2016年8月3日
8月3日 陸前高田に移住した若者のいま3
引き続き、岩手県・陸前高田市・広田町に移住した27歳の若者・三井俊介さんの「いま」お伝えします。
東日本大震災をきっかけに、NPO法人・SETを立ち上げ、陸前高田に移住。町に若い移住者を増やそうと活動を続ける三井さん。陸前高田でご結婚もされ、1歳半の女の子のパパとなり、周囲の後押しで、市議会議員にも出馬。なんとトップ当選を果たしています。茨城出身・東京の大学生だった三井さんはなぜ、陸前高田・広田町に、ここまで力を尽くしているのでしょうか。
◆ヨソモノが、繋ぐ役割を与えられる。
一番のモチベーションは、広田のためになりたいというそれだけですね。たぶん。僕らの世代は未来が約束されていない。高度経済成長の頃なら、成長してGDPをあげてお金を稼げば幸せになれるというゴールが決まっていたけど、それがバブル崩壊とともに崩れた。それが僕らが物心がついた時期なんですね。だから僕らは「こうなれば幸せになる」という答えをもらったことがない世代で、先がどうなるかわからないというところに行きている。そんな中で震災が起きて、明日も約束されないということを肌身で感じて。そうなったときに、今どれだけ豊かに楽しく暮らせるか、今をどれだけ大切にできるかが大事なんだなと思って、そういうメッセージを発信しながら集まっているメンバーなので、縛られた価値観や絶対こうあるべきだという思いを持っているというより、柔軟に「いま自分にとって何が大切なのか」ということを考えながら、その時時に応じてやることを変えながら進んでいますね。ぼくも最初は地元の人に「お前は骨を埋める覚悟じゃないなら来るな」と言われましたけど、そんなの引っ越しても暮らしてもいないのにわかるわけ無いでしょ、と思って、約束は出来ませんと言った。今はずっとこの街に住んでいたいなと思っているのでそう伝えますけど、その当時はわからないものはわからなかったので。だからぼくはこういう背景があるので、大学生のメンバーにも、ぼくと同じように一生ここに暮らすことだけじゃないよ、移住というのは例えば3ヶ月だけいたい、1年だけ居たいというのも全然OKなんだよという話をしている。それで自分のキャリアにしたり、人生経験を積みたいなら積めばいいと思う。結果として若者が一人この街のために活動するってスゴイことなので、そういう風に思ってくれる人が一人でも増えればいいなと思いますね。移住者を増やすと言いながら、帰るのも全然OK。その人が豊かで幸せな人生を送れればいいなと。不幸せなのに広田に住んでいても誰も幸せにならない、数だけ増えても。僕らが若いし一生懸命やりたいと思う気持ちを汲みとってくれて。応援してくれるその心も嬉しいですし。ぼくは茨城県のつくば市で育ったんですけど、あそこって研究学園都市なので昔からの伝統やお祭り、工芸は無かった場所で育ったんですね。それで震災が起こって広田に来たら、そういう暮らしがあったんですね。広田の魅力って、一番はそういう人と人とのつながり。地元の人はそれを「しがらみだ、嫌だ」というけど、逆にそういう風に助けあって暮らしているところを観て、その中に入られるのはすごく心が満たされるし幸せだなと思いながら暮らしていますね。4年に1度お祭りがあるんですけど、ぼくも去年から地区の出し物に一緒に参加してやれて。それも地域の中に本当に受け入れてもらえたなと思って。この地域で橙続く伝統を自分も背負わせてもらって、次の代へ繋いでいくという重要な役割をもらえたのは、今まで経験をしたことがなかったのでスゴイ嬉しいことだなと感じましたね。
ちなみに三井さん、市議会議員に出馬する前は政治家に全く興味は無かったそう。あくまで若い移住者を増やすためには、行政の「政策」という力も必要だと考え立候補したので、「任期が切れた後は分からないし、国政へ打って出る気もない。広田が好きだからやっている」と話していました。
