市へ行ったことが縁で、その後陸前高田へ移住。小森さんはおそば屋さん、瀬尾さんは写真館で働きながら、変わりゆく風景や地元の皆さんが語る言葉を写真や映像、絵、文章に書き留め、復興に向かう中で失われていく記憶の痕跡や、住民の心の揺れをこの巡回展で伝えています。

あらためてこの巡回展、「波のした、土のうえ」の内容について、伺いました。


◆陸前高田の記憶「波のした、土のうえ」
この展覧会は二部構成になっていて、一部目は絵とか写真とか言葉が中心で、もう一つが映像の作品です。その映像作品は、陸前高田の記憶の痕跡がかろうじて残る2014年の秋から冬にかけて撮影したものになります。この映像というのは陸前高田の3人の方にお願いして、町のあった場所とか、思い出のあった場所を一緒に歩きながらたくさん話を聞かせてもらい、その声をもとに小森が今まで撮りためた映像を声に当てていくような三部の映像作品で、これは観てください!みたいな感じです。今回トークイベントもたくさん企画しているんですけど、今まで巡回していく中で出会った福島とか神戸とか仙台の方々をお招きするというのは企画しています。


この映像作品、かさ上げ工事で間もなく埋まってしまう、もともとは町だった場所に地元の女性たちが、“最後の思い出に” と〔お花畑〕をつくる場面が描かれていて、むきだしの土色の中に色鮮やかに咲く花々が印象的ということでした。

町の復興が進むなかで、かすかに残る町の面影や、思い出の痕跡が失われていくのを胸を痛めながら見守っている人がいる・・・ふとそのことに気づかされるのが、「波のした、土のうえ」。お二人が陸前高田で活動を続けた理由について伺いました。

◆ここからまた物語が生まれる
(小森)やはり私たちが陸前高田にいた時間に、聞かせてもらったことや見せてもらったことって、新しい町が出来ていく前でもあり、かつての町がまだ残っているっていうそういう時間に居させてもらって、でそこで暮らしながら見させてもらったものっていうのを何とか受け渡していきたいっていう気持ちがすごく強くあって、どこか導かれているようなところもあって、どこまでたどり着くのか分からないんですけど歩んでいきたいと思います。
(瀬尾)もちろん私にとって高田っていう場所は重要だし、たぶんこれからもずっと見続けていく重要な場所になるんですけど、ああいう大きな出来事があって震災があってたくさんの人が亡くなったっていう場所で、ここから何かが生まれないと淋しいなって思ったんですね。亡くなった人とか無くなってしまった思い出とかが無かったことになるのは悲しすぎるっていうのが有るんです。ていう時に、きっとそこから物語が生まれるって思ったんです。でその物語が立ち上がりそうなところに私が居てみたいっていう非常に身勝手でもある気持ちとしてあるなって、いま話してて思いました。


陸前高田市の津波のあとに残された痕跡と、そこにある住民の記憶を絵、写真、映像作品にした巡回展「波のした、土のうえ」は現在東京・お茶の水の「Gallery蔵」で行われています。会期は7月31日まで。トークイベントもまだ今日と土曜日に予定されています。詳しくはオフィシャルサイトをご覧のうえ、お近くの方はぜひ足を運んでみてください。

2016年7月25日

7月25日 「移住」という選択 小森はるか・瀬尾夏美


今朝は、現在、東京・お茶の水の「Gallery蔵」で開催中の巡回展、「波のした、土のうえ」を手掛ける映像作家・小森はるかさん、画家で作家の瀬尾夏美さんのお話しです。お二人は美大の学生時代の2011年、ボランティア活動で陸前高田市へ行ったことが縁で、その後陸前高田へ移住。小森さんはおそば屋さん、瀬尾さんは写真館で働きながら、変わりゆく風景や地元の皆さんが語る言葉を、写真や映像、絵、文章に書き留めてきました。

「移住」を決意することになるそのきっかけとは、どんなものだったんでしょうか?

◆陸前高田へ住むことはすごく簡単なこと
瀬尾夏美>きっかけは一つはすごく明快で、私は絵を描く作家なんですけど、絵を描くには場所=アトリエが必要で、高田の風景をきちんと描きたいと思ったときにアトリエを持つことが第一条件だったので引っ越すというのはすごい簡単な、必要な要件としてあったと思います。もう一つはずっと私たち、2011年に東北で見聞きしたことを報告する会みたいなことをずっとやってたんですけど、確か2011年12月にやった京都での報告会で、なかなか伝わって行かないなって感覚を覚えたんですね。それは時間が経ってきた、いま思えばたった9カ月しか経ってないんですけど、時間が経ってきたということと、例えば都市圏の人とかは、メディアが作っていく物語みたいなものにも飽和状態みたいになっていて、もう分かったから、報告って次元で何かされても何も伝わってこないよっていうようなことだったんだと思います。どうやったらこの東北っていう場所で、震災の大きな悲しみのあとでなんとか立ち上がってる人たちの姿みたいなこととか、彼らが作ってる弔いの所作みたいなこととか、風景のすごい細かい変化みたいなことを、もうちょっと違う次元で伝えたいんだって思ったときに、自分たちがもともと向き合っていたアートっていう方法をこの陸前高田っていう場所から実践しなきゃいけないって思って、じゃあもう小森もいるし一人で引っ越すよりぜんぜん気楽出しって思って引っ越してみたっていうのが2012年の春のことでしたね。


震災から一年も経たないうちに、報告会で「風化」を感じたふたりはこうして生活の場を陸前高田に移して、移り変わる風景や、痛みと向き合う人たちとふれ合いながら、その様子をアートという手法で「記録」してきました。ただ、急にはじまった不慣れな田舎生活には、戸惑うことも少なくなかったようです。

◆陸前高田での生活
(瀬尾)私は市街地で流されてしまって仮設で再開した写真館で働き始めました。(小森)私は市街地にあったお寿司屋さんで店主の方も亡くなられて、その弟さんがお蕎麦屋さんとして復活したお店でアルバイトしていました。(瀬尾)でそれは家族経営なのでふつうはあり得ないんですよね。でも家族とか従業員がたくさん亡くなっているということがありました。だから高田で働くということが、この町の人がいまどうやって暮らしを立てているのかというのを実感させてもらう、させてもらうというか傍に居させてもらう、非常に重要な時間だったなと思っています。家賃5600円の町営住宅に二人で住んでいました。コンビニふたつ、水道からサンショウウオが出てきたね(笑)


津波のあとに残された痕跡とそこにある住民の記憶を、絵、写真、映像作品にした「波のした、土のうえ」。会期は7月31日まで。
詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください。
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パーソナリティ 鈴村健一

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