2016年8月30日

8月30日 なすびのエベレスト挑戦2

引き続き、今年5月に世界最高峰・エベレストの登頂に成功したタレント、なすびさんのインタビューをお届けします。



テレビ番組「電波少年」で注目を集めたなすびさんは、その後、舞台役者へ転向。生まれ育った福島を拠点に地元ローカル番組でも活躍していました。

東日本大震災以降は、県内でのボランティア活動、各地の復興支援イベントへの協力などに力を注いでいたのですが、その活動の中で、震災が「風化」していくのを感じたといいます。エベレストを目指したきっかけも、この「風化」をなんとかしたいという想いでした。

◆命がけで、本気で福島を応援したいから
正直、舞台役者ってほとんどギャラもないような、なかなか食えない状態だったのですが、そんな時に5年間福島で週に1度のレギュラーをやらせて頂いた。それは生活の支えになりましたし(笑)福島では色んなところに僕のサインを飾ってくださっているので、そういう意味では大きな支えがあったことがこの応援活動の根っこになっているとは思います。僕も色んなイベントに参加して、福島の情報発信をしてきた。例えば東京都内の復興支援のイベントが震災当時はすごくたくさんあったので、情報を知ったら、僕は呼ばれて無くても勝手に駆けつけて声を出して物販の応援していたんですね。もし「帰れ!」と言われたら帰ろうと思っていたんですけど、「なすびくんよく来てくれたね」と福島の方たちも喜んでくれて。おかげさまで、足を止めてくださる人もいた。僕は福島出身で地元を応援しているということを伝えると、みんな顔つきが変わるというか。じゃあ、僕が行くことで100人に1人でも、1000人に1人でもいてくれたらそれは行った意味があるのかなと。そういうことでちょっとでも地元のためになっているのかなというところがあって。でもやっぱり時間とともにそういうイベントは減ってきてしまって、「まだやってるの」みたいな目で見られることも多々あって。でも福島に戻ればまだやっぱり復興は程遠い状況が続く中で、まだ風化させるのは早いなという危惧があって。そうなった時になにかお金やモノだけじゃない、みなさんの心に響く、たくさんの人達が目にできる旗印があればと。福島=ネガティブな情報というのが多かったりしたので、福島のポジティブなニュースを福島に届けたいし、日本中にポジティブなニュースとして福島を知ってほしいというのがあったので、情報発信として何かできないかと考えた。そして一番最初にツイッターで呟いたのが2011年の年末くらいだったと思います。エベレストは世界一高い山で、世界中の方々が知っている。色んな点が先になった。ただ僕は登山経験が一切なかったのでゼロからの出発だったんですが、苦手分野・未知なる領域に挑戦することが、福島の皆さんが原発事故から復興するという未知なる領域への挑戦とイコールになるかは判断が難しいが、でも僕は命がけで本気で福島を応援したいんですと、エベレスト登頂を目指した。支援者ゼロ、資金ゼロからのスタートでほそぼそと始めた感じではありました。


こうしてなすびさんは、2013年5月に エベレストに挑戦。しかし、8700m付近のところで、体力の問題と天候悪化で登頂を断念。あとわずか100mが届かなかったそうです。その後も、2014年、2015年と登頂を目指したのですが、これも様々な問題で中止となり、今年5月の登頂にいたるまでは、3度の断念を経験しています。あしたは、この3度の断念を経て、成功に至るまでのお話です。

2016年8月29日

8月29日 なすびのエベレスト挑戦1

今朝は、今年5月に世界最高峰・エベレストの登頂に成功したタレント、なすびさんのインタビューをお届けします。



電波少年の「懸賞生活」で知られるなすびさんは、実は福島県出身。震災直後から、県内でのボランティア活動に立ち上がり、その後は各地の復興支援イベントへの協力など、様々な形で福島の復興に力を注いでいます。

今年5月のエベレスト登頂も、復興支援を続ける中で計画が持ち上がったものなのですが、まずは、なすびさんの支援活動のきっかけを伺いました。

◆福島に恩返しを
僕は生まれも育ちも福島県。実家は福島市内で福島で活動するときは家族も住んでいるそこを拠点にしている。元々は母方が会津、父方がいわき。福島は浜通り、中通り、会津と3つの地方に分かれているのだが、そういう意味では僕は浜通り、中通り、会津すべてにゆかりがあり、ハイブリッドされていると自分では思っている。福島のどこに言っても自分の故郷だといえる。みなさんが僕を認識したのはススメ電波少年の懸賞生活だったと思うが、実はその懸賞生活が終わったあとは福島県内でローカル番組のレギュラーを5年間やらせていただいた。旅番組だったんですが福島県内津々浦々、合併があって59市町村になっているがあらゆる市町村におじゃました。震災前だが「なすびくんは福島出身だから、これからもしっかり福島を盛り上げてね」と言われていて、本当に福島の人に良くしてもらった思いがあった。いつか福島に恩返ししなきゃなと薄らぼんやり考えていた時に東日本大震災が起きた。有名人・著名人の方がトラック何十代分もの支援物資を送ったり、募金・義援金をそれこそ億単位で東北に送ったというニュースを聴いた時に、僕は情けないことに大きなことは何一つ出来なかった。なんて自分は無力なんだと自分を呪ったこともあった。一番最初に被災地に入ったのは2011年4月末。いわきで津波の被害を見た。僕が知っている故郷とは全く違う風景が広がっていた。実際僕がローカル番組をやっていた時にお世話になった食堂がいわきの浜辺にあったのだが、やはりすべて流されてしまっていた。ただ食堂をやっていたお母さんたちは無事に避難したということなので会いに行った。「なすびくん来てくれたんだありがとう!」と涙ながらに抱きついて喜んでくれたのだが、「でもごめんね」と。僕が撮影でおじゃました時の一緒に撮影した写真が「全部流されちゃった」とおっしゃって。でもみなさん命からがらで大変な思いで避難先にいる時に、僕との想い出を大事にして思い出してくださっているんだなと想った時に、僕は打ちひしがれている場合じゃないなと。とにかく地味でも地道に、何か福島のためになることをしようと。福島の場合は原発事故の影響も色濃いので、とにかくみなさんに福島というものを前向きに捉えてもらえるような何か情報発信ができたらいいなと、やめないであきらめないで続けようと思った。過ぎ去ってしまうんじゃないかという恐怖感もあったので、これは絶対に続けていくしかないなと、続けなきゃいけないなと思ってやり始めましたね。


実はLOVE&HOPEも、各地で行われる復興支援イベントの会場を取材中、たびたび、イベントを手伝うなすびさんの姿を目にしています。
どの場所でも、声をかけてくる人たちと笑顔で言葉をかわし、真剣に取り組む姿はとても印象的でした。なすびさんは今も福島を拠点に、寄り添い続けています。

明日もも なすびさんのインタビューお届けします。
«前の記事へ || 1 | 2 | 3 |...| 444 | 445 | 446 |...| 1066 | 1067 | 1068 || 次の記事へ»

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN