2017年1月4日
1月4日 女川の獅子振り2
昨日に引き続き、宮城県女川町からのレポートです。
お正月3が日、神社の「春祈祷」で獅子振り(獅子舞)が行われ、新しい年を迎えた女川町。この番組でも何度も女川は取材、町がどんどん新しくなっていく様子をお伝えしています。
そんな女川町・鷲神(わしのかみ)地区の獅子振りの担い手が、岡裕彦さん。
![](/cms/thumbnails/e2/e2d5b8eeae9430a8279f545b0e0289c2.jpg)
震災前は町で唯一のライブハウスのオーナーだったそう。現在は町の高台で仮設の飲食店を経営しています。そんな岡さんに、女川のこれからについて伺いました。
◆町作りとともに、人作りも
いま地域医療センターの門で「お茶っ子クラブ」というお店をやっているんですけど、鷲神地区そのものが嵩上げやなんやかんやで2、3年かかるので、そのあとにお店をやろうと思っています。またちょっとしたカフェだったりライブハウスだったり、とにかくみんながニコニコできるスペースを作るのが夢だったので。それを一旦作って。津波で流されたものですから。前も同じようなお店をやっていたんですけど、また作ろうと思います。2年半くらいかかるかな。自宅はまだ仮設であと1年半くらいはいなくちゃいけないですよね。もう6年、7年住んでいると隙間風がすごいですよ。狭いのは嫌がる人はいますけど、狭い中で家族5人が御飯食べるのもいいもんですよ。四畳半で家族集まって狭いところで囲んでお話しながらご飯を食べるっていうのはね。仮設住宅の醍醐味じゃないですけど、辛いことばかりじゃないんですよ。あと隣近所も優しいおじいちゃんおばあちゃんがいて、子供らが遊びに行ったり、ご飯食べたり。回覧板を回して隣組のおつきあいがあるようなコミュニティもいまできているので。そこでまた今度災害公営住宅に移るから、そこで新しいコミュニティを形成しなきゃいけないというのはあるが、神社があるとある御札が入っているのである意味そこで同じになれる。打ち解けやすい。だからさっきもいいましたが神社の御札とか同じものを入れているのですごく大事なんです。いま神社が町の公共事業などで移設しなければいけなくなっていて、いまもまた高台の仮設の神社で2年前からやっているんですけども、しかも移転が4回目で神社が移転する度に町が発展していくんです。震災で辛いことがあったんですが、熊野神社が移設するごとに町が進化していく。震災でいろいろあって、神社のあった場所に小学校ができたり町のいろんな施設ができて移転を余儀なくされているので、それが出来上がってまた新しい街になって発展するということで縁起の良い神社なんです。津波の時にも神社にみんな集まって焚き火したりみんなで過ごしましたからね。震災があって神社が移転するということではないんですよね。震災は誰のせいでもないので、やっぱり女川人が持っている魂作り。私は人づくりの方をやります。笑顔で笑えるような人作りをやりたいなと思っています。町のハード面を作るのが得意なやつはそっちで一生懸命やればいいし、色んな役割分担が自ずと決まっているんです。ピシッとした人が多いです。その規律にも神社が寄与しているんです。
![](/cms/thumbnails/e2/e229271b1109c36dd0fab0c8ea3abc6c.jpg)
岡さんは以前のインタビューでも、「新しい町には、新たに神輿の順路ができる。それが町が新しく生まれるということ」とおっしゃっていた。町が新しくなり、住む場所が変わり、新たに家が立つ。そこにお神輿や獅子振りが来て、人が集まる。これが大昔からの日本のコミュニティの正しい作り方なのかもしれません。
お正月3が日、神社の「春祈祷」で獅子振り(獅子舞)が行われ、新しい年を迎えた女川町。この番組でも何度も女川は取材、町がどんどん新しくなっていく様子をお伝えしています。
そんな女川町・鷲神(わしのかみ)地区の獅子振りの担い手が、岡裕彦さん。
![](/cms/thumbnails/e2/e2d5b8eeae9430a8279f545b0e0289c2.jpg)
震災前は町で唯一のライブハウスのオーナーだったそう。現在は町の高台で仮設の飲食店を経営しています。そんな岡さんに、女川のこれからについて伺いました。
◆町作りとともに、人作りも
いま地域医療センターの門で「お茶っ子クラブ」というお店をやっているんですけど、鷲神地区そのものが嵩上げやなんやかんやで2、3年かかるので、そのあとにお店をやろうと思っています。またちょっとしたカフェだったりライブハウスだったり、とにかくみんながニコニコできるスペースを作るのが夢だったので。それを一旦作って。津波で流されたものですから。前も同じようなお店をやっていたんですけど、また作ろうと思います。2年半くらいかかるかな。自宅はまだ仮設であと1年半くらいはいなくちゃいけないですよね。もう6年、7年住んでいると隙間風がすごいですよ。狭いのは嫌がる人はいますけど、狭い中で家族5人が御飯食べるのもいいもんですよ。四畳半で家族集まって狭いところで囲んでお話しながらご飯を食べるっていうのはね。仮設住宅の醍醐味じゃないですけど、辛いことばかりじゃないんですよ。あと隣近所も優しいおじいちゃんおばあちゃんがいて、子供らが遊びに行ったり、ご飯食べたり。回覧板を回して隣組のおつきあいがあるようなコミュニティもいまできているので。そこでまた今度災害公営住宅に移るから、そこで新しいコミュニティを形成しなきゃいけないというのはあるが、神社があるとある御札が入っているのである意味そこで同じになれる。打ち解けやすい。だからさっきもいいましたが神社の御札とか同じものを入れているのですごく大事なんです。いま神社が町の公共事業などで移設しなければいけなくなっていて、いまもまた高台の仮設の神社で2年前からやっているんですけども、しかも移転が4回目で神社が移転する度に町が発展していくんです。震災で辛いことがあったんですが、熊野神社が移設するごとに町が進化していく。震災でいろいろあって、神社のあった場所に小学校ができたり町のいろんな施設ができて移転を余儀なくされているので、それが出来上がってまた新しい街になって発展するということで縁起の良い神社なんです。津波の時にも神社にみんな集まって焚き火したりみんなで過ごしましたからね。震災があって神社が移転するということではないんですよね。震災は誰のせいでもないので、やっぱり女川人が持っている魂作り。私は人づくりの方をやります。笑顔で笑えるような人作りをやりたいなと思っています。町のハード面を作るのが得意なやつはそっちで一生懸命やればいいし、色んな役割分担が自ずと決まっているんです。ピシッとした人が多いです。その規律にも神社が寄与しているんです。
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岡さんは以前のインタビューでも、「新しい町には、新たに神輿の順路ができる。それが町が新しく生まれるということ」とおっしゃっていた。町が新しくなり、住む場所が変わり、新たに家が立つ。そこにお神輿や獅子振りが来て、人が集まる。これが大昔からの日本のコミュニティの正しい作り方なのかもしれません。