2016年7月29日

7月28日 岩手県陸前高田市の夏の風物詩「うごく七夕」(2)

今朝も昨日に引き続き、岩手県陸前高田市の夏の風物詩、「うごく七夕」に山車を出す森前組有志会、佐藤徳政さんのインタビューです。

きらびやかに飾られた巨大な山車がお囃子にあわせて町を練り歩く、高田町の「うごく七夕」。震災後も有志の皆さんの手で守られてきました。そのうちの一つが、森前の山車。震災で町が無くなり、残った人たちも別々の仮設住宅で暮らすなどして一度は町の山車は途絶えてしまいますが、それを復活させたのが2012年に就職先の東京から帰郷した、佐藤徳政さんです。親しんだ故郷の風景、そしてお母さんと妹、おばあさんを亡くして、もうこれ以上何にも無くしたくないという思いから、森前の山車を復活させました。「うごく七夕」じたいも、かさ上げ工事が続く中で、開催場所が変わったり、中止がささやかれたり、毎年ぎりぎりのところで開催されていますが、今年はいったいどうなるのか・・・
いま8月7日の本番に向け、佐藤さんも寝る間を惜しんで準備をしていますが、高田町の山車の製作部屋でお話しを伺いました。

◆かさ上げ工事した後の映像をみているんです
(かさ上げ工事も進んで場所は変わる道は変わるという中で、今年はいかがですか?)今年は今まででいちばん走行距離がそうとう短くて400〜500メートルくらいしか動けない状態なんです。まあ10メートルでも動けるならやろうって思いはあったので、やることにしてますね。(かさ上げされた造成された町に新しい町が出来る、そこでこの祭りをやりたいという気持ちは?)ありますね。まさにそこの映像を見てるんです。そのために今続けてるっていうイメージですね。かさ上げしたあとの新しい地域を素晴らしいものにしたいという、そのためにはなるべく森前という地名は残したいですけど、どうしても森前じゃなくなったとしてもあの場所でPRしていきたいなと。もちろんウチもそこに家を建てるつもりなんです。震災後に100世帯くらい残ったんです。その100世帯の中の97,8の世帯は高台に移るか新しく土地買ってそこに建てるかっていう状況なんです。だからウチと、もう一軒か二軒くらいの人しかかさ上げのところには建てないんです。だからかなり踏ん張っていろんな記憶をもとに残しておかないと、ただ無くなるだけなんです。だから無くならないように出来るのであれば、なんでもやりますってことなんです。それはこれから生まれてくる子供たちとかにもなにか伝わるものあるかなって思いますし、その場所にこだわっていきたいんです。一人くらいこだわってちょっとめんどくさい奴がいないと、その場所の大事なものは継承しないだろうなって思って。森前のエリアを中心に笑顔の花が咲き続ければいいなっていう願いがあって、いろんなアクション起こしてるって感じなので。(そこまで自分をかきたてるものは何?)やっぱり母親がここで死んだことですね、ストレートに。それがいちばんです。自分のいちばんの理解者だったし、愛情をいっぱい受けたので、キャッチボールしてたつもりでいましたけどいきなり居なくなったので、それが出来ないとなったときには自分も終わりかなって思ったけど、でもやっぱり母親の願いとすれば、生き生きしてる姿、見るのがいちばんの幸せって言ってたので、あ、じゃあやりたいことぜんぶやろうかなって思ってますね。


8月7日の本番まであと1週間あまり。今年の「うごく七夕」について聞いてみました。

◆毎年変わっていく中の「今」を見てほしい
毎年違う景色、引っ張る場所の中で、今年はいちばん距離的には短いはずなんですけど、終結って言って全部の地域、11台が集まるのも今年はない。本来であればそこが集まってずらっと並べばそれだけでもすごく良くて、なおかつ夜やればすごい明りできれいなんですけど、たぶん今年はほとんどが夜やらないですし。だからこの先1年2年3年、毎年変わっていく中の「この一年」っていうものがある。今しか見れない今年の動く七夕(8月7日)をぜひ来て頂きたいなと思います。


「うごく七夕」は、8月7日開催。山車を引く距離は短くても、そして周りに町の面影は無くても、かさ上げで埋まってしまう前の元の高さの道を歩くのは、たぶん今年が最後。それだけに山車を引く町民の方にとっては、特別な「うごく七夕」になるのではないでしょうか。

2016年7月27日

7月27日 岩手県陸前高田市の夏の風物詩「うごく七夕」(1)

