2017年2月6日

2月6日 自主避難者たちのいま1

今朝は、福島第一原発事故によって、生活を大きく変えざるを得なかった人たちの「いま」をお伝えします。


お話を伺ったのは吉田千亜さん。原発事故による放射能汚染と向き合う母親たちの取材を続けるライターです。昨年2月には、『ルポ 母子避難ー消されゆく原発事故被害者』という新書も発表。この中で吉田さんは、いわゆる「自主避難者」と呼ばれる母親たちが置かれている状況を伝えています。

自主避難。つまり、政府から避難指示は出ていないものの、放射線の影響を懸念してそこから避難した人たち。いま、こうした人達の生活が、再び大きな岐路に立たされています。

◆借上住宅の打ち切り
「自主避難」という言葉で広まっていますが、実際には原発事故がなければ避難していなかった方たちなので、けして自主的に好き好んで勝手に避難したわけではない。ただ政府による避難の指示がなかったというだけで「自主」とつけられている。別の呼び方だと「避難指示区域害避難者」と呼んでいますが、政府が非難の指示を出す出さないの基準が年間20ミリシーベルトと平時の20倍の基準を設定したんですね。
これは原発事故後に設定されていて、でも20倍というのを許容できないと思った方たちが、子どもを守りたいという想いで避難されている。自主避難の方というのは定期的な賠償をもらっていない方たちなんですね。よく、避難している人=賠償をもらっている という誤解があるが政府の避難指示がなかった地域には定期的な賠償がないので、例えば母子避難で二重生活にかかるお金は全部自分で負担している。お父さんが被災地に残ったまま
母子だけで避難するケースがあるが、その場合は家のローンを払いながらの生活費が2重になる。さらに新しい生活をする中で現地に残ったお父さんが会いに来るための交通費の負担を6年続けているので、ちょっとずつちょっとずつ経済的に逼迫していく中で、これまで災害救助法に基づいて借り上げ住宅は家賃の支払いが無かった。住宅は提供されていて家賃を払わずに済んでいたから避難が続けられていたという方たちが多い。そういう方たちが、2017年3月に今住んでいる住まいを追われるということになる。今回打ち切りになると家賃が発生する。そうすると経済的に逼迫している中で「とどめ」を刺される感じになる。それに対して福島県は、民間賃貸に入居する場合は収入21万円以下の世帯は住宅家賃の支援をすると言っているが、それも結局、1年後までは●●円、2年後までは●●円、それ以降はあげません、という施策なので、根本的な解決にはなっていない。打ち切りの対象は、去年の10月時点で2万6600人いらっしゃる。そのうち11月アンケートで、4月以降の住まいが決まっていない人数が7割。26600人中の7割は18000人ちょっと。18000人規模の方々が、家を出てその先が決まっていない状態。


改めて説明すると、福島県は一昨年「自主避難者の方への、借り上げ住宅の提供を2017年3月で打ち切る」と決定しています。つまり家賃無しで暮らせていた避難先から、3月で出ていくか、自費でまかなうか、選ばなければいけないことになっている。その数が2万6000人。一方、県は、その際の引越し費用・住宅家賃の補助を打ち出していますが、このなかば強制的な決定に、大きな戸惑いを感じている人は少なくないと言います。明日以降は、その戸惑いの理由についてお伝えします。また、2万6600人の自主避難者というのは、あくまで借り上げ住宅の入居者の数。ご実家への避難者や自費で家賃払っている人は勘定されていません。実際にはもっと多くの方が故郷をやむなく離れて暮らしていることも知っておく必要があります。

★吉田千亜さんの著書『ルポ 母子避難 ー消されゆく原発事故被害者』(岩波新書)

2017年2月2日

2月2日 故郷・浪江で「浪江やきそば」再スタート!

2013年、B1グランプリで優勝し、一躍全国にその名が知れ渡った「浪江やきそば」。その故郷が、今なお原発事故による避難指示が続く、福島県浪江町です。

今年4月、町内の一部地域で避難指示が解除されるのを前に、町では昨年11月から「準備宿泊」が始まり、昨年10月末には仮設商店街の「まち・なみ・マルシェ」もオープンしました。その一角にお店を構えたのが「浪江焼麺大国」。お話は「浪江焼麺大国」の麺防長官、浅見公紀さんです。

◆避難指示解除となる前に
こちらは浪江町の仮設商店街ということで、4月に町内の一部地域が避難指示解除となる前に、町民の利便性をはかろうということでできた施設。飲食店4店舗とクリーニング店、コインランドリー、金物屋さん、雑貨屋さんなど10店舗が入っています。そのうちわれわれは「浪江太麺大国」ということで町おこし団体のアンテナショップとして、浪江やきそばはじめ、全国のB1グランプリの公認商品などを取り扱っています。10月28日にオープン。多くの浪江町民の「準備宿泊」が始まったので、そういった準備宿泊の方、あとは除染関係の作業員の方たちが昼ご飯を食べに来てくれたりしています。町民の方が、ここで懐かしい方と会ったり、コミュニティの場としても活用されています。


浪江町でお店を開店、「浪江やきそば」を提供している浅見さん。ご出身は福島市なんだそうですが、震災当時、浪江町で働いていたことが浪江やきそばとの縁を生みました。

◆福島民報から転身
仕事の関係で震災前から浪江町にいて、3月11日の震災を目の当たりにして、翌日からの原子力災害による避難をして、いまに至っている。当時の会社の事務所が役場の裏にあって、地元の新聞社「福島民報」の支局長だった。住所は浪江町にあるので、町民として浪江町の復興に携わりたいと思い、浪江やきそばをやっています。


より浪江町の復興に携わりたい・・・という思いから、新聞社の支局長を辞め「浪江焼麺大国」に参加された浅見さん。ご当地グルメの「浪江やきそば」は、通常の3倍のもある太い麺とうまみたっぷり濃厚なソース、そして豚肉とモヤシだけのシンプルな具が特徴。若者や働く大人の「チカラメシ」として長年、親しまれてきました。震災前はおよそ20店舗が町内で浪江やきそばを提供していましたが、原発事故の影響で全町民避難となり、この6年浪江町からやきそばの香りが途絶えていました。

◆5年8か月ぶりに地元で食べる焼きそばの味
われわれ浪江太麺大国はもともと町おこし団体として、地域活性を目的として、浪江やきそばをツールとして活動を始めました。活動から2-3年目に入ったときに震災が起きて、活動の継続事態が危ぶまれたときもあったが、町おこしをしよう!と頑張ってきたわたしたちだからこそ、震災後も浪江町から発信をしていこうと活動を継続してきました。
5年8か月ぶりに浪江町で浪江やきそばが食べられるというのは、本当にうれしいこと。町民の方々も浪江やきそばが町内で食べられるということで、来ていただいて食べていただけるのは、われわれも一番の喜び。一歩前進だし、これから新たな町づくりをしていく新たなスタートになると思います。われわれが先頭にたって浪江やきそばを提供して、4月に避難指示が解除されたときに、もともと商売をやられていた方たちに「浪江でもできるんだよ、また戻ってきてできるんだよ」という姿を見せることができれば。やきそばを提供される方が町内に戻ってきたら、それが集大成。そのときは、自分たちはまたほかでアンテナショップをやればいい。


◇仮設商店街「まち・なみ・マルシェ」は、浪江町役場のすぐ目の前にオープンしました。現在はまだ夜間の外出が制限されていることから、営業は日中に限られています。
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パーソナリティ 鈴村健一

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