2017年9月6日

9月6日 九州北部豪雨 朝倉市 原鶴温泉1


7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市。2カ月が過ぎた今も多くの住民が避難生活を余儀なくされ、被害が大きかった地域では懸命の復旧作業が続いています。

筑後川に面した朝倉市の観光拠点、原鶴温泉では、豪雨災害のあと避難所にいる人たちに温泉を開放。癒しの場、コミュニティの場として、親しまれてきました。ただし、ほとんどのホテル、旅館に大きな被害が無かったにもかかわらず、夏の観光シーズンは旅行客が激減。客足は遠のいたままとなっています。

原鶴温泉旅館協同組合事務局長、庄崎茂さんにお話しを伺いました。まずはあの2か月前の豪雨の日について。

◆当日は調整池が溢れて地下施設に被害も
夜なので全然情報はないんですね。原鶴は防災無線も入っていたのである程度聞けたのと、うちはいま地区のラジオが入ってるんですけれども、結局電柱が立ってるんですけれどもそれが流されたり、線が切れたりしたのでかなり聞こえなかったというのは聞いています。今回は筑後川の支流で大きな被害が出てるんですね、水が流れ込んで濁流になって土石流になってるんですけれども、じつは私どももその様子は全然わからないんですよ、翌日になるまで。で、だんだん被害の状況が分かるようになってくるにつれて愕然としたというか、なんでこんなおとなしい川に流れ込んできて、なんでこういう状況になってるっていうのが、僕たちも呆然としたというか、いまだになかなか理解できなかったりするんです。当日は毎月の会議をしてまして、4時くらいから急に雨が降り出して、あとは雷が5時間ぐらい続いたかなと。時間の雨量としては100ミリ超えていたかもしれませんね。だいたい5年前の九州北部豪雨の時で1時間に80ミリっていうのがあって、今回それを見越して作った調整池もあっという間に溢れかえっていたので、それぐらい降ったんだなっていう感じはしました。それでも私たちがいちばん心配なのは、筑後川の川が溢れるということで、何回か見に行きましたけれども7mぐらい水位が上がったっていう感じで聞いています。レベル4。レベル5は川が氾濫しちゃうんですけれども、赤マークの所の7割ぐらいまでは水があがってましたね。いちばん下流にあります泰泉閣という宿が地下形式になってまして、調理場と宴会場とかが調整池の水が流れ込んで畳ごと浮いちゃったかたち。それと先ほど落雷と言いましたが、山の中腹にビューホテル平成というホテルがありまして、こちらは落雷で通信機器、電気関係、それと電動ポンプが止まって休業を余儀なくされてましたね。人的被害がなかったのでそこだけは幸いだったなと思います。夕方でしたのでお泊りのお客様は入られてたのでもう泊まっていただいた方が安全なので、翌日のお客様とか来る途中のお客様に関しては、問い合わせが入ったらもうお帰り下さいと。それと交通網が寸断されてたので、高速道路の朝倉インターと杷木インターがあるんですけれども、原鶴に来るまでの道が両方とも流木とかで止まっちゃったんですね。それと高速道路も止まりました。南側からは原鶴大橋という橋がかかってますのでぜんぜん問題なく来れたんですけれども、そういうこともあって翌日から何日間かは、お客様の安全を考えて、またお越し下さいという事でそういう動きをした宿もたくさんありました。


被害の大きかった山あいではなく、市街地にある原鶴温泉。それでも情報の途絶は起こっていたようです。そして5年前の九州北部豪雨を教訓に作ったはずの調整池があっという間にあふれてしまったということで、いかに想定を超える豪雨だったのかが分かります。毎年のように聞く「想定外」という言葉。もはや「想定」はあてにできないと改めて感じさせられました。

原鶴温泉は被災したホテル、旅館も少なく、いち早く営業を再開しましたがキャンセルが相次ぎ、大きな打撃を受けたといいます。明日も原鶴温泉からのレポートを、お届けします。

原鶴温泉旅館協同組合オフィシャルサイト
ふくおか応援割(県の公式ページ)

