2016年11月29日

11月28日 東北大学 今村文彦教授(1)

今日は津波工学が専門、東北大学、今村文彦教授のインタビューです。
 
先週、火曜日早朝に発生した「福島県沖を震源とする地震」。マグニチュードは7.4。最大震度5弱。 太平洋沿岸の広い地域に津波警報、津波注意報が出され、福島、茨城、宮城などで津波を観測。中でも宮城県仙台港では最大1.4メートルの津波を記録しました。なぜ震源地から遠く離れた仙台港で、津波の最大波が観測されたのでしょうか。

◆今回の津波の特徴 遠いところで最大派を記録
気象庁が出す津波の高さは沿岸部で陸に近いところの津波の高さ。場合によっては、周辺の津波が集中する場合もあるし、局所的にある湾の中でだんだん増幅するという場合もある。今回の福島県沖地震でも、遠い宮城県、正確にいうと仙台湾で今回最大の津波を記録した。確かに福島は震源地には近いが、津波の伝搬する方向、そのエネルギーが伝わる方向がちょうど仙台湾を向いていた。もう一つは、第二波が沿岸部に沿って仙台湾の奥で増幅した。第一波ではなく第二波が狭い湾の中で増幅した。この二つが原因として考えられる。気象庁の記録では、仙台港で1.4メートル。しかし周辺では2メートルを超える津波の来襲があったと報告されている。
ただ難しいのは2時間後に最大波が出た。2時間後に出て、急に注意報から警報に切り替えられたときに、例えば老人ホームや病院などでは、いきなり避難をしなければいけないエリアに入ったりして、そこでの対応は本当に難しいものになると思う。
残念ながらいまの予報体制では、地震の情報を得て3分を目安に津波警報、津波注意報が出る。これは非常に速い段階での「速報」になる。しかし、いろんな沿岸には津波を監視、観測する装置があって、実際に津波の規模をリアルタイムで監視できる。その値が1メートルを超えたり、3メートルを超えたりすると、津波警報、注意報等が切り替えられるということになる。


宮城県に発令された「津波注意報」が「津波警報」に切り替わったのは仙台港に1.4mの津波が“観測された後”、午前8時9分。地震発生から2時間10分後、でした。

今村先生の話にもありましたが、最初に出る津波の予測は、3分を目安とした「速報」だということ。その後、「予測が変わるかもしれない」ということを頭に入れてさまざまなパターンで避難準備をすることが大事なのではないでしょうか。

今回、避難指示・避難勧告の対象者となったのは、およそ26万人。「避難行動の課題」も浮かび上がってきました。

◆なるべく車の台数を減らす工夫を
新たにというよりも、311のときにも課題として残されたことですが、これは「自動車による避難」ということになる。どうしても多くの方が車を使って避難をしてしまうと、交差点やある場所に関して渋滞が発生し、移動が困難になってしまう。この状況が今回も見られた。なので、車のルールに関しては、地域独自のルールを使って、できるだけ車を使う台数を減らすこと、ルートを工夫して渋滞を起こさないようにすること、また幹線道路はどうしても多くの車があるので、そこに対して津波警報が出た時にどのように誘導するのか、こういう点は個人や家族だけでなく、地域で話し合ってもらいたい。
ただ難しいのが、発生した時間帯によって我々の行動パターンが違ってくること。今回は早朝で多くの方が起きていたので、行動は比較的早かったと思うが、夜中だと眠っているので行動開始が遅くなる。また場合によっては、海水浴シーズンだったりお祭り等があると、多くの方が沿岸部にいるケースもある。それぞれ時間帯、季節、特別なイベント等をあらかじめ一つのシナリオとして考えて、さまざまなパターンで避難準備をする、避難計画をするというのがとても重要と考えます。

2016年11月25日

11月25日 東松島「福幸まつり」レポート(4)

引き続き、宮城県東松島市で先週末に行われた「ひがしまつしま 復幸まつり」からのレポートです。
     
集団移転する野蒜住民のために造成された土地が全て引き渡され、新たな町のスタートを記念したこのイベント。会場となった高台の野蒜駅周辺には今、区画分けされたまっさらな土地が広がり、今後はここに家が建ち、災害公営住宅も建てられ、新しい町が生まれることになります。

町のこれからについて、東松島市復興政策部 都市計画課 五野井盛夫さんに伺いました。


◆森とともに永続的に発展していきたい
この野蒜北部丘陵地区に関しては、高台に町全体を動かしてくるというところもあるし、被災した人たちが中心になっている町ですので、よくニュータウンが高齢化するということが聞かれますが、そんなことがなにように、永続的に町が発展していければなと思います。子どもたちについては、CWニコルさんの協力で森の背後地、森の中に町ができて、学校も森の学校として体育館まで全部木で作った校舎が今年度の3学期、1月から開校します。そこでのびのびと育ってほしいなと思っている。小学校の背後の森が散策できる森になり、ウッドデッキみたいな舞台ができるという形で里山としてうまく使えればよいかなと思います。


東松島の町づくりの大きな特徴は、環境活動家CWニコルさんも関わる、「森のある町」です。目の前に森が広がる木造校舎で子どもたちが学び、
そういう教育を望む若い家族が暮らす町を目指しています。また、東京の大きな病院を呼び込み、森の癒し効果を狙った長期滞在型の医療ツーリズムも構想中だそう。また奥松島と呼ばれる見事な景観はじめ、歴史的な遺産も、活用していくと言います。

◆運河、白い砂浜、松林
運河がある町づくり、運河自体も非常に景観が良い。北上川から阿武隈川まで運河がずっとつながっているんですよ。海に出ないで運河で北上川からの物流を仙台まで運ぶという形でできていた土地。今はそういう利用は考えられないいけど、運河としてその景観が残っているので、復旧に当たっても景観に配慮して、せっかく昔の石で積んだ部分があるんだから、その石を利用してもう一度再生しようとか。野蒜地区の一番のイメージっていうのは、白い砂浜が200−300mであってその背後に緑の松林が広がっていました。それが運河までつながっていて、運河にも松の木が生えて水面に生えるというのが良いところ。ですから海の近くにどんどん家が建ったのですが、それは津波で一切流され松林は瓦礫として流れてきた状態ですので、それが元通りになるということについては非常に時間がかかるんだろうなと思っています。ただやっぱり移転した元地の部分も含めて観光っていう部分に力を入れていきたい。松林が再生して、昔は松林でキャンプもできたし、海と言えば海水浴場があり、湘南海岸のイメージがここにもあったんです。それも踏まえて観光とともに発展していければなと思っています。私が生きているうちに戻ってきてほしいという願いがあります。


『ひがしまつしま復幸まつり』の現場から、東松島市復興政策部の方のお話、お届けしました。東松島、本当に景色が素晴らしいんですよね。そして「運河」もいまは津波の爪痕が残っていますがきっと素晴らしい景色が戻ってくるはずです。

また東松島市では被災した土地を無料で貸して、企業の事業所を誘致、雇用の獲得なども目指すそう。ただ現実はなかなか難しいという。
また、野蒜が丘を整備する際に削った「山」、その土は、沿岸部の防災盛り土として津波減災に役立てられるということです。野蒜駅周辺・北部丘陵地区は、「野蒜が丘(のびるがおか)」という町名になるそうです。
«前の記事へ || 1 | 2 | 3 |...| 417 | 418 | 419 |...| 1066 | 1067 | 1068 || 次の記事へ»

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN