2017年7月24日

7月24日 長谷川健一さんが伝える飯舘村のいま1

今朝は、この春、福島第一原発事故の影響による避難指示が解除になった福島県飯舘村の「いま」をお伝えします。

作家・渡辺一枝さんが企画する「福島の声を聞こう!」というトークイベントは、この番組でも何度か取り上げてきました。福島の人々を東京に招き現状を語ってもらう会で、2012年から20回以上開かれています。

5月の会で登壇したのは、飯舘村・前田地区の区長、長谷川健一さん。現在も伊達市の仮設住宅で暮らしながら、飯舘村の現状を伝え続けています。

◆飯舘村を覆う黒い袋
これはですね、ぜんぶ黒いフレコンバック。5段重ねに重なっています。それを大きなシートで覆っているわけですね。
これがこの地区だけじゃなくて飯舘村全部がそういう状況になっています。これが今の飯舘村の現場ですね。


これは、「福島の声を聞こう!」の中で、汚染物質を詰めた袋「フレコンバック」を説明する場面。飯舘村には、これが実に235万個、置かれているといいます。そして長谷川さんはこの6年間、飯舘村の様子を写真などで記録し続けています。

長谷川さんは3年前、除染が行われている最中にも このトークイベントに登壇。国の除染の方法に「疑問」を投げかけていました。
そして3年後の今年。帰還困難区域を除いて国直轄の除染作業は終了したのですが、村の環境は改善したのでしょうか。長谷川さんに伺いました。

◆だんだん現実に
私が話をしていたことについてはあまり変わりはない。ただそれが3年前と比べてどうなったのかと言うと、それがある程度現実化してきたなと言う。“こうならなければいいな”“これじゃダメなのかな”という思いが現実になってきたなぁという。6年除染をやっても線量が下がらない、山は除染をやらないとなった場合に、故郷をあきらめると言う人がすごく増えてきたな。俺なんかも、避難が解除されたら結構な人が戻るんだろうと言う思いはあった。ところがその思いに反して戻らない。意外と。家族とみんな一緒に暮らしたいしな。村に戻るという事は家族がバラバラになると言うことだから。それを避けて村には戻らないという選択は、かなりの人がしている。私はそういうことに反して戻りたいとは思っている。という事は子供たちや孫たちとは暮らせない。チェルノブイリのサマショールの人たちの話を聞いても、子供たちや孫たちには自分から会いに行かないとダメなわけだ。子供たちがこっちに来る事は無いわけだから。それと同じように飯舘村だってそういう状況が、だんだん現実になってきているんだなという思いがしました。


国の大規模除染は終わって、道路や住居などの放射線量は、“問題ないレベルまで下がった”ということになっていますが、でも長谷川さんの見解は、それとはまったく違います。長谷川さんは飯舘村前田地区の民家一軒一軒の線量を測り続けていて、「公表されている数値の倍の値(あたい)が出ている…」と主張。こういう状況が続く中、長谷川さんは一昨年、「飯舘の将来を考える上で見ておきたい」と、ある場所を視察しました。それが、お話しの中にも出てきました、1986年に爆発事故を起こしたチェルノブイリ原発のあるウクライナです。

◆チェルノブイリの現実を見て
私も本などを読みあさって、ウクライナの現実や病気になったという数字的な部分も出ているわけだから。日本はそれを発表もしないし隠すわけでしょ。この目で当事者として見て来ないとダメだなと。それも行政とかそういう部分で行ったのではダメだなと。いいところしか見せないから。だから好きなところを歩ける状況にしたいなと思って行った。現実として子供たちや若い人がいない所に未来はないという思いがした。チェルノブイリのサマショールと呼ばれる人たちを見ると、向こうは現実に起きていて、こうならなければいいなと思いながらも、半分頭の中では、これは、こうなっていくぞと言う思いはあったな。飯舘村全部がそうはならない思うが、山あいの地区は間違いなくなっていくと思う。


飯舘村は原発事故のあと、一次避難した住民が、「安全だ」という情報に惑わされて村に戻り、避難指示も遅れました。結果、無用な被ばくを受けた村として大きな問題になったという事実があります。この出来事以来、長谷川さんは国や行政へ不信感を持っています。
そして飯舘村をはじめ、この春に多くの町村の避難指示が解除になりましたが、そのほとんどの地域で避難先からの帰還は進んでいません。

