2020年3月26日

つなぐ〜10年目の春だより:女川町 木村圭さん

今週は「つなぐ〜10年目の春だより」。
東北の若者たちの声をお伝えしています。

今日は、宮城県女川町出身の木村圭さん。町内の津波到達地点よりも高い場所に石碑を立てる「女川いのちの石碑」のメンバーでもあります。

震災時は小学6年生でした。現在は建築や街づくりを勉強するため京都の大学に進学しています。
圭さんには女川の復興に関わる、大きな夢があります。

◆女川の街づくりに建築士として貢献できれば
京都で建築や環境デザインの勉強をしています。もともと建築士になりたいと小学生の時からあって、小6で震災を経験して震災後9年経っていますけど、女川がどんどん変わっていくのに対して私たちの気持ちが着いていかない。町の復興が進んでも心の復興が進まないとよく言われていますけど、心と街というのが繋がっているのではないかと私は感じていたので、そういう街づくりを勉強したいなと思って今の大学に進みました。でも女川に限らず例えば熊本や岡山だったり、日本だけでも災害が相次いでいるのでそういう“被災地の心の復興と街の復興”というのを自分の中で課題として考えていけたらと思っています。
女川のこの震災からの街づくりに何か貢献できるのであればもちろん取り組みつつ、私たちが中学生小学生の時に私たちの意見を町の人たちが聞いて支えてくれたようにそういう社会を私たちが作っていく番になっていくと思うので「いのちの石碑」をはじめとするこの津波対策案という命を守るための活動で経験した教訓をもとに、中学生小学生の考えることの実現を支えるような社会を作っていけたらうれしいなと思います。



『いのちの石碑』の活動について圭さんは「1000年後まで、私達が死んでも次の代、次の代と受け継いでいきたい」と強い思いを語ってくれました。

LOVE&HOPE「つなぐ〜10年目の春だより」。明日も東北発「若者たちの声」をお届けします。

2020年3月25日

つなぐ〜10年目の春だより:女川町 伊藤唯さん

「つなぐ〜10年目の春だより」。東北の若者たちの声をお伝えしています。

今日は宮城県女川町出身、伊藤唯さん。町内の津波到達地点より高い場所に石碑を立てる「女川いのちの石碑」のメンバーでもあります。

震災のときは小学6年生でした。黒い津波が大好きな町を飲み込んでいく様子を目撃してしまい、震災後もその記憶に長い間悩まされたといいます。
その後東京の大学に進学。国際コミュニケーションを学ぶかたわら、力を入れているのは、大好きなダンスです。

◆自分がやりたい夢は何かを犠牲にしてでもやっていかなきゃいけない
ダンサーになりたいと思ったきっかけは東日本大震災。女川には「さんま収穫祭」というお祭りがあるんだけど、高校1年生のときに「さんま収穫祭」のステージに立たせてもらって、そのときにこんなにたくさんの人がわたしのダンスを観て笑顔になってくれるんだと思って。そう考えたら、自分の役目はこれだなと思って。ダンスで人を笑顔にしたい、夢を与えたいなという想いから、いまもダンサーになる夢は諦めてないです。
つらいことや苦しいことは生きているうえでは誰しもあると思うけど、震災を経験したら、どんな苦しいことも乗り越えられるんじゃないかと思って。いま自分が生きていられる以上、自分がやりたいこととか夢とか、そういうのはなにかを犠牲にしてでも一生懸命やっていかなきゃいけないんじゃないかなと、震災に気づかせてもらったので、だからそこは自分の視野を曲げずに行きたいと思っています。
女川町は街自体が復興に向けて前向きに取り組んでいて、わたしたちの(女川いのちの石碑の)活動もそうだけど、今回で18基目の石碑を立てましいたが、夢を実現させてくれる町だなと思うので、人の温かさ、街の取り組み、そういうところも含めて女川町を見てくれたらなと思います。一か月に一度、わたしたちが立てた石碑を回って、語らせてもらう機会があるので、そこにぜひ足を運んでもらえたらたくさん話をさせてもらいます。お待ちしています!


LOVE&HOPE「つなぐ〜10年目の春だより」。明日も東北発「若者たちの声」をお届けします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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