2016年11月10日

11月10日 ロアッソ熊本・畑実 ☓ 中西哲生?

きのうに引き続き、熊本県に拠点を置くサッカーJ2・ロアッソ熊本ゴールキーパー、畑実選手のインタビューです。



熊本地震で特に被害の大きかった益城町で生まれ育ち、ご実家も益城町にある畑選手。
実家の建物も被害を受けたため、現在は、町外のいわゆる「みなし仮設」でご家族と生活しています。そんな畑選手は被災後、ロアッソ熊本のチームメイトによびかけ、避難所でサッカー教室を開くきっかけを作ったのですが、、、その経緯を伺いました。

◆サッカー、やろうよ。
やっぱり最初はみんな生きるのに精いっぱいという状況だったんですけど、落ち着いてくると子どもたちはストレスが溜まってきていろんなところで遊びだしたりして、親は大変で子どもを見てられないので、自分のところに「サッカーやろうよ」言ってきて。自分もまだサッカーして良いのかという気持ちもあったんですけど、どうにかしてサッカーをできる状況を作りたいなと思っていました。

(それでチームメイトに声をかけた)
そうですね。地元の方にも「サッカーやったらどうだ」という提案を受けたので、すぐにチームに相談して選手を呼び掛けたところ、みんな「やろう」ということで決まりました。避難所にいるときから、「何かできることはないか」と常に連絡をもらっていたので、サッカーなら役に立つと思ったのでありがたかったですね。

(子どもたちはボールを蹴り始めて表情はどうでしたか)
本当に楽しんでいましたね。体を動かすこともしていなかったでしょうし、みんな笑顔で。保護者や地域の大人も楽しそうに見ていたのでやってよかったなと思いました。

(自分のやっていたサッカーが役に立つ、実を結ぶと感じた)
改めて感じました。ボール一個あればみんな笑顔になれるし、こういうことができるのがサッカーのスゴサだと思いました。そういうことも改めて感じたので、こういう経験をしたからこそこれからも頑張っていきたいと思います。

(ロアッソ熊本としてもそうですし、ご自分として益城町とどう向き合っていくべきだと思っていますか)
震災があったからこそ地域の方々とのつながりもできましたし、避難所で声をかけて下さったり、こういう時だからこそ試合を頑張ってって言われることもあったので感謝の意味も込めて、これからもサッカーで試合で勝って元気を益城町に与えられるように頑張っていきたいです。


巻選手も話していましたが、ロアッソ熊本の選手たち、この件で地域に根差したクラブチームとしての責任感や役割、そして影響力を重く受け止めたと言います。畑選手もまだ20代ですが、人間として大きく成長したんですね。

最後に、生まれ育った益城町について畑選手に伺いました。

◆益城町が好き
(元々益城町で生まれ育って、どういう魅力がある町ですか)
田舎町ですけど
、食べ物、農作物も美味しいですし自然があることで人柄も良いし、地域のつながりが強いので住みやすい町で、自分自身もたくさんの人の支えで育ったと思うので、良い町だと思います・・・難しいですね表現が(笑)今は益城町じゃないところに住んでいますが、やっぱり益城町が良いですね。

(住民の方々の8割〜9割がそういう状況だと伺ったんですけど)
本当にそうだと思います。何が良いというのは無いんですけど、人のつながりやすさがあると思う。一度住んだら益城町が良いなという人は多いですし、来てみて伝わるものがあるのでぜひ来てほしいなと思います。


11月10日現在、J2ロアッソ熊本は残り2試合で18位。今週末(土)のFC岐阜(19位)との試合、20日(日)のC大阪との試合で、一つでも順位を上げられるか注目です。チームが勝つこと、全力のプレーを続けることが熊本の力になるはず! そしていつかJ1へ!!

2016年11月9日

11月9日 ロアッソ熊本・畑実 ☓ 中西哲生?

今週は、熊本県に拠点を置くサッカーJ2・ロアッソ熊本の選手に焦点を当ててお届けしています。今回の取材では、FWで元日本代表・巻誠一郎選手ともう一人の選手にもインタビューしました。


畑実選手(27歳)。 ゴールキーパーです。ロアッソ熊本の選手たちが、避難所でサッカー教室を開く旗振り役になった選手。熊本地震で特に被害の大きかった益城町で生まれ育ち、ご実家も益城町にあります。
ご実家の建物も被害を受けたため、現在は、町外のいわゆる「みなし仮設」でご家族と生活しています。

◆「生きていかなきゃ」
(中西:4月14日の1回目の地震の時はどちらにいらっしゃったんですか)
自分はちょうど温泉に後輩と一緒に入っていて、その最中に・・・
(えっ? 温泉には日常的に行かれていたんですか)
近くにあるので、たまたま行っていて。ちょうど露天風呂に入っている時に地震が起きて。最初は何かなと思って。すごい地響きがして揺れがあったのですぐにあがって確かめたら震度7ということでかなりビックリしました。

(もともと、益城町のご実家に住んでらっしゃるんですか)
そうですね。1回目の地震のあとは実家に戻ることができなかったので、避難所というか公民館のようなところに泊まって朝に帰ったんですけど、その途中の道がもうガタガタで、朝になってビックリしましたね。道も凸凹でマンホールが浮き上がっていて、クルマで走っていてもガタガタするような感じで。

(さっき巻選手に伺って、1回目のあとはまだ「週末の京都戦がアウェイである」ということもイメージしたと言っていました。1回目の時はまだ、練習はあしたあるのかなと考えるような状況だったんですか)
自分自身は実家が1回目の被害も受けていたので、練習にすぐ行ける状況でなかかったのですが、試合はできるかなという感じはありましたね。

(それで2回目の地震が。その時は。)
友だちの家にシャワーを浴びに行っている時に地震が起きました。それまでは家の片づけとかをしていて、お風呂に入りたかったのでお湯の出る友達のところに行ってシャワーを浴びてゆっくりしている時に地震があって、かなり揺れたので本当にもう死ぬかと思いました。動けないし何もできない。頭を画して揺れが収まるのを待つしかなくて、しかも長かったのでいつまで続くんだろうという感じでちょっと怖かったですね。

(実家に戻ってみてどうですか)
瓦が落ちたり窓ガラスが割れたりひびが入ったりして、それでもまだある程度は修理すれば大丈夫かなという感じだったんですけど、2回目で完全に住めないような状況になりましたね。そのまま避難所に行きました。

(夜が明けて家の周りは見に行かれたんですか)
次の日くらいに行きましたけど、さらにひどくなっていて。中もぐちゃぐちゃでしたし。何より自分の家はまだ建っていたんですけど、まわりの家がさらに倒壊して道が土砂崩れのように崩れていてショックでしたね。

(こういう地震があって、サッカーもできなくなって、まず自分がやるべきことはなんだと思いましたか)
まずは生きていかなきゃなと。避難所にもまだ食料があまりなくて、なんとかしなきゃいけないという思いだけでやっていましたね。


畑選手のご実家は全壊判定を受けており、来年以降での自宅再建・修復を目指しているそう。ただ、現在のみなし仮設は、ご両親はじめ家族全員で生活できていて、バラバラになっていないのが救いだと言います。

そして避難所で畑選手は、徐々にストレスを感じ始めた子どもたちのためにサッカーをするべきでは、と考えるようになるのですが、この続きは明日お届けします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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