今日と明日の2日間は、岩手県陸前高田市の夏の風物詩、「うごく七夕」に山車を出す、森前組有志会、佐藤徳政さんのお話しです。

『小さいころから高田町のうごく七夕まつりにはずっと関わってまして、山車に乗って、太鼓を叩く人と、笛を吹く人で、ぜんぶで15人くらい乗って、お囃子に合わせてヨイヤサーヨイヤサーって感じで声掛けをして、山車と山車がすれ違ったときに竹と竹をぶつけあったりするような、それはうごく七夕まつり、高田町のお祭りの方ですね。』

勇壮に山車をぶつけ合う気仙町の「けんか七夕」と、きらびやかに飾られた巨大な山車がお囃子にあわせて町を練り歩く、高田町の「うごく七夕」。陸前高田では古来、ふたつの七夕まつりが夏の華として愛されてきました。

東日本大震災による津波で大きな被害を受けた陸前高田市。町が無くなり、残った人たちも別々の仮設住宅で暮らすなど、町内会の結びつきが難しくなる中、佐藤さんのような有志の尽力で祭の灯はなんとか守られ続けています。

高田町の森前に生まれ育った佐藤さんも、子供のころから「うごく七夕」に親しんでいました。震災当時、佐藤さんは就職して東京にいて、すぐにでも故郷に戻って復興の力になりたいと考えましたが、父や兄から「お前が帰って何になる」と反対され、帰れずにいたそうです。故郷に帰って、地元・森前の山車を復活させるまでのいきさつを、佐藤さんに聞きました。

◆家族も実家も町も流されて・・・七夕は無くしたくなかった
朝方、映像が見れたんで、「ああこれはもう終わったなって」思いましたよ正直。被災したのは、母親と、ばあさんと、あと妹ですね。妹に関しては当時19歳だったんで、大学生で、東京に来たんでしょっちゅう会えるようになって。東京から一回帰るねって言って、春休みに帰ってまた来たらじゃあ今度いいカフェ見つけたからいくべな〜みたいなメールをしてて。それきりになった訳です。3月11日で流されてしまったから。で妹の名前から、アリナっていうから、「ARIY」っていうブランドも作って、Tシャツとかブレスレットとかも、一緒になにかやっていきたいと思っていたので、まあそういう約束は小学校2年生くらいにしてたんです。大人になったら一緒に何かやろうかと、お店でも何かやりたいねという話をしてたので、それを自分、忘れたくないし、妹の友達も忘れてほしくないしってことで作って。そんなこんなしてて親父も調子悪くなったし、いよいよやっぱ戻ってこなきゃまずいかなって思って、まあ奮起して、ようは家族も実家も町も流されて、これ以上何も無くしたくないっていう気持ちが強くて、「帰ります」っつって。そしたら兄貴も「わかった」っつってくれました。(でじっさいこのうごく七夕を守るということで地域を活気づけようとされていると思うんですが具体的にはどうされている?)年に一回、8月7日に七夕まつりに参加するための山車の準備が、けっこうなウェイトが有るので、本当であれば、森前という地域が有って、そこの地域の人たちが公民館に5分10分でも夜に集まってこれるんですけど、いまはもういろんな仮設に散らばってますし、新しく森前でない山の方に建てた人も何人もいて、なかなか集まるのが厳しい状態です。そもそも2011年の夏、森前の町内会が解散したって話を聞いたんです。すごい淋しいというかがっかりしたというか、そっか・・・という感じでしたね。ただ私は当時、東京にいた身ですから、なんとかやれることはしなきゃっていうのが有って、だからみなさん無理してやりましょうよって気持ちでスタートさせたわけじゃなくて、第二ステージと言いますか、新しい生活とか、今後の展開が有るじゃないですか?だから本当に祭りはウェイトがでかいので、来れるんであれば来てくださいって気持ちなのでなかなかこちらからも前もって手伝いお願いしますっていうのは、なるべく言わないようにしてます。自分らでやれるだけのことはやるってことで、1年目2年目3年目はなんとかやり切ってきたんです。


2012年3月に陸前高田に帰った佐藤さんは、森前の山車で「うごく七夕まつり」に参加することを考えました。それは、たくさんの町民が亡くなって、残った人もバラバラになって、町内会も解散して、町の名前が残せるのは「うごく七夕」に参加する、“森前の山車”だけだと思ったから。毎日、仕事が終わったあとに、山車の製作部屋に通って、飾りつけをしています。

「うごく七夕」は、8月7日開催。その日まで、佐藤さんの眠れない夜は続きます。
『LOVE&HOPE』、明日も、佐藤さんのお話し、続きます。
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パーソナリティ 鈴村健一

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