2016年11月21日
11月21日 東松島「福幸まつり」レポート(1)
今朝は、宮城県東松島市からのレポートです。きのう20日(日)、東松島市・野蒜駅周辺で行われた「ひがしまつしま 福幸祭り」。オープニングセレモニーでは、来場者に配られた白い鳩のカタチの風船が一斉に空を舞う、壮観な光景も繰り広げられました。
このイベントは、避難住民の集団移転のために、造成していた宅地が全て完成。その土地の引き渡しが行われることを記念した、新たな町の誕生を祝うもので、時間はかかりましたが、東松島市では、生活再建の基盤がようやく整備されたことになります。
東松島市 古山守夫副市長に伺いました。
◆山を削り、新たな町を作る
震災から5年と8カ月。私は副市長になってまだ2年と1か月なんですよ。その前は何をしていたかというと復興政策部長ということで復興事業に携わっていまして、震災直後に避難された、被災された方は避難場所でもう集団移転の話をされていた。自分たちでこの場所に避難した。あの山に移転したいんだと言われた時に、土地を買いに行ったりなんかしたのも私でした。「この野蒜の山を売って下さい」と。そういった思いからスタートしていますのでかなり思いは強いと思いますね。ただ、この山を削った時に思いのほか土の量が削らないといけない。1日一万リューベ。1万立方メートルの土と言っても想像つかないですが、1日あたりダンプ1500台を動かさないといけない。それならベルトコンベアを使って山で削った土を向こうまで運んだ。それで1年かからずに土を削ることができました。
ということで、去年、高台に移転したJR仙石線 野蒜駅。その目の前の山から、なんでも「クフ王のピラミッドと同じ体積の土」が削られ、土地が造成されました。
これで、住民の方々の、住宅再建の道筋はついたことになりますが、ただ、復興への道のりは、まだまだこれからだと、古山副市長は話します。
◆住宅再建から、賑わいの復活へ
集団移転という震災からの第一目標で言えば、自分たちが家を建てるという方のために土地を提供する717区画が全て(引き渡しが)終わりました。ここのエリアが野蒜で最後の引き渡しエリアだったんですね。やっと自分たちの家が建てられる、仮設住宅から来られる方々が一番もっとほっとしているんだろうな。落としなので自分では家は建てられないという方に災害公営住宅1122戸の計画なんですけど、残すは291戸。それが建てば住宅再建の市の責任は終わるんですね。あとはここの津波を被った土地に以下に観光客集客の土地利用を図れるかがこれからの課題。あと2年、トータル8年の中である程度、震災前かあるいはそれ以上の賑わいを取り戻せたらなと思っています。
●来場者の夫婦の声
夫:そこです、野蒜の団地内です。震災で家が流されちゃったので、やっと集団移転・高台移転で戻ってきました。まだ10月の連休ですね、9日です。家を建てるまでに4年間は下準備をずっとやっていたので、やっとここまできたなという実感はわきましたね。
妻:長かったね。母がお友達がこっちにたくさんいるので「早く帰ってきたい」というので、一番最初に土地が引き渡されるところを希望して、一番最初にとにかく家を建ててとにかく帰ってこようということでずっと4年間進めていたんですね。でも1年前に突然倒れてなくなって、母が一番帰りたかったのに帰れなかったというのが悲しいしつらいし、悔しい。でもやっぱり海も山もきれいだし、震災後でも新たに始まったことがたくさんあるし、そういうのも交えてもっと明るくて楽しい町になればいいかなと思います。一生住むので、私たちは(笑)
ここからは、災害公営住宅や観光がこれが大きな課題になってくると副市長はおっしゃっていました。東松島市は震災前の人口は4万3000人。震災後は一時3万人台に落ち込んだものの、最近はまた4万人に回復今後は、やはり子供、若い人たちがどれだけ入ってくるか。そのためには産業、企業の誘致が必要だと東松島市は考えているということです。
このイベントは、避難住民の集団移転のために、造成していた宅地が全て完成。その土地の引き渡しが行われることを記念した、新たな町の誕生を祝うもので、時間はかかりましたが、東松島市では、生活再建の基盤がようやく整備されたことになります。
東松島市 古山守夫副市長に伺いました。
◆山を削り、新たな町を作る
震災から5年と8カ月。私は副市長になってまだ2年と1か月なんですよ。その前は何をしていたかというと復興政策部長ということで復興事業に携わっていまして、震災直後に避難された、被災された方は避難場所でもう集団移転の話をされていた。自分たちでこの場所に避難した。あの山に移転したいんだと言われた時に、土地を買いに行ったりなんかしたのも私でした。「この野蒜の山を売って下さい」と。そういった思いからスタートしていますのでかなり思いは強いと思いますね。ただ、この山を削った時に思いのほか土の量が削らないといけない。1日一万リューベ。1万立方メートルの土と言っても想像つかないですが、1日あたりダンプ1500台を動かさないといけない。それならベルトコンベアを使って山で削った土を向こうまで運んだ。それで1年かからずに土を削ることができました。
ということで、去年、高台に移転したJR仙石線 野蒜駅。その目の前の山から、なんでも「クフ王のピラミッドと同じ体積の土」が削られ、土地が造成されました。
これで、住民の方々の、住宅再建の道筋はついたことになりますが、ただ、復興への道のりは、まだまだこれからだと、古山副市長は話します。
◆住宅再建から、賑わいの復活へ
集団移転という震災からの第一目標で言えば、自分たちが家を建てるという方のために土地を提供する717区画が全て(引き渡しが)終わりました。ここのエリアが野蒜で最後の引き渡しエリアだったんですね。やっと自分たちの家が建てられる、仮設住宅から来られる方々が一番もっとほっとしているんだろうな。落としなので自分では家は建てられないという方に災害公営住宅1122戸の計画なんですけど、残すは291戸。それが建てば住宅再建の市の責任は終わるんですね。あとはここの津波を被った土地に以下に観光客集客の土地利用を図れるかがこれからの課題。あと2年、トータル8年の中である程度、震災前かあるいはそれ以上の賑わいを取り戻せたらなと思っています。
●来場者の夫婦の声
夫:そこです、野蒜の団地内です。震災で家が流されちゃったので、やっと集団移転・高台移転で戻ってきました。まだ10月の連休ですね、9日です。家を建てるまでに4年間は下準備をずっとやっていたので、やっとここまできたなという実感はわきましたね。
妻:長かったね。母がお友達がこっちにたくさんいるので「早く帰ってきたい」というので、一番最初に土地が引き渡されるところを希望して、一番最初にとにかく家を建ててとにかく帰ってこようということでずっと4年間進めていたんですね。でも1年前に突然倒れてなくなって、母が一番帰りたかったのに帰れなかったというのが悲しいしつらいし、悔しい。でもやっぱり海も山もきれいだし、震災後でも新たに始まったことがたくさんあるし、そういうのも交えてもっと明るくて楽しい町になればいいかなと思います。一生住むので、私たちは(笑)
ここからは、災害公営住宅や観光がこれが大きな課題になってくると副市長はおっしゃっていました。東松島市は震災前の人口は4万3000人。震災後は一時3万人台に落ち込んだものの、最近はまた4万人に回復今後は、やはり子供、若い人たちがどれだけ入ってくるか。そのためには産業、企業の誘致が必要だと東松島市は考えているということです。