2017年3月30日

3月30日 福島県楢葉町「ならはみらい」西芽衣さん2

今日も、福島県楢葉町で活動する西芽衣さんのインタビューです。

楢葉町は原発事故の影響で震災後避難指示が出されましたが、2015年9月に解除。いまは震災前の1割ほどの町民が町に戻って生活しています。
西さんは被災地支援ボランティアをきっかけに楢葉町で活動するようになり、2015年4月から1年間は、大学を休学して復興町づくり団体「ならはみらい」の臨時職員としても働きました。その後も月に数回、楢葉に足を運んで町民との交流を続けています。そんな西さんの目に映る、楢葉町の現状と課題とは。

◆助けあいの中で暮らしてきた生活が戻らない
目に見える部分、お店や銀行や病院など、当たり前に暮らしにあるはずのものが町に戻ってきたというのが一つ、進んでいると感じるところ。あとは自分の関わりのある楢葉の方が「震災から初めて自分の自宅に泊まるんだよね」とお話されたりすると、あの人が帰ってくるんだなあと、一歩一歩状況が変わりつつあるのを感じる。やっぱり不便さというものを感じている町民の方もいるし、それを理由になかなか帰れないと感じている町民もいる。そこの部分をどうするか。わたしが話を聞いている限りでは、もともと商店がそんなにたくさんあったわけではないが、やはり息子さん家族が避難先や別の町村に住むことになって、お年寄り夫婦だけで帰ってきたり、隣の方や親せきが帰ってこないと、いままでお使いをお願いしていたり、病院に送ってもらったり、助け合いの中で暮らしていた生活スタイルが戻らないので、そういう部分で不便になっているというのがある。なので、新しいコミュニティを構築する必要があると感じる。なかなか戻ると決められないという方の意見の中で、「除染の廃棄物のフレコンバッグを見るだけでも不安がある」という話ももちろんある。


除染による廃棄物を覆う黒い袋「フレコンバッグ」が、視覚的に住民に不安を与えている、という指摘。この「除染廃棄物の処理や廃棄」は、他人事ではなく、わたしたちが自分のこととして取り組んでいかなければいけない問題でもあります。

そして西さんはこの春、立命館大学を卒業しました。彼女が選んだ「進路」とは?

◆楢葉で暮らして「自分が住みたい町にする」
4月からは休学して臨時職員として働いていた「ならはみらい」の正規職員になります。楢葉に住んで楢葉で働く。一人の町民として生きていくということになる。休学を終えたときは、東京の実家に戻ってこいと言われていたのでそこで就職活動をして内定ももらっていましたが、「このまま東京に就職していいのだろうか」と思って。いずれは楢葉に住めるようにこの就職は修業だと思っていたのですが、その時間こそが大事なんじゃないかと思い直して。現地で暮らして、力はないけれど町民の方たちと一緒にもがこうと決断しました。両親には申し訳ないなと思っていますが、「自分が住みたい町にする」ことが目標であり償いだと思っています。これからの夢。期限がないので一歩一歩だと思っています。楢葉の良さってどこですか?と町民に聞くと、普通は「観光地」というと思うが、楢葉の人は「人と自然」と答える。自分の故郷のよさを「人」と認識できるって素晴らしいなと。大事な人たちと離れたからこそ、楢葉の人とののつながりを大事だと気付いたのかなと。震災前と同じではないかもしれませんが、新しいコミュニティを作っていくこと。町民同士だけでなく、町外から震災をきっかけに関わる人とのつながりを作っていきたいです。


楢葉町では、この4月から幼稚園、小学校、中学校が再開する予定です。またJR常磐線「竜田―富岡」間も今年中に運転再開する見通し。ただ一方で、町へ戻る若い世代は一割に満たず、町の復興、住民の心の面で難しさがいまだ多いのも現実です。

そんな中、この週末から飯舘村、浪江町、富岡町、川俣町の山木屋地区が楢葉町に次いで順次、避難指示解除となります。

2017年3月30日

3月29日 福島県楢葉町「ならはみらい」西芽衣さん1

今日は、福島県楢葉町で活動する西芽衣さんのインタビューです。

西さんは京都にある立命館大学をこの春卒業したばかり。実家は東京で、福島とは縁もゆかりもありませんでしたが大学の被災地支援のボランティア活動をきっかけに、楢葉町で活動するようになりました。2015年4月から1年間は大学を休学して楢葉町の復興と町づくりを支援する「ならはみらい」の臨時職員を経験。その後も、月に数回楢葉町に通って町民の方たちとの交流を続けています。

◆大学を休学して楢葉町へ
いちばん初めに休学して現地に行くという選択肢をもらえたのが、一年間休学していわき市のNPOで働いていた先輩がいて、「あ、休学して学んだり経験したりすることもできるなだな」と。楢葉町のことをもっと知りたいし京都からの支援では限界があると感じていて、一年間休学しようと決めました。それを後押ししてくれた機会がいくちかある。一つは楢葉での活動で知り合って文通をしていたおばあちゃん。町のことが大好きだが、町には戻らずに息子さんとご家族といわき市に家を建てて住むことを決めたと聞いた。楢葉は比較的放射性物質の線量も低く、避難指示の解除もいずれされるだろうとされていたので、おばあちゃんもいつから楢葉に戻るんだろうと思っていたが、あんなに町のことが大好きでいっぱい町のことを話してくれたおばあちゃんが別の町で暮らすことを決めたと聞いたときに、複雑さがたくさんあるなと思って、やっぱり京都からでは理解できていない部分がたくさんあるな、より現地で学びたいと感じました。あとは現地でお世話になっている役場の職員の方や他の方たちに、仲間として来てくれないかと言ってくださる方がいて、少し安心していくことができたかなと思います。


楢葉町は、2015年9月に避難指示が解除され、帰町して町で暮らすことが可能になりました。
けれども、避難解除から1年半経過した現時点でも戻った方は震災前のおよそ1割程度。「ならはみらい」の活動を通して見えてきたのは、町民一人ひとりが抱える「悩みや不安」でした。

◆戻る、戻らない、その選択の難しさ
避難指示が解除になって初めて「戻る」という選択ができるようになったときに、やはり「戻る」という選択ができるようになったからこその「立場の違い」が生まれたということが、わたしの中で想定ができていなくて。「あの人は町には戻らない」と耳にしてその方々が別の場所に住むという選択をなかなか人に言えなかったり、そういう話を聞いたときに、選択することの難しさとか、避難指示が解除されることによって複雑になっていくのを感じた。
2015年9月からは「ならは未来」の事務所も楢葉町に戻ったので、町に戻られた方とお会いする機会のほうが多くなっていったが、戻られた方たちは震災前のように集まって趣味の会をしたり、野菜を作ったりと生き生きと暮らす姿を見る一方で、「戻ってきてよかったのか」という不安を聴くこともあって。戻った方もいろんな思いをしながら暮らしているのを感じました。


今日は福島県楢葉町で復興支援と町づくりに携わる、西芽衣さんの声をお届けしました。

西さん、大学を休学して「ならはみらい」の臨時職員になる時は両親の反対もあったそう。それを懸命に説得し最後は納得してもらったとか。そして1年間「ならはみらい」で活動した後、大学に戻り就職活動をして、一旦は一般企業への就職が決まっていたのですが、その内定を辞退。この4月から「ならはみらい」の正規職員としての採用が決まり、楢葉町に移り住んで、本格的に町づくりに関わることになりました。

西さんが考える楢葉町の課題、そしてこれからの夢、明日の『LOVE&HOPE』でお伝えします。

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パーソナリティ 鈴村健一

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