2016年8月9日

8月9日 山元町こどもセンター

東日本大震災による津波で大きな被害があった宮城県亘理郡山元町。
町では3つの新市街地の整備をすすめるとともに、ホッキ貝やイチゴといった特産物のPRにも力を注いでいます。一方で課題もあります。震災後すすんでいるのが、少子化です。そこで町がかかげるのが「子育てするなら山元町!」というスローガン。7月24日、その拠点となる「山元町こどもセンター」がオープンしました。

この施設の「子育て支援センター」の運営を一部任されたのが、山元町で活動する家庭教育支援チーム「夢ふうせん」です。副代表の佐藤作智栄さんにお話を伺いました。

◆児童が集まれる場所づくり
もともとわたしたちの家庭教育支援チームは震災前から活動を始めて、先輩方が築き上げてきた団体だが、震災を経験して、山元町には児童館がなかったので、集まれる場所がほしいという熱い思いもあったので、近くの公会堂などをお借りして活動を始めました。メンバーはみんなボランティアで活動していて、広場に遊びにきていたお母さんもスタッフに入ってくださるなど、すごくいい関係が築けています。外で遊ばせるのは不安だというお母さんの声もあったので、室内で遊べる場所、お母さんたちがほっとできる場所がほしいということだったので、拠点ができることで、皆さんお話してくれるようになりました。


山元町は宮城県と福島県の県境にあります。「子どもたちを外で遊ばせるのは不安・・」という声は、そういった理由によるものです。そこで「夢ふうせん」では「子育てひろば」というコミュニティスペースをもうけ、子どもたちの遊びの場、子育て中のパパママの交流の場を提供してきました。

◆トラウマが子育てに影響
当時むすこは幼稚園に入る前で、二人で車に乗っていたら強い揺れを感じて、急いで自宅に戻ってきたら家から津波を見た、という状況だった。子供はそういう話はいっさいしなかったが、いまになって当時のことを少しずつ話すようになったんです。むすこはそこで(震災により)大きくなにかが変わったということはなかったが、やはり回りのお子さんの話を聞くと、水が怖くて手が洗えないとか、お風呂に入るのが怖いとか、そういう話をよく聞きました。あと住む場所が変わらざる負えなくなって、子育てに大変苦労したという話も聞く。まだ電車が通っていないので、大きいお子さんがいる方は、電車が通っているところに引っ越した方もいる。町外に引っ越したお母さんも子供をつれて遊びに来た時に、そこで気ごころ知れた人たちと話せるというので、すごくよかったという方もいます。


7月にオープンした「山元町こどもセンター」の大きな柱は、「児童館」と「放課後児童クラブ」、そして「子育て支援センター」です。「子育て支援センター」は、子育て中のパパママが気軽に集い、交流できるスペース。「夢ふうせん」は現在ここで、火曜、水曜、金曜の週3回、「子育てひろば」を開催しています。

◆山元町に戻ってきたいと思えるような町づくりの拠点に
拠点ができたということで、お母さんたちがそこでなにをしよう、新たなステージに向かいつつあって、どうやって運営していくかがいまの課題。なにかイベントをしようかなど、いろいろな声をいただいているので、それをわたしたちがどのような形でとりまとめていくか、検討しています。山元町は(震災を経て)外に出てしまった人もいると思うが、またここに戻ってきたいと思えるような町づくりをしていきたい。小さいうちからこの町に愛着を持つことも重要だと思う。いろんな世代で交流をしあって、みんなで子どもたちを育てていけたらと思う。


◇「山元町こどもセンター」で開催している「夢ふうせん」の「子育てひろば」は、お昼持参も可能。スタッフによる子育て相談や、誕生日会、季節のイベントなども、目下計画中。

2016年8月8日

8月8日 山元町 Iターン農業を営む内藤靖人さん

今日は、宮城県亘理郡山元町からのレポートです。山元町は宮城県のいちばん南、福島県との県境にある、人口およそ1万4000人の町。町全体が沿岸に面していることから、東日本大震災の津波で大きな被害を受けて630名を超える町民が犠牲者になりました。特産は、いちごやりんごなどの農産物にホッキ貝。現在、町では3つの新市街地の整備が進められています。

そんな山元町で農業を営むのが、内藤靖人さんです。高齢化が進むこの町に、3年前引っ越してきました。

◆山元町で農業する若い人たちを増やしたい
『もともと生まれも育ちも埼玉県。震災のあと山元町にボランティアで来て、ボランティアを続けているうちに、山元町は若い人が少なくなってしまって、復興に必要な力が足りないぞ!というときに、それなら埼玉県にいてはだめだなと思って、山元町に越してきた。もともとは営業マンで(山元町では)仕事もないのでどうしようかなと思っていましたが、山元町には農地が空いているという話があり、それじゃあ農業だと。農業は若い人たちも潜在的にやりたいという人も多いという話もあり、それなら山元町で農業をやりたい人多いよと言えるような環境を自分が作れればと2013年8月に住民票を移して、いま農業をやっています。
最初は埼玉や東京都比べるとコンビニないし、スーパーも車じゃないといけないし、大丈夫なのかなと思たけど、住んでみれば「そんなコンビニ近くになくてもよかったんじゃない」と都会の価値観が変わっていった。いまつくっている作物はにんにくとかぼちゃとなすとまこもだけ。全部ふつうの品種ではなく、ちょっと珍しいものや高級なもの。地主さんにはいったんあたりいくら、という契約を交わしていて、年間でも数万円という程度で貸してもらっています。いまほとんど一人で作業をしていて、1万平方メートルくらいの畑と田んぼをやっていて、ひとりでの作業ということで、作業中に心が折れそうになることはあります。いちばん最初の年なんかは、雑草がわんさか生えてくるのを、なんで雑草をとらなきゃならないのかというところからスタートで、まわりの方から叱られたり、ということもありました。』


はじめは失敗だらけだったんですが、まわりの農家さんに教えを請けたり、逆に若い人が減った町でほかの農家さんの所へ手伝いに行ったりしながら、農家としての経験を積み上げていった内藤さん、初めての収穫のときは、特別な思いがこみ上げてきたといいます。

◆農業で山元町に人を増やしたい
『本当にうれしかった。種を植えて芽がでるのも、ほんとうにこんなふうになるんだ不思議でならなかった。だんだん育っていって、収穫して、食べてみて。全部が新鮮で。東京だと自分にしかできない仕事というのはなかなか見つからない。山元町だと若い人で集まるのも歓迎してくれるし、町に住むだけでもありがとうと言ってくれる人もいる。やりがいがでてくる。毎日楽しかった。いま農作業を終わって、夜は学習塾の講師もやっている。子どもたちには農業で地元で稼げるんだよということを教えていって、外からも山元町に人を呼んでくるということも並行して、だんだんと山元町に人を増やしていくような、ちょっと行政のような考え方かもしれないけど、一農家としてそんなことまではできるのかなと思って、いまやっている。』


埼玉から移り住み、宮城県亘理郡山元町で農業に奮闘する「内藤ファーム」の内藤靖人さんでした。
収穫期などは首都圏が知人や友達が手伝いに来てくれることも。「首都圏に住んでいたときよりも友達づきあいが密になったかも(笑)」とも話してくれました。農業を通して食と人、人と人をつないでいます。
また、「マコモダケ」の栽培に力をいれている内藤さん。町の名物としてPRするために「山元町美脚コンテスト」も計画中。これ、マコモダケの姿かたちが、「女性の美脚」に似ていることから、だそう!

内藤靖人さんのFBページ
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パーソナリティ 鈴村健一

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