今週一週間、福島の「いま」をお伝えしていきます。明日は、福島県飯舘村長谷川さんのお話しの続き、そして水曜日からは、相馬市の医師、越智小枝(おちさえ)さんのお話です。

今週、あなたが聴いて感じたことを、「LOVE & HOPE」」ブログのメッセージフォームから送ってください。抽選で5名様に3000円分の図書カードをプレゼントします。

2017年7月21日

7月21日 Reborn Art Festival 2017 小林武史さん(2)

昨日に引き続き、音楽プロデューサー、小林武史さんのインタビューをお送りします。

いよいよ明日からスタートする『Reborn-Art Festival 2017』。
宮城県石巻市の中心市街地と牡鹿半島を舞台に、国内外のアーティストによる“アート”作品や、様々なスタイルの“音楽”イベント、さらに地元食材をつかった“食事”が楽しめる、“51日間”にわたるお祭りです。

リボーンアートフェスティバルでは牡鹿半島のちょうど真ん中あたり、荻浜に 拠点となる「リボーンアート ダイニング」が誕生。小林さんいわく「不便なレストラン」ということなんですが、どういうことなんでしょうか?

◆「海から見てほしいんだよ」
メインのレストランが、今回のリボーンアートのメインビジュアルとしてよく使われている名和晃平さんのアート作品、6メートルの白い鹿があって、その鹿の脇にレストランと食堂の2つを作った。でもその場所にたどり着くには、循環バスで降りた所からさらに10分ぐらい歩くんですよ。歩きながら漁師さんの営みを横目で見ていく感じなんです。漁師さんの日常を。ぼくらその漁師さんたちと本当に仲が良くて、遊漁船と言ってお客さんを乗せてもいい船なんです。それで向こうから会期が近づいてきたら言ってくれたんですけど、名和晃平さんの鹿を見て、それこそ「Reborn Art」に近い、海の中の命と向き合っている人たちだから、「外からお客さんを乗せて、外から見る景色がすごくいい。だから船に乗せたいんだよ」ってわざわざ言いに来てくれて。だからそこに行くと、毎日毎日たぶん乘りたい人を乗せてくれると思う。その名和さんの6メートルの鹿のオブジェを見せたいという感覚がすごいなって。きっと、海から見えてくる牡鹿半島の鹿だし、陸地で生きている命の先端で白い鹿のオブジェが「未来」を見ている、ってことなんじゃないかなーと想像したんだけど。そこに今回のメインの「リボーンアートダイニング」というレストランと、その名和さんの鹿が遠くからでもドーンと見えるわけです。もっともフォトジェニックなエリア。歩いていく中でも自分の身体が、呼吸が、いろんなものと向き合ったりしながら、貴重な食体験みたいなものを各シェフは提供したいと思ってくれているんですよね。
高橋)そこまで歩いていく道のりとお食事まで全部含めた体験みたいな感じですね。
小林)あと喪に服すという気持ちは、海をずっと見ているとあるんですよね。命のつながりだらけを感じるだらけだから。そういう意味ではたかだかあの大きな震災から6年、全然終わっているということではないですね。まだまだ目に見えない周波数みたいなものが複雑に絡んでいるんだって感じがすごいしています。それも含めて僕らがリボーンアートフェスをやることで、何かちょっとでも見えてくるといいなって思いはあるんですけどね。
高橋)東北から帰ってくると、何か自分の中で考えるというか、考える時間が増えるというのはすごくある。リボーンアートではじめて東北にいく方もいらっしゃると思うし、地元の方と話したり食を通じたりしてそういうスイッチを押すきっかけになりそうだなと、今すごく感じました。
小林)ぜひいらしてください!


「Reborn Art Festival2017」は、7月22日〜9月10日まで。アート、音楽、食をテーマに51日間開催されます。

オフィシャルサイト
«前の記事へ || 1 | 2 | 3 |...| 341 | 342 | 343 |...| 1066 | 1067 | 1068 || 次の記事へ»

パーソナリティ 鈴村健一

メッセージ、ご意見、プレゼントご応募はこちら

特別番組 LOVE & HOPE ~10年目の春だより

TOKYO FM 特別番組 HANABI

「LOVE&HOPE~防災ハンドブック2015」PDF版ダウンロード配信中

アーカイブ

  • いのちの森
  • Support Our Kid's
  • TOKYO FM
  • JFN