2017年3月22日

3月22日 南三陸町・戸倉 佐藤貴大くんの旅立ち

今朝は昨日に続いて、東北の若者から届いたメッセージです。

ご紹介するのは、この春、故郷を離れて仙台の大学に進学する宮城県南三陸町・戸倉地区の佐藤貴大くん。戸倉地区は南三陸町の中でも被害の大きかった、小さな港町です。震災当時貴大くんは、戸倉小学校の6年生でした。

◆長くあけない夜
あの時は校庭から高台に避難して待機している時に津波が来て、堤防を越えてきたときの真っ黒い濁流とその勢いは今でも忘れられない。あの時が人生でいちばん一日が長く感じて、ぜんぜん夜が明けなくて、皆で「まだこんな時間なのか」と話しながら過ごしたんですけど、雪が降っていて、自分たちは外で一つのたき火を6年生皆で囲むっていう形だったんですけど、皆怖かったので、円になって気を紛らわすようなくだらない話をしたり、なかなか進まない時間をどうにか過ごしていた感じでした。


貴大くんとその家族は、避難所生活、隣町での「みなし仮設住宅」での生活が5年以上続きました。多感な中学・高校時代を、不自由な中過ごした貴大くんにとって、この月日はどのようなものだったのでしょうか。

◆反抗期を経て高校生へ
自分たちこどもを助けてくれたのは周りの大人たちだったんですけど、避難所生活が続くとみんな心にも余裕がなくなってきて、大人のつらそうな顔が一瞬でも見えたりして、自分たちでできることは自分でやって、周りを助けられるようになることが今は大切なのかなと思って過ごしていました。(まだ甘えたい時期だったのでは?)思春期で親とかに迷惑をかけたことはたくさんあって、中学生の時に反抗期であまり一緒に居たくなくて、布団から出なかったり、ご飯を一緒に食べなかったりしたんですけど、そこから高校生になって、考え方も少しずつ大人になってきて、あまり迷惑をかけないようにしよう、という訳ではないんですけど、もう少し周りのことを考えて、周りの人のために動けるように生活しようと高校生の時に思いました。


この春、貴大くんは大学へ進学します。でもじつは彼がまだ中学3年の時に話を聞いているのですが、その時はお父さんの跡を継いで銀鮭の漁師になりたい、と話してくれました。あれから3年、どんな心境の変化があったのでしょうか。

◆英語を学んで東北の魅力を世界に発信したい
その時、自分の同じ仕事に就きたいと思っていたんですけど、海での仕事なので、使っていたものとかほとんど無くなって、海も大変な状態だったんですけど、それでも何とか、自分たち家族のため、やらなきゃいけないと感じて、やってたのが分かるので、その時はそう思ってました。(でも貴大くんは大学進学を選んだ)これから英語の勉強をしていく予定なんですけど、きっかけは中1からOECD東北スクールの活動に参加して、高1でフランスのパリに行って、1週間くらい東北の魅力を世界に発信しようというイベントに参加したんですけど、その時に自分たちのところに来てくれた人たちに魅力を伝えようと思ったら英語は絶対に必要なものだったし、震災のことをこれから伝えていくためには、英語を話すとか海外の文化を理解することは必ず必要だと思ったので、英語の勉強をしたいなと思いました。


いつかはお父さんの跡を継ぎたいと思いながらも、仙台の大学に進んで語学を学び、自身が体験した震災のこと、そして南三陸町の魅力を世界に発信できる人間になりたいという貴大くん。一人の少年が震災を通じて大きく成長したのを感じました。

明日は、同じ戸倉からこの春旅立つ、須藤美帆さんのメッセージをお伝えします。

2017年3月21日

3月21日 釜石出身、小笠原舞さんのあの日

今日からの3日間は、東北の若者から届いたメッセージです。

◆「津波てんでんこ」
岩手県釜石市出身、群馬大学2年の小笠原舞です。
津波てんでんこを始めて聞いたのは、小学校高学年のとき片田先生の津波に関する講演のときだったと思う。最初は肉親にもかまわず一人で逃げろと聞いて、実際に津波がきたら家族とかおいていけないから絶対に無理だと思っていたが、小学校中学校と防災について活動する中で、自分が率先して逃げることで周りの人の命も救えると思てって、津波てんでんこはいい言葉だと思った。


岩手県釜石市は、防災教育のスペシャリスト、片田敏孝さんが東日本大震災の前から「津波てんでんこ」を熱心に広めた街です。これにより、釜石で多くの命が救われたことはよく知られています。
小笠原舞さんもそんな片田先生の教えを受けた生徒の一人です。

2011年3月11日。舞さんは、あの日の出来事をこう振り返ります。

◆津波てんでんこを実践したあの日
わたしはそのとき中学2年生で地震のときは学校の渡り廊下の天井が落ちたり、グラウンドの地面が割れて水が吹き出してきました。絶対津波がくるから危ないと思って、先生の指示もありましたがそれよりも生徒たちが率先して第一避難場所まで一目散に避難しました。地域の方は中学生が避難しているのを道路で見ていたりして、地域の方にも「津波が来るから逃げろ」と避難を促しました。第一避難場所についたら近くの山が崩れているのを見つけて、さらに急な坂を上って第二避難場所に避難しました。第二避難場所についたら「ごー」というものすごい大きな音が鳴り響いたので振り返ると津波が見え「これは死ぬな」と思って、自分の意志でさらに高いところに逃げなきゃと、なにも考えず逃げることに集中して必死に逃げました。絶対逃げてないと思ったから家族の安否も心配で。
片田先生の3つの教えが「率先避難者たれ」「想定にとらわれるな」「その状況下において最善を尽くせ」。釜石東中学校(海抜3メートル)はもともと浸水区域外だったのですが、想定に取らわれず逃げることで生き延びることができました。


震災を経て「自分にできることはなにか」と考えた舞さんは、高校卒業後、片田先生が教える「群馬大学理工学部」に進学しました。

◆防災教育を学んで、将来は岩手県の防災活動に取り組みたい
地震があって防災教育の大切さを身に染みて感じた。自分がなにをしたいかと思ったときに、防災教育を岩手県に広めたいと思った。それで防災教育が学べる群馬大学に進学した。片田先生の研究室に所属してどうしたらみんなの意識が高められるか、多くの命を救うにはどうしたらいいかを学びたい。卒業後は岩手県庁に入って岩手県全体の防災活動に取り組みたいです。


舞さんは来月から群馬大学の3年生に。さらに専門的な知識を身に付けて、将来故郷のために力を尽くしたいと話してくれました。
LOVE&HOPE、明日は宮城県南三陸の若者から届いたメッセージです。 

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パーソナリティ 鈴村健一

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