2016年9月27日

9月27日 石巻の楽器店サルコヤの「奇跡のピアノ」2

今朝も宮城県石巻市の楽器店「サルコヤ」ご主人が、一台、また一台と再生させている奇跡のピアノをめぐるレポートです。


石巻の中心街にある楽器店「サルコヤ」 代表・井上晃雄さんは、津波で使えなくなったピアノを、コツコツと修理し続け、これまで6台のピアノを再生。再び音色を取り戻したピアノの音色は、たくさんの人々の心を動かしていきました。その中には、このバンドの名前もあったんです。

◆RADWIMPSも動いた!
ラッドウィンプスというグループサウンズご存知ですか。(※スタッフ2人同時に「バンドですね」とツッコみました笑)。彼らから「被災したピアノはあと1台ないですか」と聞かれ、いやうちには何台もあると言ったら、「1台直してくれ」と言われた。そして直してあげたら仙台で大装置のステージを作ってピアノを中心としたコサーとをやった。ラッドウィンプスのファンが2万人集まった。いや〜すごいなと思いましたね。コンサートのために作ったピアノだから「どこかに寄付してくれ」と言われて、ちょうど湊小学校にピアノがないからということで盛っていってプレゼントしました。これまで修理したピアノは1号がうちの店にあって、2号が愛知県弥富、3号は淡路島、4号が湊小学校。そして5号はボランティアで45号線にある被災したピアノを全部修理して学校の校歌を歌うという趣旨の活動だという。でもうちも被災しているしボランティアでやるわけにはいかないよ、と言ったんだけど、「たのむ」と言われて、釜石の手前にとうぎというところへ行ったら学校は影も形もなく全壊で、体育館だけ残っていてピアノがひっくり返っていた。「これを直してもらえませんか」といわれて、そういうのを見ると私は直したくなる性分だから、直しましょうということになった。それが5号。でもよく私もお金の保証もないのにね。お母ちゃんに怒られました。ああいうのを見るとムラムラと直したくなるんですね。馬鹿な性分ですね(笑)


ということで、一番最初に修理したピアノは、いまもサルコヤに展示されています。
そしてRADWIMPSだけでなく、ジャズピアニスト・上原ひろみさんなど、たくさんの音楽家を動かしてきたサルコヤの再生ピアノ。その音色を響かせたいと、ついには、こんな大物の方までお店にやってきました。

◆世界の歌姫も!
これは募金募集で、音楽評論家・湯川れい子さんとクミコさんで記者会見をやったんです。それを湯川れい子さんが覚えていて、シンディ・ローパーが東北見舞いに来る時にお店に連れてきたんです。お店に入るなり「このピアノをくれ」って言うんです。でもこれは売れないといったら、別のピアノはないかと言うので、ちょうど直したばかりのアップライトピアノがあったので、それを提案したら「それでいい」と。シンディ・ローパーさんとの関係はそれから始まったんです。そのピアノは石巻市立病院に収めました。湯川さんがアメリカに電話して祝辞をもらいたいとオファーしたが、どうしても来日できなかったんですが、その後に来年来日するということがわかり、こっちに来るんじゃないかと密かに期待しています(笑) (お会いになるまでシンディ・ローパーさんという存在は?)知らないですよ。純クラシックっですから。有名な歌手にしては小作りだし、店入ってチョロチョロしていて・・・(笑)


シンディ・ローパーは、2011年3月11日、ちょうどコンサートで来日しており、震災を目の当たりにした彼女は帰国せず日本に残り、コンサートと支援活動をしたことは有名です。親日家でもあり、被災地にずっと寄り添ってくれているシンディ・ローパーらしいエピソードですよね。井上さんはシンディ・ローパーを知らなかったそうですけど、心は通い合ったわけです! 近いうちに、サルコヤの再生ピアノで彼女が歌う姿が観られたら…素晴らしいですね!

2016年9月26日

9月26日 石巻の楽器店サルコヤの「奇跡のピアノ」1

宮城県石巻市から、津波の被害を乗り越え、再び音色を響かせるピアノをめぐるレポート、お伝えします。

番組でお聴き頂いたピアノの演奏は、石巻の中心街にある楽器店「サルコヤ」の代表・井上晃雄(てるお)さんが修復したピアノによるものです。



井上さんは、実に先々代からこの土地でご商売をされています。サルコヤの元になったのは、大正11年にお父さんが始めたおもちゃ屋さんだそうです。そこから長年かけて築いたお店を津波が襲ったのは、井上さんが出張中のことだったと言います。

◆店の楽器全てを襲った津波
私、この日は東京にいたんです。震災があったとき、お店は無防備でした。津波がこのままうわぁ〜っと来ましたから。それから1週間後に私は東京から新潟を経由して、山形からバスでやっとたどり着いたんです。ついたときはもうめちゃめちゃでした。水も泥も入りたい放題。こういう管楽器とかバイオリン10丁並んでいたのも1台も残らなかった。全部流されてしまった。ピアノも全部で30台あったのが全部だめになった。仕方ないから泥を出して、いずれは良いのだけでも、どろんこになったものでも将来は必ず直せるという自信があったもんですから、良いものは5〜6台とってあったんです。音楽教室をやっていたもんですから、そのピアノをどうしようかと。じゃあピアノを直そうと、水ぶっかけて見よう見まねで再生が始まったわけです。



こうして、井上さんの、ピアノを直しお店を再生するための奮闘が始まりました。ちなみに井上さん、当時すでに81才、現在87才!本当にパワフル!そんな井上さんは当時、こう思ったそうです。「このまま店を閉めたほうが楽だ。でも、ここで終わってたまるか」そしてこの強い気持ちが、様々な人たちを呼び寄せる力になったんです。

◆諦めない気持ちが人を呼び寄せた
ちょうど一生懸命やっているところに、歌手のクミコさんが来たんですね。クミコさんはリサイタルやっている時に地震と津波から命からがら裏山の採石場に避難したんです。ピアノを直し始めたところに、そんなクミコさんがやってきて「本当に直るんですか、じゃあ直ったらこのピアノを使ってコンサートをしましょう」と約束したんです。そこから頑張って直したんです。ところがコンサートの1週間前になっても鍵盤が4つ5つ鳴らない。「あと1週間で直りますか」って言われて、寝ないでやりますと約束して上手く言ったんですよ。奇跡だなと思いましたね。そしてそのコンサートは全国で放送されて、再生ピアノは津波に負けないたくましいピアノだと放送された。それがきっかけで愛知県弥富のライオンズクラブの方々が、今度新しくできる学校に、「この何者にも負けないピアノを子どもたちの教育のために捧げたい。」とオーダーしてくれた。ちょうど1年半期間があったので、どうやって直すか、塩を出すか。半年は手を付けずに悩んでいた。いろいろ考えた結果、超音波にかけると塩が完全に出るということに気づき、超音波のメーカーを探した。神奈川のベンチャー企業を見つけて、その機械を送ってもらうあいだに本体を洗ったり新しい部品を付けて、超音波の機械を使って直した。そしたら見事に音がでました。塩を抜けばこっちのもんだと思ってね。これなら学校にもっていっても恥ずかしくないと献上した。喜んでもらえましたね。


そして実は、今月も再建したばかりの石巻市立病院で、院内コンサートが企画され、患者さんや市民の方々が、復活したピアノの音色を楽しんだのだそうです。そしていまもコツコツとピアノの修理を続ける井上さんは、その後、ジャズピアノスト上原ひろみさん、そしてあのシンディ・ローパーの心も動かすことになります。このお話はまた明日以降お届けします。

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パーソナリティ 鈴村健一

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