2017年1月6日
1月6日 新成人の声 遠藤裕也さん
今日は、東北の被災地で成人式を迎える「新成人の声」、福島県富岡町出身、遠藤裕也さんの声をお届けします。
![](/cms/thumbnails/cc/cc31c91463774c8a457da2f7aeff0ad9.jpg)
地震と津波、そして原発事故の影響で、福島第一原発周辺の町や村では今なお全町・全村避難が続いています。慣れない土地での避難生活を余儀なくされている中、それぞれの住民は、避難先での6回目の成人式を迎えます。
ほとんどの住民が郡山市やいわき市、三春町で避難生活をしている、福島県富岡町もその一つ。今年、成人式を迎える遠藤裕也さんは、そんな富岡町の出身で一家で2015年まで借り上げ住宅に住み、現在は郡山市に建てた家で暮らしながら、福島市内の大学に通っています。
震災時14歳・中学2年生だった裕也さんが暮らしていた富岡は、どんな町だったんでしょうか。
◆あったかい町民
山も有り海も有り、春には桜が咲いて、夏には海水浴が出来て、町に流れてる川の上流の水深10メートル以上あるところに皆でパンツ一丁で飛びこんだのがいちばんの思い出です。他にも松明を担いで山を駆け上っていくお祭りも毎年登っていたので印象深いです。あと「近所付き合い」が富岡町は一番じゃないかっていうくらい、子供たちが帰ってきたときは近所のおじいちゃんおばあちゃん、「お帰り」って言ってくれるし、学校行くときは「行ってらっしゃい」って言ってくれるし、俺からしたらけっこうあったかい町民が多くて、四季折々の様々な遊びを楽しめる場所だったなって思います。
そんな親しんだ富岡町を追われて間もなく6年。それは中学生だった遠藤裕也さんが成人になるほどの月日の経過をあらわしています。町への思い、将来の夢、いろんなことを考えながら、ハタチを迎えるまでに裕也さんが導き出した答えとは。
◆将来は富岡で消防士になりたい。
まあこっちに来ても昔から釣りが好きだったんで釣りやってたんですけど、釣りをやりながらも、富岡で釣りをしてた池のことを思い出したりしながら、「帰りたいな」という気持ちが湧いてきてるんだけど、やりながらもどかしさを感じたり、友達でも「戻りたい」って言ってる人が(まあ聞いてないからだけど)いないと思っているんで、だからその思い出にある「火祭り」とかをやるようになったら、「祭の時だけでもいいから帰ってきて」って言って皆で登れたりしたら、町を盛り上げられるんじゃないかなと思います。避難指示解除されて学校も卒業したら、富岡町の仕事に就こうと思っています。仕事は富岡町の消防署。で高齢者を助けていきたいなという考えです。
そして遠藤裕也さんは、あさって8日の日曜日、郡山市内で開催される富岡町の成人式式典に出席します。しかも実行委員長という大役も担うことになっています。生まれ育った富岡町のために、いま出来ることをしていきたいと語る遠藤裕也さん。ただし不安がないわけではありません。
◆二十歳の想い
二十歳になったんで責任を持って行動しつつ、昔のように夏には海水浴場を開いて、砂浜に人がにぎわうような町になっていって欲しいなと思いますし、その手助けが出来たらなと思います。自分も子供とか出来たらさすがに不安なんで子供たちを住ませるのは。郡山市から1時間半くらいかかりますけど、単身赴任であっても通ってもいいから、自分だけは町、あと週イチで一時帰宅の人たちが休憩できる休憩所で日直の仕事をバイトでしてるんですけど、お年寄りの方が一時帰宅で帰ってきたときに覚えててくれたりするんで、その人たちへの恩返しも含めて町にたずさわる仕事をしたいなと思っています。
福島第一原発周辺の町のうち、飯舘村と川俣町は3月31日の避難指示解除が決まり、富岡町と浪江町もその後、避難指示が解除になる予定。ただし帰還する住民がどれくらいいるのかは不明。裕也さんのような若い世代が、安心して町に戻れる日は、まったく見通せていません。
