2017年2月27日
2月27日 映画「新地町の漁師たち」1
今朝は、3月11日に公開が始まる映画、「新地町の漁師たち」についてご紹介します。
東日本大震災による津波で被災、そして福島第一原発の事故によって操業自粛を余儀なくされた福島県新地町の漁師たちの姿を追ったドキュメンタリー「新地町の漁師たち」。操業自粛で生活が一変した漁師たちや「地下水バイパス」をめぐって葛藤する様子を3年半にわたる長期取材で描き出しています。
監督の山田徹さんに、お話しを伺いました。
◆「新地町の漁師たち」は、2011年6月から、2014年11月3日の漁師たちの祭り「安波祭」の日までを撮影したドキュメンタリー映画です。震災後、放射物質の海洋汚染で漁師たちは仕事が、漁業が出来なくなってしまったんですが、その記録をこの映画では追いかけています。主に震災後2年間くらいは海のがれき撤去作業ですとか、魚のモニタリング調査の仕事をしていたんですけど、それも週に仕事がある回数は1〜2回くらい。ほとんど何もやることがない状況で、ただ新地町では2013年の3月くらいに小女子の試験操業が始まって、やっと震災後2年目にして試験操業という形ではあるんですけど漁が出来るようになりました。その漁をする漁師さんの姿を見て、“あ、本当にこの人たちは、漁をすることが生きがいなんだ”と思って、同時に原発から漏れる汚染水問題が公表されるようになって、2013年の9月くらいにシラスの試験操業が始まる予定だったんですけど、その汚染水漏れの報道が東京電力が正式に公表をその時にしたんですけど、ダメになってしまって、でその後すぐに廃炉対策である「地下水バイパス計画」、原子炉建屋に入るまえに地下水を海にバイパスで流すという対策なんですけど、もちろん海に流す前は汚染されてないか検査は入るんですけど、汚染されてないとは言っても風評被害に直結する話ですから漁業者たちの判断が必要になってくる、そこで安全とはわかっていてもなかなか判断の是非が取れなかったんですけど、その記録を、だいたい映画の半分くらい占めて仕上げた作品になっています。
この「地下水バイパス計画」、福島県内の各漁協を交えて話し合いが行われ、苦渋の決断で合意。2014年の5月から排水が始まりました。
◆撮っていて感じた漁師の本能
漁師さんは震災後、漁が出来なくなってしまって、ただ陸の人と比べると賠償金が東京電力から出るので、陸の人よりは悪い言葉で言うと悠々としてはいたんですね。で当然、陸の人もそれは思っていて、浜と陸の分断というのは肌身で感じてはいました。ただそうは言っても漁師さんは漁をすることが仕事でしたから、その生業を出来なくなったというのはとても大きな問題だったんですね。そういう漁師さんたちの葛藤を目にしていたんですけど、試験操業が始まって、漁師さんがやっと仕事が出来る姿を見て、漁師さんは漁をすることが生きがいで、同時に仲間と一緒にやるという事が大事なんだと。で地下水バイパス計画での漁師さんたちの“海を守りたい”という発言を聞いて、その姿っていうのは本当にとても感情的な気持ちの吐露なんですよ。メディアで報道されるのは地下水バイパスの合意形成が取れて地下水を流してもいいという事になったという事実関係だけなんですよね。でもその中で計画の説明会ではいろんな葛藤があって、漁師さんたちの“海を守りたい”っていう気持ちがあってこその合意形成だったというのを多くの人に知って頂きたいと思いました。
ドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」公式サイト
3月11日、東京の「ポレポレ東中野」で公開です。
3月3日には、「ポレポレ坐」を会場に、詩人の和合亮一さん、映画の音楽を担当した「3日満月」などが参加する劇場公開記念コンサートも行われます。
『LOVE&HOPE』、明日も山田徹さんのインタビュー、お届けします。
東日本大震災による津波で被災、そして福島第一原発の事故によって操業自粛を余儀なくされた福島県新地町の漁師たちの姿を追ったドキュメンタリー「新地町の漁師たち」。操業自粛で生活が一変した漁師たちや「地下水バイパス」をめぐって葛藤する様子を3年半にわたる長期取材で描き出しています。
監督の山田徹さんに、お話しを伺いました。
◆「新地町の漁師たち」は、2011年6月から、2014年11月3日の漁師たちの祭り「安波祭」の日までを撮影したドキュメンタリー映画です。震災後、放射物質の海洋汚染で漁師たちは仕事が、漁業が出来なくなってしまったんですが、その記録をこの映画では追いかけています。主に震災後2年間くらいは海のがれき撤去作業ですとか、魚のモニタリング調査の仕事をしていたんですけど、それも週に仕事がある回数は1〜2回くらい。ほとんど何もやることがない状況で、ただ新地町では2013年の3月くらいに小女子の試験操業が始まって、やっと震災後2年目にして試験操業という形ではあるんですけど漁が出来るようになりました。その漁をする漁師さんの姿を見て、“あ、本当にこの人たちは、漁をすることが生きがいなんだ”と思って、同時に原発から漏れる汚染水問題が公表されるようになって、2013年の9月くらいにシラスの試験操業が始まる予定だったんですけど、その汚染水漏れの報道が東京電力が正式に公表をその時にしたんですけど、ダメになってしまって、でその後すぐに廃炉対策である「地下水バイパス計画」、原子炉建屋に入るまえに地下水を海にバイパスで流すという対策なんですけど、もちろん海に流す前は汚染されてないか検査は入るんですけど、汚染されてないとは言っても風評被害に直結する話ですから漁業者たちの判断が必要になってくる、そこで安全とはわかっていてもなかなか判断の是非が取れなかったんですけど、その記録を、だいたい映画の半分くらい占めて仕上げた作品になっています。
この「地下水バイパス計画」、福島県内の各漁協を交えて話し合いが行われ、苦渋の決断で合意。2014年の5月から排水が始まりました。
◆撮っていて感じた漁師の本能
漁師さんは震災後、漁が出来なくなってしまって、ただ陸の人と比べると賠償金が東京電力から出るので、陸の人よりは悪い言葉で言うと悠々としてはいたんですね。で当然、陸の人もそれは思っていて、浜と陸の分断というのは肌身で感じてはいました。ただそうは言っても漁師さんは漁をすることが仕事でしたから、その生業を出来なくなったというのはとても大きな問題だったんですね。そういう漁師さんたちの葛藤を目にしていたんですけど、試験操業が始まって、漁師さんがやっと仕事が出来る姿を見て、漁師さんは漁をすることが生きがいで、同時に仲間と一緒にやるという事が大事なんだと。で地下水バイパス計画での漁師さんたちの“海を守りたい”という発言を聞いて、その姿っていうのは本当にとても感情的な気持ちの吐露なんですよ。メディアで報道されるのは地下水バイパスの合意形成が取れて地下水を流してもいいという事になったという事実関係だけなんですよね。でもその中で計画の説明会ではいろんな葛藤があって、漁師さんたちの“海を守りたい”っていう気持ちがあってこその合意形成だったというのを多くの人に知って頂きたいと思いました。
ドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」公式サイト
3月11日、東京の「ポレポレ東中野」で公開です。
3月3日には、「ポレポレ坐」を会場に、詩人の和合亮一さん、映画の音楽を担当した「3日満月」などが参加する劇場公開記念コンサートも行われます。
『LOVE&HOPE』、明日も山田徹さんのインタビュー、お届けします。