2016年11月15日
11月15日 熊本県益城町・木山神宮(2)
引き続き、熊本県 益城町に鎮座する地域の氏神さま。木山神宮の「いま」を、お伝えします。
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![](/cms/thumbnails/51/5154c708a4e92370e10a79ef6fe3bfe7.jpg)
4月の熊本地震で、境内の建物全てが全壊。再建のめどがたたない状況ですが、それでも木山神宮は、秋の例祭を執り行い、11月1日には、プレハブではありますが、仮の拝殿も完成。地域の拠り所としての神社の役割を、懸命にまっとうしています。
木山神宮の神職・矢田幸貴さんのお話です。
◆「絶やすことはならない」
神事は古来から続くおまつりごとであって、古来から台風・水害・天災にあっても続けてきたものですので、決して地震があったからといって絶やすことはならないということで、神社としては震災を受けた秋のお祭りも、地域の方々と協力しながらお祭りを執り行ったところです。
(実際、新しい狩りの本殿が)
仮の本殿と合わせて、お参りをする拝殿の両方を兼ねた建物になっています。
(これからそちらにご神体を移して)
そうですね。お移しをいたしまして、お参りできるようにしたいと思っています。
(このあとは七五三もね)
被災された中ではありますが、地元のお子さんたち、ご両親が地元神社で七五三をしたいということで、電話でも予約を頂いている。ぜひお子さんたちをお迎えすべく準備を進めています。もちろんお祝いを迎えたお子さんだけでなく、ご家族が一緒に笑顔になるんですね。ですからお子さん一人の笑顔がご家族を笑顔にするし、そして益城町も笑顔になっていくんじゃないかと思っています。
ということで、全国の神社・地元企業の支援で建てられた仮の拝殿は11月に完成。七五三に間に合いました。
矢田さんは、お父さんが神主、益城町で生まれ育った方。まだ35才と若いのですが、あの震災を機に、神社の「使命」を強く意識したといいます。そんな矢田さん、神職として、町の復興をこう考えています。
◆ご先祖たちも災害を乗り越えてきた
被害が大きすぎましたものですから、地元の人達はようやく仮設住宅に入居できたような状況でして、今からが復興だと地元の人間としても考えています。
(どういうものが力になっていますか)
私が考える復興は2つあって、住宅の再建といったインフラの復興だけでなくもう一つ大事なのが心の復興だと思う。物心両面というが、物と心両方が一緒に立ち上がって復興しなければ本当の復興ではないと思っていて、神社はその心の部分なので、地域の心の拠り所になるように一緒に勧めていけたらいいなと思っています。
(これを伝えたいというのはありますか)
平成の世の中に生を受けて、ご先祖様がいらっしゃったから私たちがいる。そのご先祖もなにかしら水害、地震、飢饉など時代の転換期を乗り越えてきたと思う。ですのでその中でその中で私たちがいるという現実は、私たちのご先祖もなにかしらの復興を成し遂げた証だと自分は思っています。ならばこれから続く未来の為に、自分たちもこの平成で復興を成し遂げていかなければいけないなと自分に言い聞かせる毎日です。
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ちなみに、震災のあと矢田さんが最初にした仕事は、『益城町再興』と文字を書き、大きな看板にして参道の入口に建てることだったそうです。地元の友人に「おまえ、神社やめるのか。どうするんだ」と聞かれた矢田さんは、「俺が逃げるわけないだろ!」と、その気持ちを表明するためにまずこの看板を建てたのだそう。看板の文字の力強さがそれを物語っています。
丁寧に、言葉を選んで語ってくれましたが、実は熱いタマシイを持つ若者でした。これからも益城町の復興の力になっていくはず。
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4月の熊本地震で、境内の建物全てが全壊。再建のめどがたたない状況ですが、それでも木山神宮は、秋の例祭を執り行い、11月1日には、プレハブではありますが、仮の拝殿も完成。地域の拠り所としての神社の役割を、懸命にまっとうしています。
木山神宮の神職・矢田幸貴さんのお話です。
◆「絶やすことはならない」
神事は古来から続くおまつりごとであって、古来から台風・水害・天災にあっても続けてきたものですので、決して地震があったからといって絶やすことはならないということで、神社としては震災を受けた秋のお祭りも、地域の方々と協力しながらお祭りを執り行ったところです。
(実際、新しい狩りの本殿が)
仮の本殿と合わせて、お参りをする拝殿の両方を兼ねた建物になっています。
(これからそちらにご神体を移して)
そうですね。お移しをいたしまして、お参りできるようにしたいと思っています。
(このあとは七五三もね)
被災された中ではありますが、地元のお子さんたち、ご両親が地元神社で七五三をしたいということで、電話でも予約を頂いている。ぜひお子さんたちをお迎えすべく準備を進めています。もちろんお祝いを迎えたお子さんだけでなく、ご家族が一緒に笑顔になるんですね。ですからお子さん一人の笑顔がご家族を笑顔にするし、そして益城町も笑顔になっていくんじゃないかと思っています。
ということで、全国の神社・地元企業の支援で建てられた仮の拝殿は11月に完成。七五三に間に合いました。
矢田さんは、お父さんが神主、益城町で生まれ育った方。まだ35才と若いのですが、あの震災を機に、神社の「使命」を強く意識したといいます。そんな矢田さん、神職として、町の復興をこう考えています。
◆ご先祖たちも災害を乗り越えてきた
被害が大きすぎましたものですから、地元の人達はようやく仮設住宅に入居できたような状況でして、今からが復興だと地元の人間としても考えています。
(どういうものが力になっていますか)
私が考える復興は2つあって、住宅の再建といったインフラの復興だけでなくもう一つ大事なのが心の復興だと思う。物心両面というが、物と心両方が一緒に立ち上がって復興しなければ本当の復興ではないと思っていて、神社はその心の部分なので、地域の心の拠り所になるように一緒に勧めていけたらいいなと思っています。
(これを伝えたいというのはありますか)
平成の世の中に生を受けて、ご先祖様がいらっしゃったから私たちがいる。そのご先祖もなにかしら水害、地震、飢饉など時代の転換期を乗り越えてきたと思う。ですのでその中でその中で私たちがいるという現実は、私たちのご先祖もなにかしらの復興を成し遂げた証だと自分は思っています。ならばこれから続く未来の為に、自分たちもこの平成で復興を成し遂げていかなければいけないなと自分に言い聞かせる毎日です。
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ちなみに、震災のあと矢田さんが最初にした仕事は、『益城町再興』と文字を書き、大きな看板にして参道の入口に建てることだったそうです。地元の友人に「おまえ、神社やめるのか。どうするんだ」と聞かれた矢田さんは、「俺が逃げるわけないだろ!」と、その気持ちを表明するためにまずこの看板を建てたのだそう。看板の文字の力強さがそれを物語っています。
丁寧に、言葉を選んで語ってくれましたが、実は熱いタマシイを持つ若者でした。これからも益城町の復興の力になっていくはず。