2017年3月9日

3月9日 南三陸町 佐藤仁町長(4)

今朝も昨日に引き続き、宮城県南三陸町、佐藤仁町長のインタビューをお届けします。

自らも防災庁舎で津波に遭い、奇跡的に助かったあの日から間もなく6年。町の復興をけん引し続けてきた佐藤町長に、その防災庁舎の目の前に立つ、新しい「さんさん商店街」でお話を伺いました。

南三陸町の町の「核」となる「さんさん商店街」が開業しましたが、じつはまだ周辺は造成が続いていて、建物もほとんど無い状態です。現状とこれからの街づくりとは・・・聞き手は、速水健郎さんです。


◆鮭がのぼってくる母なる川のある風景を取り戻したい
佐藤:まだまだご覧のとおり、護岸工事なんかぜんぜん進んでないところありますからね。
速水:川はもともと鮭が上ってくるんですよね?
佐藤:珍しいんですよ、町の中に鮭が上ってくる川って無いですからね。北海道とか岩手だと山の人の住んでないところの川に上ってくる、ここは商店街の前ですから、これも観光資源の一つ。以前は役場の前に川があって、役場で見てるとダーッと鮭が上ってくる、そういうところだったんで、またそういうところを復活しなきゃならないし、確かに今は変わった町になりました、昔の面影とまったく違うじゃないですか。でも自然というのは変わってない。そこは我々がむかし遊んだ川に戻したいという気持ちはあります。
速水:隈研吾さんもここに、この川に架ける橋、面白いことが出来るんじゃないか?っていうふうに言ってました。
佐藤:もう設計というかデザインは出来ていますので、それがあれです。中橋の橋脚。記念公園と商店街を結ぶ橋が隈さんの橋「隈橋」。両側、端を歩くと橋の上を歩く。真ん中いくと橋の下を歩くという。アーチになっていて、下は逆アーチになっている(川に近づくんですね?)それが隈さんの言う「親水性」、水に近いところにという。もともとここで灯篭流しとかやってましたので、極力水に近いところでというので、そういう橋にしたと。そして階段もあるんです。階段で水辺に降りられるようにしてるんです。でここでもう一回、いつの日か、灯篭流しをしたいよねと。
速水:もともと町の生活に川が馴染んでいた?
佐藤:川も海もきれいにするかどうかは町民の意識。そういう意味で山の奥の方に木を植えたりだとかいろんな様々なことをして、そしてこの川はさっき言ったように、鮭が帰ってくる母なる川。でここみんな鮭が帰ってくるのを見ながら、今年も鮭が帰ってきたね〜とか言いながら見てる川なんで、皆できれいにしましょうという気持ちはみんな持っていたので。これがまた工事が終わって、
また下に降りていけるようになれば、むかし水辺で親しんだというあの思いが帰ってくるよねっていう。
速水:護岸工事はいつ完成する予定なんですか?
佐藤:これがなかなか進まないんだ(笑)。ほんとは予定ではもうとっくに終わってるはずなんだけど、国道・県道・町道って、いろんなとこが絡み合っている工事なので、一か所遅れると全部遅れちゃう。そういうジレンマを抱えながらの6年間だね。


復興工事の状況はそれぞれの町によってさまざまですが、まだまだ続いているところが多いのが現状です。足を運んで観光をすることが支援につながるのは今も同じ。ぜひ東北に足を運んでいただきたい。

2017年3月9日

3月8日 南三陸町 佐藤仁町長(3)


今朝も昨日に引き続き、宮城県南三陸町、佐藤仁町長のインタビューです。

先日3月3日、宮城県南三陸町には町の新しいにぎわいの拠点「南三陸さんさん商店街」が開業しました。その「さんさん商店街」の目の前。ゆがんだ骨組みのままそこに遺されているのが、震災遺構として遺すかどうかの判断を先送りにした防災対策庁舎です。

自らも防災庁舎で津波に遭い、奇跡的に助かった「あの日」から、間もなく6年。町の復興をけん引し続けてきた佐藤町長に伺いました。聞き手は、速水健郎さんです。

◆6年かかったけど、安心安全な町を手に入れた
佐藤:防災庁舎の話しが出来るようになったのは県有化が決まってから。それまでは解体か保存か遺族の方々の意見が真っ二つに分かれてましたから。防災庁舎っていう言葉そのもの言えなかったですからね、ずっと。ただ明確に県が20年間県有化しますということを決定して、それを受けて町でパブリックコメントをして、で町民の皆さんから意見をもらって、6割超の方がこれは県有化すべき、保存すべきという結論が出ましたけど、いずれこれは20年後、いまから14年後になりますけど、その時に町としてこれをどうするか結論は出さなきゃならない。ただ私はこれ、震災が終わって、記者会見、毎日やってましたけど、その時から記者の皆さんに、防災庁舎どうするんですか?って聞かれて、その時に言ったのは、個人の意見と断って、“たぶん震災は風化する。みんな忘れてしまう。いつの日か震災を経験してない子たちが大人になって、震災ってあったよねって、そういう時代が来た時に、なにか、想定外の津波っていうのは本当にあるんだっていうのを見せないと、たぶん風化がどんどん進んでいくと。この東日本大震災で南三陸町は800名を超える人が犠牲・行方不明になって、その方々の教訓っていうのを、あれだけの大災害を受けた教訓を、どこに残ったんですかっていうのを伝える役割って我々にあるよね”という事はずっと言っていました。ただ残念ながらいろいろなものがありますから、そこは紆余曲折がありました。
ただウチでいちばん最初に街づくりしようって決めた時に、もう120年で4回、津波、大きなのにやられててその度に犠牲出てる。財産も失ってる。そうすると何するって言ったら、もう二度と津波で命を失わない町をつくると、いう事に決めた。それがうちの町の復興計画の基本中の基本、高台移転です。ですからここに「さんさん商店街」出来ましたけど、基本的には、生業はさまざま。どこでもいい、生業は。しかし住むところは「寝ていても安心なところ」と。いうのがうちの町の計画でしたので、それが6年かかりましたけど、今月ですべて終了と。宅地造成で約830戸、災害公営住宅で730戸が完成して、皆さんに次の住処にやっとお入り頂けるという事になりました。で、ちょっと余計なこと言うんだけど、昨年の11月22日に福島県沖に地震があって、津波警報が出たんです。その時に一応、避難指示は出した。避難指示出しましたけど、自分の腹の中では、あ、自分の家に居ればもう安心と。自分の家に居れば東日本大震災クラスの津波来ても助かる。命失うことは無い。だからその時にあらためて、安全安心な町を手に入れることが出来たという事を痛感しました。ただ油断してはだめですよ、油断してはダメですけど、安全安心は手に入れたなという思いはありました。そこは自負心だな、ここまでやってきたという。



住宅環境が整っても、町の復興はまだ道半ば。明日も南三陸町、佐藤町長のお話しをお届けします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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