LOVE&HOPE、明日は、このNPO法人・SETのほかのメンバーの方の声、お届けします。
東日本大震災をきっかけに、NPO法人・SETを立ち上げ、陸前高田に移住。町に若い移住者を増やそうと活動を続ける三井さん。陸前高田でご結婚もされ、1歳半の女の子のパパとなり、周囲の後押しで、市議会議員にも出馬。なんとトップ当選を果たしています。茨城出身・東京の大学生だった三井さんはなぜ、陸前高田・広田町に、ここまで力を尽くしているのでしょうか。
◆ヨソモノが、繋ぐ役割を与えられる。
一番のモチベーションは、広田のためになりたいというそれだけですね。たぶん。僕らの世代は未来が約束されていない。高度経済成長の頃なら、成長してGDPをあげてお金を稼げば幸せになれるというゴールが決まっていたけど、それがバブル崩壊とともに崩れた。それが僕らが物心がついた時期なんですね。だから僕らは「こうなれば幸せになる」という答えをもらったことがない世代で、先がどうなるかわからないというところに行きている。そんな中で震災が起きて、明日も約束されないということを肌身で感じて。そうなったときに、今どれだけ豊かに楽しく暮らせるか、今をどれだけ大切にできるかが大事なんだなと思って、そういうメッセージを発信しながら集まっているメンバーなので、縛られた価値観や絶対こうあるべきだという思いを持っているというより、柔軟に「いま自分にとって何が大切なのか」ということを考えながら、その時時に応じてやることを変えながら進んでいますね。ぼくも最初は地元の人に「お前は骨を埋める覚悟じゃないなら来るな」と言われましたけど、そんなの引っ越しても暮らしてもいないのにわかるわけ無いでしょ、と思って、約束は出来ませんと言った。今はずっとこの街に住んでいたいなと思っているのでそう伝えますけど、その当時はわからないものはわからなかったので。だからぼくはこういう背景があるので、大学生のメンバーにも、ぼくと同じように一生ここに暮らすことだけじゃないよ、移住というのは例えば3ヶ月だけいたい、1年だけ居たいというのも全然OKなんだよという話をしている。それで自分のキャリアにしたり、人生経験を積みたいなら積めばいいと思う。結果として若者が一人この街のために活動するってスゴイことなので、そういう風に思ってくれる人が一人でも増えればいいなと思いますね。移住者を増やすと言いながら、帰るのも全然OK。その人が豊かで幸せな人生を送れればいいなと。不幸せなのに広田に住んでいても誰も幸せにならない、数だけ増えても。僕らが若いし一生懸命やりたいと思う気持ちを汲みとってくれて。応援してくれるその心も嬉しいですし。ぼくは茨城県のつくば市で育ったんですけど、あそこって研究学園都市なので昔からの伝統やお祭り、工芸は無かった場所で育ったんですね。それで震災が起こって広田に来たら、そういう暮らしがあったんですね。広田の魅力って、一番はそういう人と人とのつながり。地元の人はそれを「しがらみだ、嫌だ」というけど、逆にそういう風に助けあって暮らしているところを観て、その中に入られるのはすごく心が満たされるし幸せだなと思いながら暮らしていますね。4年に1度お祭りがあるんですけど、ぼくも去年から地区の出し物に一緒に参加してやれて。それも地域の中に本当に受け入れてもらえたなと思って。この地域で橙続く伝統を自分も背負わせてもらって、次の代へ繋いでいくという重要な役割をもらえたのは、今まで経験をしたことがなかったのでスゴイ嬉しいことだなと感じましたね。
ちなみに三井さん、市議会議員に出馬する前は政治家に全く興味は無かったそう。あくまで若い移住者を増やすためには、行政の「政策」という力も必要だと考え立候補したので、「任期が切れた後は分からないし、国政へ打って出る気もない。広田が好きだからやっている」と話していました。
LOVE&HOPE、明日は、このNPO法人・SETのほかのメンバーの方の声、お届けします。