2016年11月8日

11月8日 ロアッソ熊本・巻誠一郎 ☓ 中西哲生?

昨日に引き続き、ロアッソ熊本のFWで元日本代表・巻誠一郎選手のインタビューです。

4月の熊本地震で、チームが活動休止となったロアッソ熊本。ホームスタジアムは支援物資の集積所となり、選手たちも避難生活を余儀なくされる中、
巻選手を中心に、全国から集った支援物資の供給などに専念する日々が続きました。サッカーどころではない、誰もがそう思ったはず。

ただ、やはりサッカー選手として何かできないか。そう考えた選手たちが、自主的に始めたのが、子どもたちのためのサッカー教室だったんですね。これについて巻選手に伺いました。

◆僕らにしかできない活動
きっかけは、ウチのチームの畑という選手が避難所にいて、「子どもたちにサッカーをしてくれないか」というチームのグループLINEを作ったんです。選手同士で。その中で、俺も行く、俺も行くと手が上がり、ゴールを準備する、ボールを持ってくる、俺はビブスという感じで自発的にサッカーを始めたのが一番最初だったんです。そしたら子どもたちがすごく笑顔になって楽しそうで。うちの子どももそうだったんですけど、ずっとクルマの中にいて地震で危ないのであまり遠くにいけないじゃないですか。ストレスもすごく溜まっているんです。そういう中でサッカーをやると子どもたちがすごく笑顔でイキイキしていて。なかなかそういう笑顔に触れることが少なかったので、まずこういうことをやれてよかったというのが第一印象で。もう一つが、まわりの親御さんとか地域の避難されているおじいちゃんおばあちゃんたちまで笑顔になるんですよ。ああそういうことなんだなと思って。子どもが笑顔になると大人たちも笑顔になるんです。それで温かい気持ちになって、「頑張ろうと思える」「ありがとね」って言ってくれて。僕らはありがとうと言ってもらいたくてやっているわけじゃないんですけど、そういう声がもらえると、この活動は僕らにしか出来ないと思えるんです。だからそこからは、逆に選手の中で色んな避難所に声掛けをして、ニーズがあるところにどんどん行こうと。避難所だったり近隣のグラウンドに子どもたちを集めて、色んな部隊に分かれて子どもたちとサッカーをしてみんなで笑顔になろうと。サッカー教室というかみんなで笑顔を作りに行くという活動でしたね。


この活動を通じて、熊本の選手たちはプロサッカー選手に出来ること、その影響力、責任感を強く感じたと巻選手は話します。

そして、ロアッソ熊本は5月2日に全体練習を再開。5月15日に、巻選手の古巣でもあるジェフとの試合で、試合復帰を果たしたのですが、あのフクダ電子アリーナの伝説の試合、巻選手はじめ選手たちはどんな想いで迎えたのでしょうか。

◆サッカーが出来ることは当たり前じゃない
みんな「責任」というのを感じるのか、試合では硬かったですね(笑)
(相手のジェフサポーターからも温かい声援がありました)
あれは僕にとって、特別な空間だったというか。一生忘れることが出来ない試合ですね。
(今シーズン戦ってきて、非常に大変な状況の中で熊本として、何が恩返しができたかと思いますかね)
正直、恩返しできたかは分からないですけど、僕ら自身は全力でプレーすること。今でも思うんですけど、サッカーを出来ることに感謝しています。今まではサッカーが出来ることが当たり前で、毎試合できるのが当たり前で、地域の皆さんに支えてもらって応援してもらうのが当たり前・・・じゃないんだけど、心のどこかにあったんですけど、今は本当に心の底から感謝しているし、それをプレーで見せたいと思います。
(元々、巻選手は魂でプレーしている選手ですけど、さらに魂がはいった)
そうですね。本当にワンプレーワンプレー、1日1日がすごく貴重な時間なんだなと思えるようになったと思います。


★巻選手が立ち上げた熊本復興支援募金 YOUR ACTION KUMAMOTO

明日は、ロアッソ熊本が子どもたちのために実施したサッカー教室のきっかけとなった選手、ゴールキーパーの畑実選手のインタビューです。

2016年11月7日

11月7日 ロアッソ熊本・巻誠一郎 ☓ 中西哲生?