2017年9月5日

9月5日 九州北部豪雨 朝倉市松末地区の住民5

先週に引き続き、7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市からのレポートです。
 
記録的豪雨で大きな被害を受けた地域の一つ、朝倉市。土砂崩れなどによって1000軒近い家屋が被災。いまも多くの住民が避難生活を余儀なくされています。その朝倉市の中でとくに被害の大きかった杷木松末の石詰地区。棚田や畑がつらなり、乙石川という小川が流れる、山あいののどかな集落で、18世帯59人の住民の中には、都会からの移住者もいたほど魅力のある場所でしたが、今回の豪雨では半数以上の家屋が跡形もなく流されてしまいました。

その石詰地区に代々住む住民の一人、小嶋嘉則さんにお話しを伺いました。

◆「裏山が赤土とわかってたから、逃げ場はそこしかないと思っていた」
私の家はここからここまで100坪あったんですよ。まずお昼に会社から食事に帰って、そしたらもう水が氾濫して道がすぐもうやられてしまったです。ぜんぶ崩落してしまって。(川までは何メートルくらいある?)30〜40メートル。川のかさがだんだん上がるじゃないですか、砂が流れてどんどんどんどん上がってきて。もう流れが普通なら石の流れがゴトゴトゴトゴト音がするんですけど、もう唸ってましたもん、ゴーっと。それからわずかで鉄砲水がドーンと来た。もう家が流れよるばい行き場所ないもんで裏山に上がって、命がけ考えるより「早う逃げ!みな早う逃げるぞっ」ちゅうて上がっていって、山の峠に行ってそこで5人で、犬も3匹連れて、あともう逃げ場がないけ諦めてそんまま朝まで居りました。ほんで5時になって夜が明けるじゃないですか。ほんでおりたらもう、悲惨なもん。家が流れちょるけ、あー流されたな・・・、うちも4代くらい続いた家ですけんね。何も出してない、バックひとつだけ。早かったじゃないですか。短時間に全部持って行かれたけん。流れるってわかっちょうなら早うみんな裏の山に持って上がっちょうばってんですね、そんな暇ないもん。(でもその逃げた場所ががけ崩れとか何もなくて良かったですね?)ちょうどうちの上がったところ赤土なんですよ。真砂じゃなかったからそれまで来んって頭の中に思っちょりました。逃げ場はそこしかないっち思っとったもん。むかし土壁をしよったもんで、赤土が必要じゃないですか。そこによそから採りに来よったもんで。そいで私は分かってたんですよ。裏山が無かったら流れてますよ。


雨を心配してお昼に戻った小嶋さんですが、避難しようにも道は氾濫した川に沈んで逃げ場は有りません。そして今度は鉄砲水が来て、流れを変えた川の水が家の敷地を削り始めたので、慌てて家族や近所の住民の5人と犬3匹で裏山を駆け上ったんだそうです。5年前の九州北部豪雨、昭和28年の豪雨災害の時でも、道が流されるくらいでここまでの被害は初めてだったのこと。裏山が赤土で崩れにくいのを知っていたからこその判断で、これが結果として5人の命を守ったわけですが、いまあらためて災害時に重要なことについて伺いました。

◆「家や財産より身を守ることが大優先。自然の怖さを知らないといかんです」
もう財産とかなんとかじゃなくて身を守ることが大優先。命が無かったら何もないけん。亡くなった人でも、川に行って材木が引っかかったから外しに行ったとか、見に戻ったとか、そういう人です亡くなったのは。やっぱ怖さを知らんといかんです。そんだけ来るっちゃ思わずに行ったんでしょうけどね。やっぱ自然は怖いですよ。やっぱ自分の周辺はどこに逃げたらいいかは自分の身を守るために知っといた方がいいですね。なんかあった時はここに逃げようとかね。逃げ場所が無かったら早う避難しようとか。やっぱ「まさか」ちゅうことがしょっちゅう起こりそう。その「まさか」が。。


道もまだ仮復旧しただけで、大量の土砂が積もったまま、これから台風や秋雨の時期さらなる災害リスクと向き合う石詰地区。復興はまだまだ見通せない状況です。ガレージだけ残してすべてを流された小嶋さんですが、夏には蛍が飛び交うのどかな山里、石詰に何がなんでも家を再建する!と、きっぱり。

『LOVE & HOPE』、明日も朝倉市からのレポートを、お届けします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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