2017年1月19日

1月18日 いざ夢のホテルマンへ!中津留裕人くん

今朝は、お休み中の中西哲生さんに代わって、白石康次郎さんとお届します。

震災からまもなく丸6年。この番組では、復興を担う子どもたちの自立を支援する「サポートアワーキッズ」を6年間継続取材してきましたが、その取り組みで海外留学を体験した子どもたちも、それぞれ未来へ羽ばたきはじめています。

その一人が、宮城県亘理町出身、中津留裕人君。高校1年で被災。ご両親は経営していた養豚場を津波で流され、転居と転職を余儀なくされました。そんな中、中津留くんは語学留学のチャンスをつかみ、両親の後押しもありイギリスへ。海外での経験をきっかけに夢を切り開くことを決意。大学で観光学を学び、そしてこの春、夢の実現に大きな一歩を踏み出します。


『今の夢はホテルマン。優しさや、他人を喜ばせることが実感できる仕事だと思ってて。人とのコミュニケーションは得意ではないが、何かしてあげるのが好き。相手の喜んだ顔をみると嬉しくなっちゃう(笑)』(2013年12月)

*****

▼電話がつながっています。愛称で呼びましょう。つるくーん。ホテルへの就職が決まったということで本当におめでとうございます。

「ありがとうございます。」

▼相変わらず優しい声で安心しました(笑)どこのホテルに就職が決まったんですか。

「第一志望だった京都の外資系ホテルのリッツカールトン京都ってところです。」

▼すごいですね。リッツカールトンは本当に人気のホテルですしトップを争う一流のホテルですが、合格の発表が来た時はどうでしたか。

「発表を受けたのが面接を受けた当日だったんですよ。それでもう京都から仙台に帰る途中で、電話が来た時は夢を見た感じでした。本当に1〜2か月は実感がない感じで(笑)」

▼私の予想ですけど面接官の方はつるくんのスマイルにやられたんだと思いますよ〜!

「いやいや〜!」

▼夢のスタートです。どんなホテルマンになりたいですか?

「お客さんに対して素晴らしいサービスをするというのはもちろんなんですが、のちのちは経営者になりたいという夢もあるので、そこに向けてどうやったら従業員たちが素晴らしいサービスをできるようにあるのかという環境づくりも含めた考え方が働きながら身についていったらいいかなという風に今は想っています。」

ちゃんと先まで見据えていて・・・経営者ということはいずれはホテルを経営したいということですか?

「ゆくゆくは、そう考えています。」

▼暖かいホテルになりそうですけど、以前インタビューしたときに国内の有名ホテルに就職して親を詠んで素敵な時間を過ごしてほしい、末っ子で最後まで迷惑をかける子供なので、その分恩返しと親孝行をしたいと言っていました。ご両親は何と言っていましたか。

「直接会って合格を伝えた時はただただ喜んでいたんですが、自分がいないところで実は泣いていたというのを後から聞いて嬉しかったです。父親が鳴いていたらしいんですけど、母親からそれを後で聞きました。」

▼夢をかなえたのが自分のためだけじゃなくて、両親のためになって嬉しかったんじゃないですか。

「やっぱり震災を受けてお金が厳しくなった状態で大学進学をしたというのが、授業料もギリギリ払えるくらいだったし、自分が大学進学して親が苦労しているのを見ると大学を辞めたいと思ったり、申し訳なさもあったんですけどすごく応援してくれたので。良い報告ができてうれしいですし、安心してねという想いです。もう社会人になるので安心して見送ってもらえればうれしいです。」

▼ご両親も楽しみだと思いますし、私たちスタッフもつるくんが接客してくれるホテルに行くのをすごく楽しみにしていますので、春から頑張ってくださいね。つるくんありがとうございました!

*****
今朝は、宮城県亘理町出身、この春、リッツカールトン京都でホテルマンとして夢への第一歩を踏み出す、中津留裕人君の声をお届けしました。

海洋冒険家の白石康次郎さんからもメッセージいただきました!
「中津留くんおめでとう!これからが本当の人生の荒波に出るからね。どんなことがあっても自分の心のコンパス見失わないで、しっかり走ってもらいたいと思います。やっぱり海外の経験て大きいんです。旅は男を磨くんですよ。
お父さんお母さん、旅させてあげてね」


あしたは、仙台市出身、小野寺真礼くんの未来へ向けた一歩、お伝えします。

2017年1月19日

1月17日 マツダのエンジニアへ!半澤悠音さん

東日本大震災の被災地の子どもたちに語学留学を体験してもらう取り組み「サポートアワーキッズ」。2013年、フランス留学を体験した福島市出身の半澤悠音さん、当時高校2年生は、世界三大自動車レースの一つ、「ル・マン24時間耐久レース」を観戦して「車のエンジニアになりたい!」と将来の夢を語ってくれました。

★「夢はピットに立つことです!私もエンジニアの一人として。できればルマンに戻って、100周年にぜひとも参加したい。私が行った時は90周年だったのであと10年後の100周年にはチームに入ってエンジニアになって、走らせたいですねクルマを。24時間完走させたいです。」

あれから3年。半澤悠音さんは現在二十歳になり、この春仙台高等専門学校を卒業し「車のエンジニア」に一歩近づくため、なんと念願の「マツダ」に就職が決まりました!その喜びの声をご本人に伺いましょう!! はるかさん、おはようございます!


▼マツダに就職内定、おめでとうございます! フランスで「ル・マン」の耐久レースを観戦したことで、将来の夢がはっきりされたわけですが、「車のエンジニア」の中でも半澤さんは「マツダ」にこだわったのはなぜですか?

「私がフランスのホームステイに参加させていただいた時、1991年にマツダの「787B」という車が日本車で初めてルマンで優勝した。その車がパレードするということで私たちも見ることができたんですが、その時私は787Bに感動しまして、そういうようにみんなが感動して夢や希望を与えられる車を、マツダさんで今度は自分で作りたいな!という気持ちでマツダに就職を決めました。」

▼面接ではもう1つ、地元福島への想いも語られたそうですね?

「ピットに立つ夢って車のこと全てをわかってないとレースのエンジニアとして活躍できないので、まずは技術を身に着けるということと、広島は過去に被爆してその中でもマツダは世界で活躍している企業なので、私の地元の福島も被爆した地域なので、地元の福島にも工場を作ることで復興の拠点となって自分も地元の工場で活躍できたらなと思います。」
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パーソナリティ 鈴村健一

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