熊本地震からおよそ半年。あの時からずっと、地元の方々と支え合い、ともに復興へ歩み続けるクラブチームがあります。J2・ロアッソ熊本です。

地震の影響で、一時は活動休止に追い込まれ、被災直後はFWで元日本代表・巻誠一郎選手の呼びかけで支援物資の供給、さらに避難所の子どもたちのサッカー教室などに専念。5月の活動再開後も、地元クラブとして、熊本復興の旗印として戦い続けています。

11月5日、中西哲生は熊本市の練習場を訪問、巻選手をインタビュー。最大震度7を2度記録した、あの地震当時について、巻選手は、こう振り返ります。



◆とにかく「やらなきゃ」と思った。
大きな地震が熊本は2回起こったんですね。1回目はまだ建物も耐えて被害も大きい地域は大きかったですけど、熊本全体では、これはもうどうしようもないということもなくて。次の試合がちょうどアウェイの京都だったんで、その時は次のアウェイの試合に行かなきゃいけないという思いと、良い準備をしなきゃいけないというのが頭のなかにあって。建物が崩れ落ちて交通網が壊滅的な状況になったのが2度めの地震。その時はサッカーを考えられなくて、まずは家族だったり自分の近所の人の安全を守るとか、水や食料を確保しなきゃいけないし、電気も通っていなかったし、そういう必要最低限のライフラインを確保することに頭が行きました。生きるためにどうしよう、と。

(サッカー選手はけが人が出たらすぐに救護隊を呼んだり、何かあった時にすぐ動かなきゃという意識が試合中はあるじゃないですか。そういう感覚に近かったんですかね)
いや、そんなとこまで考えていないです。無意識というか「やんなきゃ」と思いました。うちは、おじいちゃんが足が不自由なので動けなかったので、父と母が祖父を乗せてから来るという連絡を取り合っていたんですが、もう渋滞で身動きが獲れないということだったので、なんとか家族が上がってくるまでは誘導しなきゃなというところからスタートして。そしたら思いの外、続々と近隣の町からも登ってきたのだと思いますけどね。

(運転している人たちは、巻選手が交通整理しているってびっくりしてたらしいです。自分が子供の頃から熊本に暮らしてきて、ここにこんな大きな地震がくるという予測はありましたか)
なかったですね。特に熊本という地域はそんなに地震が頻繁に起きる地域でもなかったので、まさか自分が住んでいるところでこんなに大きな地震が起きるとは思いませんでしたね。最初の地震の時も、グラウンドで子どもたちにサッカーを教えていたんですけど、最初は何が起こったのか分からなかったです。地震とも思わなかった。

(地面がぐにゃぐにゃとしているような)
立っていられないくらい揺れましたね。普段はふざけて全然言うことを聞かない子どもたちが、パニックでびっくりしちゃって、グラウンドの真ん中で小さくなって怖がっていたので、これは本当に大変なことが起こったんだなというのは、子どもたちの反応でわかりましたね。


巻選手には今年5月のJ2復帰戦直前にも、お電話で状況を語ってもらいました。その時も巻選手が中心となった呼びかけに、全国から支援物資が集まったという話がありましたが、巻選手によれば「サッカーどころではなく、本当に無我夢中だった」そうです。そして、サッカー界のネットワークもあり、倉庫を貸してくれる方、トラックをチャーターしてくれる人、様々な協力が集まり、最終的には1000トン近い物資が被災地へ届けられたといいます。巻選手自身は、ずっと倉庫で物資をどこにいくつ供給するか、指示する係をやっていたということです。

あしたもロアッソ熊本 巻誠一郎選手のインタビューです。
★巻選手が立ち上げた熊本復興支援募金 YOUR ACTION KUMAMOTO

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パーソナリティ 鈴村健一

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