2016年8月18日
8月17日 小山薫堂さんが語る、ふるさと熊本(1)
今日から三日間は 「小山薫堂さんが語る、ふるさと熊本」です。
放送作家、脚本家、そしてラジオパーソナリティとしても活躍する小山薫堂さん。人気キャラクター「くまモン」の生みの親として有名ですね。熊本出身の文化人として知られています。そんな薫堂さんの故郷を襲ったのが、4月の熊本地震です。
◆故郷を襲った地震の爪痕
本震と呼ばれる2回目の地震が起こったあとに、これは大変なことになったなと。いっぱい親戚や友人がいるので連絡を取ろうとしたがなかなかとれず。大変な事態になってきたな、まさか自分の故郷が被災地と呼ばれるようになるとは夢にも思わなかった。その瞬間思ったのは、この日本という国で暮らすからには、日ごろから防災に対する意識をもっと高めないといけないんだなと身をもって知りました。
震災のとき僕は足を怪我していて帰れる状態じゃなかった。完治して、震災後故郷に戻ったのは6月ごろ。そこで見た光景は、まず熊本城に行ったが、見手の付けようのない状態。崩れた石垣。あとは益城町。スタッフに益城町出身の人がいるんですが、彼の実家にお見舞いを持っていったら、そこは黄色い紙が貼られていて「危険建物」だと。隣は赤い紙で「もっと危険」だと。不安に過ごされていました。あと僕の母校「熊本マリスト学園」も益城町のすぐ近くの健軍という町にあって、お見舞いに行きましたが、全寮制の高校だったが、僕が暮らしていたその寮が半分くらい崩壊して取り壊されている風景を見たときに愕然としました。高校自体はこれで新しくなるからまた新しいところでがんばろうと募金を呼び掛けたりしている状況でした。
余震が重なり、自宅の倒壊や土砂崩れなどへの不安が続いた熊本地震。そんなふるさとの状況を見た薫堂さんが、震災後まず呼びかけたのが、ツイッターのハッシュタグ 「くまモンあのね」でした。これは、被災地で見たり聞いたり感じたりしたことを、ツイッターで「くまモン」に報告してもらうという企画。「ささやかでも前向きなメッセージをみんなで共有したい」そんな願いが込められていました。
さらに「FOR KUMAMOTO PROJECT」も始まりました。
◆チャンスととらえて熊本の魅力を発信
地震の被害があったということはどうあっても変えられない。いま現在は前向きにどうこの地震をとらえるかしかないんじゃないかと思っている。熊本のことを全国の人が心配したり、熊本に興味を寄せていただける、これをチャンスととらえて、いま「FOR KUMAMOTO PROJECT」という復興支援をやっている。これは、被災の状況もいろいろあるが、幸いにも大きな被害を受けなかった熊本の人達が中心となって、熊本の魅力あふれる部分をたくさん発信していければ、支援で便りっぱなしでないいいアピールになるんじゃないかと頑張っている。クマモンはその象徴。直接被災した熊本の人を癒す存在でありながら、幸いにも被災しなかった熊本の人たちの元気を象徴する存在として、全国に熊本を魅力をさらに発信できるような、そういう活動を展開しています。
「FOR KUMAMOTO PROJECT」では「くまモン募金箱」への募金の呼びかけのほか、子供たちのための「くまモンぬりえ」を作成。また災害支援のためのツールとして、支援物資を効率的に分類するためのピクトググラム(絵文字シート)も開発しています。
◇FOR KUMAMOTO PROJECT
放送作家、脚本家、そしてラジオパーソナリティとしても活躍する小山薫堂さん。人気キャラクター「くまモン」の生みの親として有名ですね。熊本出身の文化人として知られています。そんな薫堂さんの故郷を襲ったのが、4月の熊本地震です。
◆故郷を襲った地震の爪痕
本震と呼ばれる2回目の地震が起こったあとに、これは大変なことになったなと。いっぱい親戚や友人がいるので連絡を取ろうとしたがなかなかとれず。大変な事態になってきたな、まさか自分の故郷が被災地と呼ばれるようになるとは夢にも思わなかった。その瞬間思ったのは、この日本という国で暮らすからには、日ごろから防災に対する意識をもっと高めないといけないんだなと身をもって知りました。
震災のとき僕は足を怪我していて帰れる状態じゃなかった。完治して、震災後故郷に戻ったのは6月ごろ。そこで見た光景は、まず熊本城に行ったが、見手の付けようのない状態。崩れた石垣。あとは益城町。スタッフに益城町出身の人がいるんですが、彼の実家にお見舞いを持っていったら、そこは黄色い紙が貼られていて「危険建物」だと。隣は赤い紙で「もっと危険」だと。不安に過ごされていました。あと僕の母校「熊本マリスト学園」も益城町のすぐ近くの健軍という町にあって、お見舞いに行きましたが、全寮制の高校だったが、僕が暮らしていたその寮が半分くらい崩壊して取り壊されている風景を見たときに愕然としました。高校自体はこれで新しくなるからまた新しいところでがんばろうと募金を呼び掛けたりしている状況でした。
余震が重なり、自宅の倒壊や土砂崩れなどへの不安が続いた熊本地震。そんなふるさとの状況を見た薫堂さんが、震災後まず呼びかけたのが、ツイッターのハッシュタグ 「くまモンあのね」でした。これは、被災地で見たり聞いたり感じたりしたことを、ツイッターで「くまモン」に報告してもらうという企画。「ささやかでも前向きなメッセージをみんなで共有したい」そんな願いが込められていました。
さらに「FOR KUMAMOTO PROJECT」も始まりました。
◆チャンスととらえて熊本の魅力を発信
地震の被害があったということはどうあっても変えられない。いま現在は前向きにどうこの地震をとらえるかしかないんじゃないかと思っている。熊本のことを全国の人が心配したり、熊本に興味を寄せていただける、これをチャンスととらえて、いま「FOR KUMAMOTO PROJECT」という復興支援をやっている。これは、被災の状況もいろいろあるが、幸いにも大きな被害を受けなかった熊本の人達が中心となって、熊本の魅力あふれる部分をたくさん発信していければ、支援で便りっぱなしでないいいアピールになるんじゃないかと頑張っている。クマモンはその象徴。直接被災した熊本の人を癒す存在でありながら、幸いにも被災しなかった熊本の人たちの元気を象徴する存在として、全国に熊本を魅力をさらに発信できるような、そういう活動を展開しています。
「FOR KUMAMOTO PROJECT」では「くまモン募金箱」への募金の呼びかけのほか、子供たちのための「くまモンぬりえ」を作成。また災害支援のためのツールとして、支援物資を効率的に分類するためのピクトググラム(絵文字シート)も開発しています。
◇FOR KUMAMOTO PROJECT