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地震と津波、そして原発事故の影響で、福島第一原発周辺の町や村では今なお全町・全村避難が続いています。慣れない土地での避難生活を余儀なくされている中、それぞれの住民は、避難先での6回目の成人式を迎えます。
ほとんどの住民が郡山市やいわき市、三春町で避難生活をしている、福島県富岡町もその一つ。今年、成人式を迎える遠藤裕也さんは、そんな富岡町の出身で一家で2015年まで借り上げ住宅に住み、現在は郡山市に建てた家で暮らしながら、福島市内の大学に通っています。
震災時14歳・中学2年生だった裕也さんが暮らしていた富岡は、どんな町だったんでしょうか。
◆あったかい町民
山も有り海も有り、春には桜が咲いて、夏には海水浴が出来て、町に流れてる川の上流の水深10メートル以上あるところに皆でパンツ一丁で飛びこんだのがいちばんの思い出です。他にも松明を担いで山を駆け上っていくお祭りも毎年登っていたので印象深いです。あと「近所付き合い」が富岡町は一番じゃないかっていうくらい、子供たちが帰ってきたときは近所のおじいちゃんおばあちゃん、「お帰り」って言ってくれるし、学校行くときは「行ってらっしゃい」って言ってくれるし、俺からしたらけっこうあったかい町民が多くて、四季折々の様々な遊びを楽しめる場所だったなって思います。
そんな親しんだ富岡町を追われて間もなく6年。それは中学生だった遠藤裕也さんが成人になるほどの月日の経過をあらわしています。町への思い、将来の夢、いろんなことを考えながら、ハタチを迎えるまでに裕也さんが導き出した答えとは。
◆将来は富岡で消防士になりたい。
まあこっちに来ても昔から釣りが好きだったんで釣りやってたんですけど、釣りをやりながらも、富岡で釣りをしてた池のことを思い出したりしながら、「帰りたいな」という気持ちが湧いてきてるんだけど、やりながらもどかしさを感じたり、友達でも「戻りたい」って言ってる人が(まあ聞いてないからだけど)いないと思っているんで、だからその思い出にある「火祭り」とかをやるようになったら、「祭の時だけでもいいから帰ってきて」って言って皆で登れたりしたら、町を盛り上げられるんじゃないかなと思います。避難指示解除されて学校も卒業したら、富岡町の仕事に就こうと思っています。仕事は富岡町の消防署。で高齢者を助けていきたいなという考えです。
そして遠藤裕也さんは、あさって8日の日曜日、郡山市内で開催される富岡町の成人式式典に出席します。しかも実行委員長という大役も担うことになっています。生まれ育った富岡町のために、いま出来ることをしていきたいと語る遠藤裕也さん。ただし不安がないわけではありません。
◆二十歳の想い
二十歳になったんで責任を持って行動しつつ、昔のように夏には海水浴場を開いて、砂浜に人がにぎわうような町になっていって欲しいなと思いますし、その手助けが出来たらなと思います。自分も子供とか出来たらさすがに不安なんで子供たちを住ませるのは。郡山市から1時間半くらいかかりますけど、単身赴任であっても通ってもいいから、自分だけは町、あと週イチで一時帰宅の人たちが休憩できる休憩所で日直の仕事をバイトでしてるんですけど、お年寄りの方が一時帰宅で帰ってきたときに覚えててくれたりするんで、その人たちへの恩返しも含めて町にたずさわる仕事をしたいなと思っています。
福島第一原発周辺の町のうち、飯舘村と川俣町は3月31日の避難指示解除が決まり、富岡町と浪江町もその後、避難指示が解除になる予定。ただし帰還する住民がどれくらいいるのかは不明。裕也さんのような若い世代が、安心して町に戻れる日は、まったく見通せていません。